5
それから妖狐は、僕に自らの生い立ちを語った。といっても、自分で覚えているわけではない、と彼女は前置きして言った。むしろ、里に降りて悪さをするようになってから、人間が語る物語を聞いたのだと言った。それはいかにも妖怪らしい話だった。人間に恐れられ、畏れられることによってこそ、自らの性質が規定されたのだとでも言いたげだった。
昔々、このあたりの山には一匹の九尾の狐がいたそうである。この狐、もともとは九尾の力を持つ強い妖怪ではあったが、いたずらに人々を化かしたり襲ったりすることはなく、むしろ山奥で静かに暮らしていた。人と関わることは、稀であった。
けれどもある時、藤吉郎という猟師の男が山でこの妖狐とはち合わせてしまった。ふつう、そういうとき猟師たちは腰を抜かして死に物狂いで逃げたものだ。だが藤吉郎は変わった男で、なんとこの妖狐に一目惚れしてしまったという。妖狐が美しい女に化けて誘惑したというわけでもない。妙な男である。初めは相手にしなかった妖狐だが、毎日毎晩と山に通う藤吉郎に最後には根負けし、妖狐は藤吉郎の子を身ごもってしまう。
九尾の妖狐ではあったが、長年の隠遁でその力も弱まっていたのであろうか、人の子を無事に産むことは出来ず、赤子を残して妖狐は死んでしまった。妻を失った藤吉郎は、半分人間、半分狐の赤ん坊を育てかね、すぐに森に捨てて去ってしまった。藤吉郎はそれから一年もたたぬうちに病に臥せるようになり、やがて死んだ。九尾の妖狐の祟りだと噂された。
かくして、金色と純白の美しい毛を持つ半妖狐はひとりであった。山の動物に育てられたが、いつもいじめられていた。といって、里に降りる勇気もなかった。いつしか、彼女は父を恨むようになり、母を恨むようになり、この世を憎むようになった。
誰一人、頼る相手がいない彼女は、最後にはやはり、しかしどうしても、自分の血に頼るしかなかった。妖狐としての血。妖怪としての血。人に悪さをするのが役割。それに頼らなければ、自らの存在を理由付けできなかった。
だから、僕の持ちかけた取引が拒絶されたのは当然だ。
「その後、儂は何をすれば良いのじゃ?」という彼女の言葉は、それを考えるととても悲しい。彼女は物語に縛られているのだ。