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家の鍵を落とすだなんて本当に馬鹿な真似をしたものだ。神社跡をいくら探しても、落とした鍵は見つからなかった。家の鍵を無くしたとなれば、急に自室のタンスに隠してある札束のことが気になってきた。父から貰った小遣いを長年ためてきたのだ。ちなみに神社跡を探したのは嘘で、走って来て今ついたばかりだ。あと、鍵を落としたのも嘘。自室のタンスの札束も嘘だ。小遣いなんてろくに貰ったことない。鍵はポケットに入っている。でも僕の父親が職業陰陽師なのは本当。いままで修行と称した修練を受けてきて、今日初めて父の仕事に実際についてきたのは本当。そして妖狐にこの手で真言の描かれた御札を貼ったのも本当。それを後悔しているのは、本当だろうか。嘘だろうか。
岩の向こうから、音はしなくなっている。
そろそろ日が傾いてくる時間だった。黄昏時。逢魔が時。見えないモノが視える時間。会えないモノと逢える時間。
相変わらず空気が違う。神社跡といいつつ、やはり力のある場所なのだろう。
……なんか、一応陰陽師の修行を受けているやつのコメントとは思えないな、と思うと、じわじわくるものがあった。
「息子の方か」
突然声がして飛び上がった。
「え」
「何をしに来た。まだ生きているか見に来たのか」
冷たい女の声は、岩の向こうから聞こえる。妖狐のものだ。
「もしそうなら徒労じゃ。どうにも死ねそうにないわ」
「……そう、息子の方だよ。名前は稲屋燈眞。効かないのか」
「効かん効かん」
妖狐は節を付け、余裕の声色で言った。
「全然にゃわ」
「……いまにゃって」
「殺すぞ」
「殺すのは良くない」
「舌が回らん。ずっと頭を押さえつけられておるからな。肩がこってかなわん」
「効いてるじゃん」
「効いてはおらぬよ。儂も詳しいことは知らんが、というかお前こそ陰陽師の息子なら知っておろうが、この真言とやらがまともに効けば、儂は死ぬか、成仏させられるか、まあどっちでも同じようなもんじゃろうが、そういうことになるはずじゃろう。ところがさっきから全然そんな気配はせん。ただ動けない。だが化けることはできないし、そもそも身体が定まらん。インチキ陰陽師め、せっかくやるならちゃんと始末をつけてくれれば良いものを」
効かない理由は父親が言っていた。人の姿と狐の姿、どちらが本当の姿か定まっていないから。
「それで、何をしに来たのじゃ」
「何をしに来たのにゃ」
「殺す。絶対に殺すからな」
「殺すのは良くない」
岩が少し震えた。あまり怒らせたら岩くらいふっ飛ばしてこないだろうか。僕は一歩退いた。
「剥がしてやろうか」
岩が止まった。
「札。貼ったのが僕だから、僕は剥がせる」
「……なんのつもりじゃ」
女の声は冷たい。
「お前、村の人に化けて色々と悪さをしたんだろう。それをやめるなら、剥がしてやる」
直球すぎると思って、言ってて恥ずかしかったけれど、そう言うより他なかった。僕には回りくどいことをする余裕もなかった。
「…………」
狐は黙る。
女は黙る。
「フッ」
そして笑う。
「フッ、フヒッ、おぬし、そうとう面白いの」
笑い方が妖怪っぽくない。
「それで? 儂が悪さをやめたとしよう。その後、儂は何をすれば良いのじゃ?」
「何をって」
なんだろう。普通に生活とかすれば良いのかな。
「おぬしが娶ってくれるというのなら良いのじゃがのう。その気はないか?」
岩の向こうで姿も見えないのに、僕は彼女がニヤリと笑うのが見えた。
「……にゃい」
「ならば交渉決裂じゃ」
妖狐は総毛立つ思いの僕が噛んだのにも突っ込まず、そう言って僕を拒絶した。
「儂は一応、これでも妖怪、物の怪、怪異、そういうものじゃ。人に悪さをするのが役割みたいなもの。それをやめろと言うのは、この御札と変わらん」