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ドッペルゲンガー百合 ~12人狐あり・通暁知悉の村~  作者: 笹帽子
【幕間】二色の狐面
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 父、稲屋(とうや)燈玄(とうげん)は職業陰陽師である。職業陰陽師ってなんだよ。趣味の陰陽師とかもあるのか。よくわからない。今日は、妖狐を退治するのだという。さっきの村から請け負った仕事だ。仕事に僕がついていくことを許されたのは今日が初めて。父に渡された護符を握る手が汗ばむ。心を落ち着けようと、真言(マントラ)を口の中で唱えようとしたが、うまく舌が回らない。

 荒れ果てた神社跡が、正確にはその裏の洞穴が、その妖狐のねぐらだという。神社跡、といっても、そこは本当に跡である。痕跡である。朽ち果てた鳥居の残骸がなければ、神社があったことすらわからない。かつて本殿があったであろう場所は、瓦礫の山があるばかりである。ただならぬ空気に僕は身震いした。

 神社跡が背にしている切り立った岩壁に、洞穴がある。

「この中だろう」

 僕はゴクリとつばを飲んだ。洞穴からはかすかに冷たい風が吹いてくる。中は闇に覆われている。

 父は落ち着いていた。堂々と洞穴の前に立ち、袖を振り大音声(だいおんじょう)を上げる。

「半人半妖、二色の毛を持つ妖狐アシキよ、ここに潜んでいることはわかっておる。姿を見せよ!」

 ちなみに普段はそんな喋り方はしない。服も普段はポロシャツとかである。

 口上が終わるか終わらないかのうちに、どうと風が吹き荒れたかと思うと、洞穴の薄闇の向こうに、それは立っていた。闇の中にその全身は輝いていた。黄金と純白の二色に塗り分けられた身体は、ちょうど僕ほどの背丈があった。ザワザワと音を立てる尻尾の数は九つ。氷のような瞳の妖しい光に射すくめられ、全身が震えた。

 その目が。瞳が。

 僕を見た。

 絶世の美女に一目惚れすることを、電撃が走ったとか表現するけれど、妖怪と、怪異と、物の怪と、妖獣と出会ってしまったときにも、()()()()()()()()()()()()()()()()、同じ表現は使えるのだ。そう僕は思った。僕はその刹那に、これまでの生と同じだけ絶望し、これからの死と同じだけ恍惚とした。

 尋常ならざるもの。僕達人間とは、違う世界に生きるもの。異様なもの。おかしなもの。説明がつかないもの。人知を超えた存在。非日常にして非常識。幻怪(げんかい)異形(いぎょう)(よう)()(もう)(りょう)。そんな存在に僕がこれまで全く触れてこなかったのかといえば、そんなことはないが、しかし退治の対象となるような強大な存在に対峙するのは、これが初めてだった。僕はそれこそ、一顧(いっこ)傾城(けいせい)に魅せられたが如く、その圧倒的な存在感に打たれてしまった。いや、認めよう。ある意味でこれは喩えではない。僕はある意味で、この存在感に、比喩でなく、一目惚れしてしまったと言っていい。それに圧倒され、自らの常識的な矮小さを自覚することで、しかしむしろ生を実感できる、そういう恋愛と同じ種類の麻薬を、僕は飲んでしまったのかも知れなかった。

(わし)に客人とは珍しいの」

 妖狐は口を開けずにそう言った。その声は美しかった。女の声だった。だが、歓迎の響きは全くなかった。憎悪がありありと漂っていた。頭の先から足の爪先まで、いっぺんに氷水を浴びたように感じた。べっとりと、流れ落ちることのない、氷水だった。

 本来なら、陰陽師たるもの、たとえ相手が妖し(もの)()であっても名乗りくらいはするものである。

 小さい頃、僕は母からこう言われた。人にあったら名を名乗りなさい。相手と親密になりたいのなら、相手の名も必ず聞きなさい。名前を知るもの同士は、友達になれるから。

 だが。父は全部省略した。

「◆」

 決して大きな声ではないが、決然と放たれた真言(マントラ)の効果は瞬く間に現れた。妖狐は目を見開き、苦しげに震えたかと思うと、父に飛びかかる。

「◆◆◆◆◆◆◆」

 父は口元を歪ませながら真言を刻みこむ。職業陰陽師・稲屋燈玄の首筋に牙を突き立てようとした妖狐は、その寸前で見えない壁に阻まれたが如く倒れ、叫び声を上げる。

「妖し狐よ、貴様、人間に化けて村を荒らしているとのこと、許された行いではない」

 妖狐は絶叫した。

 咆哮。

 苦悶。

 嗚咽。

 僕はそれを見て、哀れだと思った。

 可哀想だと思った。

 瞬間、自分のその感覚に驚愕した。

「その真の姿、現すが良い」

 父が宣言する。

「貼れ」

 父が僕に合図する。震える手で護符を握った。御札である。模様として描かれた真言が刻まれている。

「早くしろ」

 父親に急かされ、顔を引きつらせながら、護符をかざした。

 地面に倒れ伏し、のたうち回る妖狐は、背を丸めて苦しんでいながらにして、それでもなお、熊くらいの大きさがある。巨体に反して、本来ならするであろう獣のにおいがしない。

「早く貼れ」

 怒気を含んだ父親の声に背中を蹴飛ばされ、護符を妖狐の頭に貼った。落とした、といったほうが適切かもしれない。赤い線が目玉を思わせる模様を描いた、護符。御札。

 その効験(こうけん)は明らかだった。

 獣の目は大きく見開かれ、この世ならぬ場所を見つめていた。もがく動きは止まり、絶叫の声は遠ざかり、すすり泣くようなうめきに変わった。輝いていたはずの金色の毛が色を失い、妖狐の輪郭はあやふやになり、明滅した。

「ふむ」

 父は目を細めて言う。

「この護符は、化け物の変化を解き、真の姿を明らかにさせる技……それが効かぬのを見れば、こやつ、真の姿が定まらぬらしい」

 妖狐は一瞬、人間くらいの小さな身体になりかけたかと思えば、再び巨大な狐の姿で燃え上がる。直視できない。

「まあよい」

 父が、一歩下がり、拳に気を込め、岩肌を殴りつけた。とたん、轟音とともに洞窟が崩れ、目を開けたときには、洞穴は塞がっている。

 岩の向こうから、むせび泣く女の声だけが聞こえる。

「そこで自らの真の姿について考えよ、それを()った時、本来(まこと)の仏心に会えるであろう」

 そう言って、一丁上がりとばかりに手を打った。

 僕は、震えと戦っていた。

 再び、妖狐を哀れに思った。

 化物に対して、物の怪に対して、異形に対して、怪異に対して。圧倒的な、超自然的な存在に対して。自分がそんな感情を抱くとは、思ってもいなかったのだ。

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