18
「今日は来るのが早いねぇ」
ゼミ室にはみとはちさんがいた。みとはちさんは悪役っぽく逆光の中に座っていた。
「その顔だと、解けたんだね?」
みとはちさんはニヤリと笑って、眼鏡を上げた。
「分かるんですか」
「分かるよ。私、占い師の家系だから」
「初耳ですが」
「なんでも分かるよ」
「そうですか」
「香織っち、今日は……水色だね」
みとはちさんはニヤリと笑って、眼鏡を上げた。
こいつ、何を当てに来ている。
「まぁとりあえず、解けましたよ。僕なりの仮説を持ってきました」
「さすがだよ。香織っちはいつも謎を解いてしまうね。さすが水色のしましま」
しましまではなかった。
「あれ、二人早くない?」
草苅さんが戻ってきた。カバンは置いてあったし、手にした電気ポットを見るに水を汲みに行っていたのだろう。
「香織っちがなんか解いたって」
「本当?」
「はい」
「さすが香織」
この人の『さすが』にはやや不安が残るが。
紅茶を淹れて。僕たちは話し始める。
問2。
なぜそのような『都市伝説化』が生じたと考えられるか。
「色々考えましたが、僕の考えだとその理由は、このアシキが便利だからです」
「便利」
三人が復唱する。
「怖い話だからでも、笑える話だからでもなく、便利だから。それが理由だと思います」
僕は言う。
「都市伝説が語られるのは、語られる必要があるからです。江ノ島の都市伝説を知っていますか」
「江ノ島?」
三者三様にわからないといった顔をする。燈花もどうして江ノ島の話が、という顔だ。
上手いもんだね。
「『江ノ島に初デートに行ったカップルが別れる』というものです」
「あぁ、それなら知ってる」
草苅さんが言った。
「あの都市伝説に何か関係が?」
「僕は関係があると思いました。というか、そこから思いつきました」
「あー、それで二人は週末江ノ島デートだったの?」
みとはちさんが言った。
「なぜ知っている!」
思わずテーブルを叩いた。カップとソーサーがガチャンと音を立てる。
「分かるよ。私、占い師の家系だから」
みとはちさんはニヤリと笑って眼鏡を上げた。
「さすが八恵」
さすがではなかった。
「まあ、香織、私たち別に隠して付き合っているわけではないですし」
隠してはいないが付き合ってもいないぞ。
「え、で、その都市伝説ってなんか関係あるかな? 元ネタは弁天様でしょう? 神話や伝説が世俗的な都市伝説に変化した、っていう点が共通しているということかな」
みとはちさんはさっさと話を進めようとした。
えふん、と僕は咳をした。燈花の発言に突っ込んでおくか迷ったが流すことにした。みとはちさんがにやにやした。こいつ。
「そうです。はい。週末にこの都市伝説を燈花に教えてもらいましたが、まさにそういう共通点があると思ったのです。それで、なぜ江ノ島の都市伝説が生まれたかを考えました」
「私が聞いたことあるのは」
草苅さんが言う。
「江ノ島って結構急な坂とか階段とかが多いから、そういうところに付き合って日の浅い男女が来ると、どうしても女の子の方が疲れちゃったりしてあまり雰囲気が良くならないんだ、みたいな」
「それは違います」
燈花が言った。
「確かに結構坂がきつかったですが、香織は私のペースをちゃんと気にかけてくれました」
「そういうことではない」
なんかいやな汗出てきた。
みとはちさんがニヤニヤしつつ、言う。
「はるかが今言ったのは、都市伝説に対する解釈だよ。香織っちが聞いているのは、なぜ都市伝説が必要なのか、だよね」
「そうです。必要だった。必要だったから語られた」
「デートすると別れるという都市伝説が必要だったの? つまり、別れる理由を作りたい人がいた?」
「確か行くと回避できる神社が近くにあったよね。その神社の陰謀か」
みとはちさんが陰謀論を唱えた。分かっていて冗談を言っている顔だ。
「そういうことではありません。龍口明神社による回避策は後付でしょう。みとはちさんが先週言ったように、回避策というのは都市伝説がある程度人口に膾炙したとき、突如追加されるものであって、つまり都市伝説が語られた後からついてくる」
「でも、それじゃあますますわからない。この都市伝説が必要とされるのは、別れたい時か、江ノ島に行きたくない時じゃないのかな」
「デートを前提とするなら、ですね。他の場所でデートすればいいわけですから」
「……デートではないことが目的だとしたら、違うのか」
みとはちさんが言った。この人は気付いたな、と思った。
「そうです。調べたんですが、この都市伝説が生まれたのは、一説には江戸時代からと言われています。案外古いんです。その時期というのは、七福神ブーム、弁天様ブームが巻き起こった時代ですね。人々は財産を増やそうと、弁天様にあやかろうと、競って参拝するわけです。江ノ電も湘南モノレールもありません。そんな時にこんな伝説があったら、どうでしょう。『初』デートかどうかは、おそらく、後からの追加というか条件の緩和です。そのころは、単に『江ノ島には男女で訪れてはいけない』ということを言っていた、としたらどうでしょう」
江ノ島まで参拝する人間が、『カップルで来てはならない』という話を必要とする理由。
男女で来てはならないなら、どうやって来ればいい?
「女遊びだ……」
草苅さんがつぶやいた。
「そうです。男女で来てはいけないのなら、一人で来ればいい。江ノ島街道は遊女の集まるスポットでした。男たちは江ノ島まで出かけるのに、妻についてきて欲しくない。だからこういう話が語られた。申し訳ないけれど、お前と一緒に行って弁天様に嫉妬されちゃかなわん、留守番していておくれ、と。もちろん一説に過ぎません。本当のことはわかりません。この由来話自体が都市伝説ということもあると思いますが、まあそこはちゃんと検証してません。しかし、僕が面白いと思うのは、この便利な都市伝説が、決してゼロから作られたわけではないということです。龍と弁天の話は、正しく伝統的な伝承であって、遊女遊びより昔からあの土地にありました。それを、都市伝説が都合よく拾い上げたというわけです」
「なるほど……」
みとはちさんと草苅さんが頷いた。燈花も微笑んでいる。
「それと同様のことが、この妖狐伝説でも起きた、というのですか」
「そう、このアシキは、便利なんだよ。便利だったから活用された。便利だったから拾い上げられた。嫉妬深い弁天様と同じように」
僕は言う。
「このアシキの話は、都市伝説とはいいつつ、『口裂け女』みたいな典型的な妖怪都市伝説とは少し趣が違います。口裂け女に出会うと殺されますが、アシキに行き合っても死にはしない」
「友情が破壊されるだけで、命までは取られない、ということ?」
「そうです。しかも、それがアシキのしわざだと、その場であれ後からであれ気づくことができれば、実際に友情は破壊されないわけです。ああなんだ、アシキのせいだったのか、怖い怖い。それでおしまいです」
「なるほど?」
「草苅さん、草苅さんは失言って経験ありますか」
「え?」
燈花は失言とかしなさそうだし、みとはちさんは別の意味で失言とか無さそうなので草苅さんに聞いた。
「あるよ?」
なのにみとはちさんが答えた。
「みとはちさんではなく」
「いや、はるかは失言するよ? 失言っていうかなんていうか、朝弱いからさ、こないだもなんか寝起きで不機嫌なときに、私が熱い目玉焼きだして塩胡椒振ったのになんかキレてさ、『いらない、捨てて』とか暴言を」
「あー! あー!」
草苅さんが柄にもなく真っ赤になって大声を出した。
ていうかなに、二人同棲でもしてるの……。燈花と目が合った。燈花が耳打ちしてきた。
「(だからDまで行ってるって言ったでしょう)」
「(Dって同棲か)」
「(ところで香織は目玉焼きには何派ですか)」
「(ケチャップ)」
「(少し教育の必要がありそうですね)」
そんな必要はない。
「でね、はるかも、それだけならただの好き嫌いと暴言だけどね、だんだん目が覚めたら青ざめてきてさ、どうやって謝ろうみたいもぐ」
みとはちさんの口にカントリーマアムがねじ込まれた。
「そのもぐやっちゃったっていうマジな顔もぐが失言もぐ可愛もぐ」
度重なるサイズダウンによる実質値上げが響き、一枚のカントリーマアムでは口をふさぐのに足りなかった。草苅さんは四枚ほど追加した。みとはちさんが、お茶もぐが怖もぐい、と言った。僕はポットに残っていたパッションフルーツティーを注いであげた。
そろそろ話を戻そうか。
「草苅さん、そういう時に、彼女は便利なんですよ」
ブゥウン……と、扇風機が首を振る。
「なるほど、ね」
嚥下の完了後、みとはちさんが頷いて言った。
燈花の表情にもはっとしたものが浮かんでいる。
「つまり……失言をアシキのせいにできる」
草苅さんが言った。
「そうです。簡単です。自分の失言を悔いる気持ちがあるのなら、友情を傷つけたくないのなら、翌日すっとぼければいいだけです。その上で、自分は本心ではそんなことは考えてもいない、と説明すればいい。相手はきっとわかってくれますよ。相手からしても、そんな酷いことを本心から言われるはずはないんだという考えは魅力的ですし」
「資料B1には友達の悪口を言って去ったアシキが出てきます。もちろんこの話だけから何も断言できませんが、こういうシチュエーションは子どもたちの間では普通に起こることでしょう。B群の資料は他も似たようなものですね。普段は仲良くしているけれど、ふとした拍子に友達への不満が爆発する。酷いことを言ってしまう。そうしてそれを後悔する。本当はあんなこと、言うつもりじゃなかった。あれは自分の本心ではない。そう、あれは自分ではない。自分そっくりの、偽物だ、と」
それが僕の仮説。
「物語には、必ず語られる理由がある、目的がある。ハッキリ言ってアシキの話は口裂け女みたいにセンセーショナルなものではありません。それでも語られるとしたら、こういう理由なんじゃないかなと僕は思います。小中学校の子どもたちにとって、人間関係は切実ですから」
出題者の稲荷木燈花への、答えだった。
僕は彼女の顔を見ないようにして、仮説を語り終えた。