15
「燈花、あの問2、君は自分なりの答えみたいなものはあるのかな?」
僕は聞いてみた。燈花はゼミの途中、板書に徹していて自分の主張はしなかった。でもあれだけの分量の資料をまとめる熱があるのだ、何も考えていないわけがない。
燈花は髪をふわふわと揺らして、微笑んだ。
「答えかどうかはわからないけれど、考えたことはあります。でも、それを先に言うのはやめようと思って」
「どうして?」
「香織に解いて欲しいから」
「な、なぜ僕に」
なぜそこで僕が出てくるのか、よくわからなかったし、ちょっとどきっとしてしまう。
「香織は差し出された謎は解かずにはいられない人ですね」
「……確かにあのゼミは好きだけれど」
僕は確かに、謎に対する好奇心は強いほうだと思う。確かに、ゼミで何度か、他のみんなより早く、それらしい答えにたどり着いた事があると思う。けれどそれはたまたまだし、燈花にそういうふうにすごい人みたいに言われるのは落ち着かなかった。
ここはクラゲファンタジーホールというらしい。
小部屋の周囲にクラゲの水槽がたくさんあり、幻想的なライトアップに輝いている。ライトの色はくるくると変わる。
僕と燈花は端のソファに腰掛ける。
ライトの色がくるくると変わる。
天井がクラゲみたいにドーム型になっていて、この丸い小部屋全体が海の中をフワフワと漂っている。
「さっきの話ですが」
「うん?」
「偽名は嘘というのは嘘です」
「え」
僕の心臓は気持ち悪くうねった。
「実は私の父親は、実家とはかなり揉めて地元を出てきたので、絶縁状態なのです」
燈花が語りだす。
「母との結婚を反対されたそうです。両親は同郷なのですが、父の実家は、なんというのでしょう、格式を重んじる家で、母親との結婚は身分違いだ、と祖父が猛反対したそうなのです。すごい喧嘩だったそうです。父は怒って、母と二人で東京に出てきました。だから私は今まで、あそこに行ったことはなかったのです。祖父母には会ったこともありません。何かが一つ違っていれば、私もあの村で、あの学校で育ったかもしれません。そうすれば、アシキの話は私にとってひどく身近なものだったかもしれない。そう思うと少し不思議です」
今回帰った時、実家というか、祖父母の所には立ち寄ったのだろうか。泊まってはいないと言っていたけれど。いや、偽名を使ったくらいだ。近寄らなかったのではないか。
燈花の両親は、そのことについてなんと言ったのだろう。娘がその村を訪れることになんと言っただろう。
身分違いって、お母さんはどういう人なんだろう。
僕の頭の中にいろいろの疑問が浮かぶ。でも僕は相変わらず、それを口に出さない。
どこまで聞いていいものか、わからない。
そもそもそれだけ障害のある場所になぜ民話を収集しになんて出かけたのだろう。
どうして今日、急に僕を江ノ島になんか誘ったりしたのだろう。都市伝説の話のためだろうか。
『香織に解いて欲しい』というのはどういう意味だろう。
燈花は何を僕に伝えたいのだろう。
燈花は何を考えているんだろう。
燈花は何を見ているんだろう。
僕は無数の疑問を飲み込んだ。
僕は自分が何を考えているのか判断するのすら苦労する人間だ。他人の心の中なんて、手を出しちゃいけない。
ふと気づくと目の前に、そのサラサラと落ちる前髪の向こうに、二つの底の見えない瞳があった。
「不思議です」
稲荷木燈花は、深い鳶色の目にクラゲの淡い光を反射させながらつぶやいた。光の加減で、それは金色みたいに見えた。僕は美しいと思った。
「……何が?」
「香織は差し出された謎には飛びつくくせに、『解いていいよ』と言ってもらえれば全力で解くくせに、そういう許可がないと近付こうとしませんね」
僕は苦笑した。色々疑問が浮かんだのに、何も言わなかったのを、すっかり見透かされている。
「香織は私には興味は無いですか?」
「……」
「香織は他人には興味を持てない人間ですか。それとも何か理由があって、自分のことだけを考えているのですか」
僕は自分を知りたい。僕は自分を知らなければならない。それは確かだ。
けれど。
「あるよ、興味。燈花のこと」
深い紫色だったクラゲたちが、一斉に淡い空の色に変わる。
燈花は微笑んだ。
「私は香織になら、解かれてもいいですよ」
結局あの日、どうして僕たちは江ノ島に行ったのだろう。何かのヒントにしたって、よくわからなかったな。
僕は水を多めに飲む。
僕はその日の夜、いつもなら一錠でいい白い錠剤を、二錠飲み込んだ。