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大船駅で電車を降りた僕は、燈花の後をついて歩き、ルミネの中を貫通してモノレールの改札についた。
燈花が立ち止まる。何かと覗けばカフェの前とかに立っている小さい黒板みたいなのがあり、『PASMO・Suicaは使えません』と大書されている。おい。
「切符を買います」
燈花が決然と言った。さっきのオートチャージは何だ。
「現金こそがこの世で一番目に頑健な手段です」
懸垂式のモノレールはガタゴトと揺れた。下の視界が開けていて、街路の上を電線と並んで走っていくのでまるでアトラクションだ。しかも結構スピードがある。信号が足元を過ぎていく。想像の何倍も気持ちいい。
「香織、江ノ島に都市伝説があるのは知っていますか」
都市伝説。
そうだ、僕たちの今週一週間の課題はそれなのだ。
燈花は何か、都市伝説に関して思うところがあって僕を連れ出したのかもしれない。とするとこれはヒントだろうか。彼女が僕に、ヒントを送っているのだろうか。
「いや、知らない」
「結構有名なのです。まさに私たちにぴったりのやつなのですよ」
「そんなものが?」
江ノ島は一応霊験あらたかな土地だから、あの妖狐の話みたいに、何か化物とかがいるのかもしれない。すくなくとも龍はいるし。
「はい。『初デートで江ノ島に来るカップルは別れる』という」
「ダメじゃん!」
化物じゃなかった。思わず叫んでしまった。モノレールがガタゴトと揺れた。
「何がダメなのですか」
「え、だって、初デート」
「そうなのです。残念ですね香織、私たち、別れることになりそうです」
「いや、まあ、そもそも考えれば、別に僕たちはカップルというわけで」
「回避策があります」
燈花が食い気味に言った。
「あるんだ」
まあ、回避してあげてもいいけど?
「『江ノ島に行く前に龍口明神社に参拝する』です」
江ノ島に行くと別れるが、その前に龍口明神社というところに参拝すれば回避できる。
カウンター。
キャンセラー。
僕はピンとくるものがあった。
「……弁財天と龍神か」
「さすがですね」
燈花が感心した目で僕を見た。
『江ノ島で初デートすると別れる』、『不忍池で初デートすると別れる』、『井の頭公園で初デートすると別れる』、その手の都市伝説は色々ある。あと『ディズニーランドで初デートすると別れる』みたいなのもあるがこれはとりあえず無視する。というか不忍池で初デートするの渋すぎないか?
なぜ別れるかについて、色々言われる。原因を歴史的というか民俗学的というか、そういうところに求めるとするならば、少なくともいま並べた三箇所に共通するのは、弁天様になる。
弁財天といえば七福神の紅一点で、芸能、学芸、財宝を司る女神だ。色々と複雑に神仏習合で混ざってしまっているが、とりあえず日本ではそういうイメージを持たれている。そして同時に、その性格は嫉妬深いものとして語られる。だから、参拝してきたカップルに対して嫉妬する、そして別れさせる、というわけだ。なんだそれ。無茶苦茶なやつだ。神だからといってやって良いことと悪いことがある。
芸能財宝の側面が強調される一方で、弁財天は水神としての性格も持っている。だから祀られる場所は水場だ。江ノ島も、不忍池も、井の頭公園も。ついでに言えば、江ノ島と合わせて三大弁天と言われる竹生島も、厳島も、水辺だ。
そして水神は、龍と縁がある。江ノ島の弁財天の由緒は、元々この土地に住み着いて人々を苦しめていた龍がいた所、ある時大地が鳴り響いて島が現れ、そこに弁財天が降り立って、龍を鎮めた、というものだったはずだ。
水神が龍を従え使う背景には色々な説がある。説明としてわかりやすい一つは治水だ。龍とは河川の氾濫を表したものであり、それを支配することはすなわち治水。水神がこれを司るのだ、などと言われたりする。
「その龍口明神社って、弁財天が退治した龍を由緒にしている神社だよね」
「退治というか……。もともとこの土地には悪い龍がいたという話で。大地が震え、江ノ島が湧き出し、そこに弁財天が降り立った時、彼女に一目惚れした悪龍が求婚した。しかし逆にその悪行を戒められ、改心し後に夫婦となった、というものです」
「だから本来夫婦である両方の神社に参拝することで、無用な嫉妬を回避し、別れなくて済む、ということ?」
燈花はそうですね、と頷いた。
「両方参拝したら嫉妬されないという理屈は結構無理がある気もしますが、この回避策はそう解釈するしかないでしょう」
両方参拝したら嫉妬されない理由は確かにイマイチ不明だった。まあ、回避策なんて後付けだし、そもそも嫉妬されて別れさせられるのも理屈にはかなってないし、そんなもんだろう。
「だから我々はこうして大船で降り、湘南モノレールでガタガタと移動しているのです。江ノ島に直行するならば、しかもそれが初デートとあらば、藤沢まで行って江ノ電でコトコト江ノ島を目指すほうがいいと誰もが思うでしょう。そんな情弱カップルは江ノ電がなんか思ってたのと違うという罠にハマる上、都市伝説トラップで別れるわけです。私と香織はそれを華麗に回避し結ばれます」
「いや、結ばれるのはちょっと」
燈花は首を傾げた。
「香織は誰かと結ばれたくないのですか」
僕は苦笑する。
ずるいな、君は。
僕と燈花は西鎌倉駅で地上に降りた。曲がりくねった坂道を登る。また僕は暑いなと思う。坂とか階段は苦手だ。
「こんなところにあるの、その神社は」
高級住宅街だ。神社がありそうな古い土地には思えないのだが。燈花は携帯で地図を見ている。
「そうです。元々はもう少し江ノ島に近い側にあったのが、移転してきたそうですね。あ、そこを曲がったところです」
それは住宅街に突然現れた。移転してきたというだけあって、龍口明神社の建物はそれほど古くないように見えた。
境内は驚くほど人気がない。江ノ島に由緒のある神社なら、もっと観光客がいて良さそうなものだけれど。周りに高い建物がないので、空がやたらと広い。無人で小綺麗な境内は、人工的なようにも、霊気に満ちているようにも感じられた。
僕たちは一通り参拝を済ませた。
「全然人がいないけど、本当にこれが対処法なの?」
「この世は情弱だらけということです」
燈花は力強く言い切った。これでバリア張れましたから、さっさと行きましょう、と言って、僕たちは参拝もそこそこに再びモノレールに乗る。逆にバチが当たったりしないか、と僕は思う。