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ドッペルゲンガー百合 ~12人狐あり・通暁知悉の村~  作者: 笹帽子
【4】草苅はるかは何も知らない
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EP(狐)

 ゆっくりと北上して、一気に東京に戻った事により、私たちは今年の梅雨を大部分回避することに成功しました。梅雨は髪がひどい有様になるので、あまり好きではありません。だから梅雨の間は早く明けてしまえとただただ思うのですが、こうして夏の日差しを浴びてみれば、これはこれで眩しくって憂鬱なものです。

 いびつな階段を上り詰めてゼミ室に至ると、微かに心臓がはずみました。

「おはようございます」

「おはよー、燈花ちゃん」

「久しぶり」

 部屋にいたのはみとはちさんと草苅さんの二人でした。

 なんかものすごい絡み合っていました。

「あの、ゼミ室での密着度合いじゃないと思うのですが」

 しかしそれを見るに、この二人は無事仲直りというか、うまくいったのでしょう。それは素晴らしいことです。

「ちょっと冷房が効きすぎて寒くて」

「冷房止めましょうよ」

「地球のことを思うと止められなくて」

 大型のエアコンが鈍い音をたてて冷気を吐き出しています。リモコンには今や『冷やして応援 地球温暖化』と書かれています。意味がわかりません。

「まあ良いですけど。お土産です」

 私はカバンから、旅行のお土産の『白い恋人』を取り出しました。

「あ、ラング・ド・シャね」

 草苅さんが言いました。

「『白い恋人』を見てすぐラング・ド・シャって言うの、お嬢様っぽいねぇ、はるか」

「え、別にそんなことないでしょ」

「聞いてよ燈花ちゃん。こないだはるかと二人で牛角に行ったら、牛タンのことをラング・ド・ブフって言ってたよ。お嬢様はすごいね」

 いやそれ、お嬢様が牛角で牛タン食べてるほうが面白いですけどね。

「言ってない! もう八恵は適当なことばっかり」

「みとはちさん、あんまり嘘ばかり言うと、閻魔大王にラング抜かれますよ」

「ラング・ド・みとはち?」

「ラング・ド・みとはち」

 さすがに。

「それにしても燈花ちゃんと香織っちは、ずいぶん長いことサバティカルしてたねぇ」

「サバティカルではなくてハネムーンですね」

「は?」

「いいねぇ、はるか、私たちも夏休みどこか行こうか」

 夏はすぐそこです。その前に期末試験がありますから、ずいぶんと講義に出ていなかった私と香織は結構追い詰められているのですが。まだ夏休みの予定を考える余裕はありません。

「それと、みとはちさんには色々とお世話になりましたから、追加でこちらもあります」

 私は日本酒の瓶を取り出しました。弘前で買ったものです。

「おほー、これはこれは。もう今日ゼミやめる?」

「やめない」

 草苅さんがすばやく奪い取ってしまいました。瓶が冷蔵庫に収容されていきます。しかしこの展開は予見済みなので、草苅さんが冷蔵庫の方を向いているすきに、私はもう一本の瓶を取り出してみとはちさんにそっと渡しました。みとはちさんが、お主も悪よのうみたいな顔をしてそれを受け取り、でも結局どうしようもないので戻ってきた草苅さんに渡しました。冷蔵庫に収容されました。

「それで燈花ちゃん、謎は全部解決したんだよね」

「はい。おかげさまで。ただ、解決してしまったせいで、うちの研究室は崩壊してしまいましたが」

 そうなのです。私たちの自主ゼミは、いよいよもって怪しい団体になってしまいました。もはや、このゼミの存在自体が都市伝説という言葉が真実味を帯びてきてしまいます。何しろ、指導教員が消えてしまったので。教務課は無断サバティカルの可能性を視野に入れて調査すると言っていましたが、私たちはそれが無期限の失踪であろうことを知っています。あの人は香織から取り上げた狼を持って、どこか山奥にでも行ったのではないでしょうか。少なくとも大学教員という肩書で再び姿を表すことはないでしょう。さて、日本に狼が復活する日は来るのでしょうか。

「それなんだけど、ざっくりはメールでもらったけどさ。はるかと二人で読ませてもらって、若干気になるところがあるんだよねぇ。教えてもらっていいかな」

「はい、なんでしょう」

「このメールに書いてあったさ、『みとはちさんの消防の資料』ってこれ、何?」

「え」


 エアコンがガタガタと音を立てて冷気を吐き出しています。


 私は急に頭が回り始めるのを感じます。頭の芯が熱くなり、背筋が冷たく冷えるような。

「いや、これですけれど……」

 私は封筒を取り出して、みとはちさんに渡します。みとはちさんは中身の書類をパラパラとめくり。

「いや、これ私、知らないけど」

「……は?」

「いやいや、いくら私だって消防や警察の内部資料なんか手に入らないよ? というかなんでこれが私からだって思ったの」

「それはだって、ホテルに届けられたんですよ。私たちの滞在先を教えていたのは、両親とみとはちさんだけ……」

 両親がこんなものを送ってくるはずはありません。父と電話した時にこの資料のことは話しましたから、絶対に違います。そうなれば、送り主はみとはちさんでしかありえない。

「でも私じゃないって」

「そんな」

 ……いや。

 違います。

 もうひとりいる。

 もうひとり、私たちの部屋番号まで知っている人間がいる。

「あの少年ですか……」

 私は彼にエレベーターのボタンを押して貰う時、カードキーの部屋番号まで見せています。むしろ逆に、みとはちさんには部屋番号なんて教えていません。私は偽名で記帳しているのだから、逆にみとはちさんから私に確実に封書を届ける方法はありません。あの少年でなければ、届けられない。

「少年ってさぁ」

 みとはちさんが苦笑しながら眼鏡を上げます。

「なんか小奇麗で、Nバッグ背負ったら似合いそうで、すぐ舌打ちする癖がある子?」

「それです」

「それ、無量蓮美のパシリだよ」

「な……」

 無量蓮美。藤木と同じ会のメンバー。父に六峰神社の情報を吹き込んだという女。

「燈花ちゃんは何を物語られたの?」

「はい?」

「あいつら物語りっていうんだよ。もうずいぶん昔で懐かしいけどさ、香織っちの『江ノ島で初デートすると別れる』の話とおんなじ。あれは、『都市伝説は、あったほうが都合のいい時に語られる』っていう例だったよね。それで『アシキ』の話を推理したでしょう? そんなふうに、アナロジー的に使えそうな物語を押し付けてくる、まあ言ってみれば詐欺師みたいなものなんだよ」

 詐欺師。あの少年が。

「で、何を物語られた?」

 私が語られた物語。あの少年が、私に吹き込んだ考え。

「『怖い幽霊があなたの足を奪いに来るが、神様が守ってくれるので平気ですよ』……」

 そうだ。資料とあわせて、あの出来の悪い、謎がない都市伝説から、私は着想したのです。怪火そのものがでっち上げである、作り上げられて打ち消された危機であるという疑惑を。あの少年の話がなければ、資料はうまく繋がらなかったかも知れない。少年こそが、あの都市伝説を私に吹き込んでおいて、資料を送りつけてきた……。

「つまりその推理自体が、ラストウルフの告発自体が、藤木センセー側に仕組まれてたってことだね」

 みとはちさんが断言します。

「ど、どうしてそんなことを」

 私は混乱します。暴いたと思っていたことが、実は暴くように仕向けられていた?

 そうなってしまえば、資料自体の真贋も怪しくなります。果たして本当に連続放火は連続放火だったのか。果たして本当に、香織の怪火憑きはでっち上げの演出だったのか。

 そこではじめて、草苅さんが口を開きました。

「香織のためじゃないかしら」

 香織のため……?

 むしろ、香織がいかに利用されただけなのかを暴いてしまうということは、彼女を傷つけるだけなのではないかと、私は思います。現に彼女は、帰りの道中、すこし塞ぎ込んでいましたから。東京に戻る頃には、いつもどおりの香織に戻っていたのが幸いでしたが。

「そうじゃなくて。香織の怪火を確実に落とすため」

 香織の怪火を確実に落とす。

「ただ単に狼がいなくなったら、また怪火が害をなすんじゃないかって、香織は心配になるはずじゃない。でも怪火がそもそも嘘だったんですよということになってしまえば、香織はその心配、しなくて済むでしょう」

 私は考えます。もしあの資料がまるごと嘘で、放火の事実がなかった場合。本当に香織に怪火が憑いていて、藤木先生は香織を利用したけれど、助けもしていた場合。そして今、火鼠が彼女から離れたかが、際どいラインだった場合。

「なるほどぉ、さすがはるか。じゃあセンセーは自分が悪者になって、香織っちを少しでも安全にしようとしたのかな。そんなに極悪人じゃないじゃん。狼柱ってやつ?」

 私はまだ、自分の推理が崩れ去ったことに混乱しています。けれど、この新しい説も、認めざるを得ません。否定する材料が、ありません。

「まあ藤木センセーがそうしたかったなら、そうさせてやれば良いんだと思うけどね」

 卓に沈黙が降りました。みとはちさんが『白い恋人』の三枚目に突入する音だけが、エアコンの動作音に混じって響きます。

 口の中のものを飲み込んで、みとはちさんがぽつりと言います。

「でも香織っちはそのこと、気付いてるのかな」

 どうでしょう。

 まだ混乱している私でも、でもこれだけはわかります。

 たとえ今気付いていなかったとしても、いずれ香織はそれを知るでしょう。香織は知ろうとするでしょう。自分のことに関して、妥協はないですから。その謎は解きにくる。ひょっとしたらもう解いたかも。


 ガラリ、とゼミ室の戸が開いて。

「おはようございます」

 今日の当番、神谷内香織が登場しました。狼も火鼠も憑いていない、今や真人間の彼女は、いつもと同じく前髪を跳ねさせ、どこか上機嫌で、大事そうに抱えてきた紙束をテーブルに置いて。

 こう言いました。

「今日のレジュメです」

「おお、香織っちの出題だ」

 みとはちさんがすかさずそれを取り上げ、私と草苅さんも続きます。


 この数ヶ月でいくつもの謎が解け、指導教員は消え、ゼミの人外率も低下しました。


 けれども、今日の知悉は明日の無知、通暁のちまた夕闇来たる。

 謎解きは終わらないのです。

第四部『草苅はるかは何も知らない』 完(シリーズ完結)


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


■参考文献

雨月物語評釈 鵜月洋(著) 1969 角川書店

唐宋伝奇集 上 今村与志雄(訳) 2014 岩波書店

弘前城築城四百年 城・町・人の歴史万華鏡 長谷川成一(監修) 2011清文堂出版

ウルフ・ウォーズ オオカミはこうしてイエローストーンに復活した ハンク・フィッシャー(著)朝倉裕、南部成美(訳) 2015 白水社

オオカミが日本を救う! 生態系での役割と復活の必要性 丸山直樹(編著) 2014 白水社

日本現代怪異事典 朝里樹 (著) 2018 笠間書院


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