18(狼?)
「おっと……」
神職はゆっくりと言った。
「お連れの方は待合室でお待ちいただく手はずだったのだが」
背後から登場した僕のドッペルゲンガーは、僕の姿形で、僕のような動き方で、僕の声音と頭の中をして、言う。
「それです。あの書き置きではっきりわかりました。もし藤木先生なら、燈花をこの場から遠ざけようとするだろうと思ったんです。どんなに不自然だろうが、燈花がここに来てしまうのはどうしても嫌だ。燈花に姿を見られたら困るから。狐に見られたら一瞬でその変装がバレてしまうから、僕一人で来るようにしたんでしょう」
神職の目は笑っていない。
「はて、変装とは。何のことだか」
「だってそれ、衣装のウラヅキで借りたでしょう」
「は?」
「それ、『不思議な力を持っていそうな神職の装束セット(二級上)』でしょう」
「え」
「僕のバイト先で借りるって、本気で変装する気あるんですか?」
まあ、僕のバイト先で僕の衣装借りたやつもいたけどな。
神職は肩をすくめ、観念したように顔を撫でると、その顔は僕の見知った顔だった。
「やれやれ、簡単にバレるもんだね。バレバレ入道かな」
「「バレバレ入道ってさすがに何だよ」」
*
「しかし、なんだって神谷内くんが二人に増えているのかな。別に稲荷木くんの姿のまま来たって良いだろうに」
「演出上の都合ですよ。これは僕の問題だから、僕が知らなければならない。燈花とはあんまり関係ないですから」
僕のドッペルゲンガーは言う。
「さてはて、一体何を知らなければならないって?」
「その狼の意味です」
僕は言う。
三方に置かれた狼の札。
「藤木先生、あなたはわざわざ、手下の無量という女を使って、燈花のお父さんに情報を吹き込んで、僕たちをこの神社に誘導した」
僕のドッペルゲンガーが言う。
「そのうえで、変装して僕たちを出迎え、その御札を回収した」
僕は言う。
「先生は公安から追われる身ですが、それにしたって相手が僕だったら、変装する必要はないはずでしょう。普通に現れて、普通に御札を回収することも出来たはずだ。それなのにわざわざ変装して、できれば自分だと気付かれずにことを運ぼうとした。なぜか」
僕のドッペルゲンガーが前に出る。僕たちは交互に言葉をつなぐ。
「みとはちさんに頼んで、先生の身元を調べてもらいました。大学教員、その前は高校教師、けれどおそらく本職は文化庁で妖怪を保護する人、そしてそれらとは別に、先生あなたは、『日本にオオカミを取り戻す会』の創設メンバーだそうですね。本まで出してる。あなたは狼を、動物としても神としても、日本に復活させようという思想を持っている」
曰く、日本からオオカミが絶滅したことで、生態系はピラミッドの頂点を失い、バランスが崩れた状態にある。それがシカやイノシシの大量発生に繋がり、様々な害をもたらしている。同様に、日本人が山の神の頂点たる狼に対する信仰を失ったことで、山の怪異のバランスも崩れてしまった。
「だから僕にその狼を背負わせたのも、実験なり、育成という側面があったんじゃないですか」
藤木は肩をすくめ、それで、と先を促す。
「あなたはその狼を無事に回収して、『狼の再導入』に使うつもりなんだ。僕が燈花を攻撃しかけたことで、十分に狼が成長したと判断したんでしょう。けれどその回収の事実を、利用の事実を、出来れば僕には知られたくない。僕を利用したんだってことを、出来れば隠しておきたい。だから自分で回収するんじゃなく、全く別の専門家に処分してもらった、という状況に誘導したんだ。そうじゃないんですか」
僕のドッペルゲンガーは言う。
「僕はそれを知りたい」
僕は言う。
「藤木先生を恨んだりしませんよ。一部でも、ほんの一部でも良いから、僕を怪火から救おうとしてくれたのなら、ついでに利用されていたのだとしても、それでいいです。いや、贅沢は言いません。助けるついでに利用したんじゃなくて、利用のついでに助けてくれたのだって構わない。先生には色々とお世話になりましたから。そう言ってくれればいいのに。こんなふうに、隠さなくたって良いじゃないですか」
藤木は困ったような微笑みを浮かべて、何かを言いかける。僕は心臓が気持ち悪くよじれるのを感じる。台本はここまで。この先に何があるのか、僕は知らない。僕は知りたい。
燈花から教えられた情報と、これまでの状況は見事に繋がりあって、藤木先生の真の目的は明らかなように思える。けれど同時に、彼が僕をただ利用して、狼の育成に使っているだけだということを、僕は素直に認められない。藤木先生がそんなに完全な悪者だと、僕には認められない。せめて、せめて少しだけで良いから、僕を助けようとしてやったのだと言ってくれればいい、そう縋りたくなってしまう。
僕は藤木先生の答えを待つ。
けれど、言葉を発したのは、彼ではなかった。
「そう、思っていました。今朝までは」
僕のドッペルゲンガーが発したそのセリフは、僕の台本にはなかった。
*
「ここからは、香織の口から言わせるのは申し訳ない話です」
見れば、僕のドッペルゲンガーはすでに僕ではなく、稲荷木燈花の顔と声に戻っている。服は僕の服のまま、恐ろしく似合わない。
「おやおやどうしたんだい稲荷木くん。久しぶりに会ったら、ずいぶんと服のセンスが変わったね」
「恋人の影響です」
ほう、と藤木は笑う。
「ごめんなさい、香織。作戦の後半を伝えていませんでした。これは藤木先生の前で、私一人で、言わないといけないと思ったのです。ごめんなさい」
僕は呆然とする。一体何を言おうというのだ。
「みとはちさんが、働きすぎてしまったらしいのです。先生の身元を探ることしか最初は頼んでいなかったのですが」
そうして燈花は、封筒を取り出した。今朝、ホテルのロビーで受け取っていたものだ。大したものじゃなかった、と言って僕には内容を教えてくれなかったけれど。
「これは五年前の消防と県警の、金沢市内連続放火事件の捜査資料です」
はじめて藤木の顔が、驚きに歪む。
「セオリー通り、占い師を先に噛んでおくべきだったんじゃないですか、先生」
*
■実況見分調書(火災番号××××× 平成××年10月××日)
表記の火災について、関係者の承諾を得て次の通り見分した。
調書作成者 ××消防署 消防司令補 ××××
見分場所 ××市立錦ヶ丘中学校 新棟屋上
立会人 市立錦ヶ丘中学校 学校長 ××××
□現場の位置及び付近の状況
現場は金沢城址から県道31号線沿い南東に約900メートルに位置している。県道31号線沿いは中高層の建物が並ぶが、内側に入ると住宅地が密集している。都市計画法による用途地域は、準住居地域で、防火地域に指定されている。消防水利は、市立錦ヶ丘中学校プールに加え、半径100メートル以内に消火栓3基が配置されており、良好である。
現場は、市立錦ヶ丘中学校の敷地内南西側に位置する新棟の屋上で、対面する南西側の敷地境界は幅員3メートルの私道で、日中でも人通りは少ない。
現場付近の状況は図1に示すとおりである。
□り災状況
焼損しているのは、市立錦ヶ丘中学校の防火造4階建校舎の屋上南側の半径1メートル程度の範囲の床面及び排水溝の落ち葉等の堆積物並びに樹脂製の容器である。
屋上床面を見分すると、床面は塩ビ防水シート仕上げで、表面が半径1メートル程度黒く煤けている(写真1参照)。建物周縁部の排水溝に堆積していたものと見られる落ち葉が焼け、灰となり周囲に散乱している(写真2参照)。落ち葉が焼けたものと見られる灰の中に、樹脂製の容器があり、焼損が激しく原型を留めていないが、一辺が3センチほどの直方体であったと考えられる。燃え残っている直方体の三面の内側の焼損が特に激しく、真黒になり一部溶融している(写真3参照)
*
■鑑識・鑑定等結果書(火災番号××××× 平成××年11月××日)
表記の火災の資料 第××号樹脂製容器 について、鑑識・鑑定を実施した結果は次の通りである。
□鑑識見分内容
容器は一辺約3センチの直方体のうち三面が残存し、残りの三面については焼損し溶解したものと認められる。容器は難燃ABS樹脂製であり、厚さ1ミリ程度であり内部が中空であったものと推定される。内部の付着物の分析によれば――――
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■鑑識・鑑定等意見書(火災番号×××××、×××××、×××××、×××××および××××× 平成××年12月××日)
表記の一連の火災の資料に関する意見照会につき、以下の通り申し述べる。
意見書作成者 ××市 怪異福祉局 指導監査課 課長代理(精密検査担当) ××××
□意見内容
実況見分内容及び鑑識見分内容より、本件資料は無登録の鬼火発生装置である疑いがあり、速やかに怪異福祉局ないしは公安妖異局による精密検査を実施されたい。
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その捜査資料は、いずれの不審火現場でも、共通する時限式鬼火発生装置とやらが火元になっていたという記録を残していた。
中学校屋上。
ビジネスホテルの一室。
犀川大橋の自動車。
日宮神社の拝殿。
そしてオフィスビルの天井。
「消防、警察、怪異福祉局と事案がのぼっていくに連れて、最後には不思議な圧力で捜査が打ち切られているようですが、つまりそういうことなんですよ」
燈花は書類をバサバサ言わせながら続ける。
「香織の、いや香熾の、火鼠が成したというこの一連の怪火事象。これに客観的に、放火であるという説明がつくんです。誰が放火したかまでは言い切れないにせよ、これが火鼠でないことは、『ねずみのしょんべん』でないことは、明らかだったんですよ」
藤木は黙って、物思いに沈んでいる。
「たまたま昨夜、出来の悪い都市伝説を聞きました。簡単に言うと、怖い幽霊があなたの足を奪いに来るが、神様が守ってくれるので平気ですよ、という話です。それと合わせて思いついたんですけれど。思いついてしまったのですけれど。つまりこれは、藤木先生、あなたがやったのは」
燈花が声を荒げる。燈花のそんな声、僕は聞いたことがない。
「君には怪火が憑いているけれど、狼を憑けてあげるから平気だよ」
僕はもう一度、自分の手を見る。僕には何も見えず、何も感じられない。
「香織の話では、香織は実際に火事が起こるタイミングに現場に居合わせていません。唯一その瞬間を目視したのは犀川大橋の自動車爆発ですが、これはものすごく遠目から眺めただけで、しかもその直後に彼女の記憶は、不思議な催眠術で途切れている。すべての火災は演出可能で、あなた自身が、後付で放火できたんです」
何も見えず、何も感じられない。
「怪火なんて、もともと存在しない。それなのに一連の放火をうまくやることで、状況を作り出すことで、香織に火鼠の存在を信じ込ませた。狼を背負ってくれる人を作り出すために、怪火を演出し、でっち上げた」
燈花が続ける。その向かう先に、僕は辿り着いてほしくない。
「だとすれば、そこには助けようだなんて気持ちは、一つも存在しない。最初から最後まで、あなたは香織を利用しただけです。全部、嘘だった」
燈花が断じる。
「あなたがラストウルフです、藤木先生」
その一瞬の空気が、空間が、甘くて煙たいにおいで満ちる。燈花の必死の形相に、藤木先生は答えない。
ゆっくりと、藤木先生が手を上げて、僕に向かって微笑んで。
「良い友達が出来たね、神谷内くん」