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04 ありがとう 1


 拓郎が住んでいるのは、東京とは言っても郊外に建つ、オーソドックスな二階建ての木造アパートである。八軒ほどが入居しているが、いずれも単身者ばかりだ。

 二階の東南の角部屋、日当たりが良いのだけが取り柄の部屋だが、洗濯はコインランドリーで済ませてしまうし、植物を置く趣味があるわけでもないので、拓郎にとっては、その好条件もあまり意味は無かった。

 間取りは、1LDK。半畳ほどの狭い玄関を入ると、約十二畳ほどの洋間のLDK。後は寝室として使っている六畳の和室。決して広いとは言えないが、拓郎にとっての「我が城」だ。

 だが、我が城とは言っても、悲しいかな貧乏暇なし。

 普段は、師匠の写真家・黒谷隆星の所に助手として詰めているか、他のアルバイトで飛び回っているか、今日のようにプライベートで写真を撮りに出ているかで、このアパートに居ることは少ない。現に、明日も朝から三日間、師匠のお供で撮影旅行に行くことになっているのだ。

「狭くて汚いけど、ちょっと我慢して。多分、野宿よりはマシだから」

「お邪魔します」

 玄関先でペコリとお辞儀をすると、藍は拓郎の後に続いて部屋の中に足を踏み入れた。

 人の気配のない部屋の中は、シンと冷え切っていて肌寒く感じる。拓郎は、ファンヒーターと、居間スペースの真ん中に置いてあるコタツのスイッチを入れた。

 コタツは二人掛けの小さなものだが、ほとんどの床面積を占領している。他にあるのは、テレビとサイドボードと『何でも便利物置』こと、ステンレスのパイプラックだけだ。

『味気ない部屋』を絵に描くと、たぶん、こんな風になるだろうと言う見本のように何もなかった。モノトーンのコタツ掛けやカーテンが、余計に味気なさを助長しているのかも知れない。唯一の救いは、部屋にいる時間が短いから、あまり散らかっていないことくらいだろう。

「適当に座ってて。今、夕飯に何か作るから」

 拓郎は藍をコタツに座るように促すと、自分は腕まくりをしながらキッチンに向かった。

「あの、何か、お手伝いします」

「お客様は、座ってなさい。これでも料理の腕は、なかなかなんだ。なんて、インスタントだけどね」

「あ、はい。すみません」

 藍はペコリと頭を下げると、しばらくコタツを物珍しそうに眺めてから、ちょこんと正座をして、怖々と膝先をコタツ布団の中に入れた。

「温かい……」

 ほっとしたように、顔をほころばす。

 車の暖房は効いていたが、コートを着ているとはいえ、さすがにワンピース姿では足下が冷えたのだろう。それに、今日は朝から一日、モデルとして歩き回らせてしまったから、疲れてもいるはずだ。

「遠慮しないで、足、崩して。それじゃ、すぐ痺れるよ」

「あ、はい、すみません。初めてなので勝手が分からなくて……。でも、とても温かいですねこの暖房器具」

「え!?」

 ――コタツを知らない!?

 初めて来た部屋で緊張しているのだとうと思っていた拓郎は、藍の言葉に驚く。

 緊張しているのではなく、藍は文字通り『もの珍しかった』のだ。

「コタツ、使ったことないの?」

「はい。あ、『コタツ』って言うんですね、これ」

 日本の庶民の暖房器具は? と問われれば、コタツだと拓郎は答える。そのコタツに縁の無い生活って言ったら……。

 これは、もしかして、どこぞの箱入り娘を拾ってしまったのかも。

 そうなら、十中八九捜索願いが出ているだろうし、警察も捜査に熱心だろう。勿論、拓郎に藍をどうこうする気は毛頭無いが、世間ではそうは見ない。

『27歳カメラマン、17歳家出少女を自宅アパートに連れ込む』

 真実がどうあれ、事実には違いない。下手をすると、新聞の三面記事を飾って、お縄頂戴になりかねない。

 どんな事情があるかは知らないが、早めに説得をして、家にお帰り願った方が良さそうだ。

 料理を進めながら、『う〜む』とそんな事を拓郎が考えていると、しばらく物珍し気に部屋を見回していた藍が遠慮がちに声を掛けてきた。

「あの、ご家族はいらっしゃらないんですか?」

「ああ。家族はいないんだ」

 拓郎が、ごくさらりと答える。

「親は、俺が八才の時に交通事故で、二人仲良く墓の中。兄弟もいないし、親戚とは疎遠でね。気楽な物さ」

 拓郎は、軽く肩をすくめた。

「あ……」

 驚いたように声を発した藍の表情が、見る間に曇って行く。

「すみません。余計なこと聞いてしまって……」

 そう言って、俯いてしまう。

 同居の家族がいないのは一目瞭然だし、別に隠すことでもない。昨日今日一人になった訳でもないので、拓郎自身は何のためらいもなく事実を言っただけなのだが、藍はシュンと、うつむいたまま顔を上げようとしない。

 こういう身の上話を聞いたときの人間の反応は、大体大きく二つに分かれる。

『気の毒に』と同情するか、あるいは、同情しているように見せるか。

 そんな意地の悪い分析が出来るほど、拓郎自身はあまり頓着しないでいるが、藍の方はそうも行かなかったらしい。

 ――気にさせてしまったかな。

 こうもストレートに反応されると、逆に気の毒になってしまう。

 でも、拓郎には藍の反応の仕方で一つ、気になることがあった。

「それ、止めにしない?」

 なるべく何気なく聞こえるように、柔らかいトーン声で拓郎が話し掛けると、藍はピクリと顔を上げた。

「はい?」

 何の事を言われているのか分からない様子で、きょとんとした表情を見せる。

「あの……すみません。良く分かりません」

「それ。その『すみません』ってヤツ」

「あ、あの……?」

「藍ちゃんさ、自分では気付いてないかも知れないけど、その『すみません』って、口癖になってるよ。別に悪いこと、聞いてないだろう?」

 長ネギを見事な包丁さばきでリズミカルに刻む拓郎の横顔に、藍は思わず『すみません』と言いそうになって、言葉に詰まった。

「まあ、悪いことしても、謝るってこと知らないヤツが多いから、君みたいな人貴重だとは思うけどね」

『よっ』と、ビニール袋から取り出した乾麺を二つ、沸かした鍋に入れると拓郎は、藍の方に顔を向ける。

「でも今度もし、『すみません』って言いそうになったら、こう言ってごらん。『ありがとう』」

「ありがとう?」

「そう。プラス笑顔で、怖い物無し! これが俺の処世術」

 そう言って拓郎はニカっと、『100%ウェルカム』な笑顔を浮かべた。

「あ……りがとう、ございます?」

 藍が真似をして、ニコリとぎこちない笑顔を作る。

「そう、それ!」

 ニコニコと笑う拓郎に引きずられるかのように、藍の顔にも少し少しずつ本当の笑みが形作られていく。

「はい。ありがとう、ございます!」

 元気に発せられた言葉と共に、この時初めて、藍の顔に心からの笑みが浮かんだ。



「あり合わせだけど、どうぞ」

 トンと、コタツの天板に置かれたのは、えび茶色のラインの入った大きな白いどんぶり。 茶色いスープの中には、黄色い縮れた麺とキャベツに半熟の落とし卵。その上には綺麗に小口切りされた長ネギがこんもりと乗っている。仕上げは、スイートコーンのトッピング。味噌風味の何とも言えない香ばしい匂いが、熱々の湯気と共に立ち上って食欲中枢を刺激した。

 藍の顔に『うわ……、美味しそう』と言う表情が浮かぶ。

 今にも『ぐう』と催促をする腹の虫が聞こえて来そうだった。

「インスタント・ラーメンだけど、もしかして初めて食べるとか?」

 笑いを堪えつつ質問する拓郎に、藍が至極真面目な顔で答える。

「はい。初めてです。スパゲッティは良く食べましたけど」

「ホントに!?」

 冗談半分に聞いた事が的を射ていたことに、思わず拓郎の声がワントーン上がった。

「はい」

 ニッコリと『いただきます』をして、拓郎が猫舌用に用意したみそ汁のお椀に小分けしながら、藍は少しずつ麺をすする。

 瞬間浮かんだ『美味しい』の表情に拓郎はクスクス笑いが止まらない。

 しかし……。

 コタツにインスタントラーメン。

 拓郎には生活の友のこれらを知らない少女。

 どこの深窓のご令嬢なんだ?

 話し方といい物腰といい、拓郎が知る普通の十七歳とは確実に違う。

 それに。

 今日一日一緒に過ごしたことで打ち解けたのだろうが、それでも、たった一日だ。お互いのことは、何も知らないに等しい。なのに藍は、今日会ったばかりの拓郎に、既に全幅の信頼の様なものを寄せている様子が見て取れた。

 最初はともかく、今は男性一人の部屋に二人きりで居るというのに全く意識していない。

 あまりに無防備で、簡単に人を信用しすぎる。

 ――良くこれで、今まで無事だったな……。

 これが、そこら辺に良くいるナンパ野郎やスケベ親父に捕まっていたら、だだでは済まなかっただろう。

 いよいよこれは危なっかしくて、素性がはっきりして親元に帰すまで放っとけないぞ。

 でもまさかこのまま、いつまでも男所帯に置いておく訳にはいかないし。

 さてどうした物か……。

 思案に暮れる拓郎の脳裏に、一人の女性の顔が浮かんだ。

 このアパートの大家で拓郎の親代わりでもある『おばさん』こと、佐藤君恵さとうきみえ

 ――おばさんに相談してみるか。

 仕事で留守にする明日から3日間。取りあえず、あの人に、お願いして行くしかないか。もしも、留守の間に家に帰る気になれば、それはそれでいいことだし。

「芝崎さん?」

 考え込んで箸の止まったところに藍に声を掛けられ、拓郎はハッと我に返った。

 視線を上げると、不思議そうに見詰める藍の顔。

 警戒心の欠片もないその顔を見ていたら、藍の警戒心のボーダーラインはどの辺なのだろうという好奇心に駆られた。

 ちょっとした、悪戯心だ。

「あ、食べ終わったら、お風呂に入るといい。一日動き詰めで疲れただろうから、ゆっくりどうぞ」

 と、ニッコリ言ってみる。

 すると、藍の箸が止まった。

「あの、でも……」

 驚いたように拓郎を見詰めていた藍が、もじもじと言い淀むのを見て、拓郎は少しほっとした。初めて上がった部屋で男に風呂を勧められたら、さすがに警戒してくれないと、いよいよもって心配だ。

 が、そう思ったのも束の間だった。

「私、この三日お風呂に入っていないので……。芝崎さん、お先に入って下さい」

 頬を染めて、恥ずかしそうに言う藍を見て、拓郎は思った。

 ――恥ずかしがるポイントが違うぞ、と。



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