淡雪 4
息付いていた、小さいけれど確かな命。
それが、あっけなく失われるさまを目の辺りにした藍は、自責の念もあって、今までになく落ち込んでいた。
しらたまが、その短い生を終えてから丁度一週間。
今日は、2月14日。
時計の針は、もう少しで夜の7時を指そうとしている。
つい1時間ほど前までは、『バレンタインだから、一緒にチョコレートを作りましょう♪』と言って、美奈が娘の恵を連れてアパートに遊びに来ていた。
まだ、ショックから完全に抜け出しては居ないが、恵と一緒に童心に返ってクッキーの型抜きをしたり、味見をしたりするのは楽しい一時だった。
ただ、楽しいと思ってしまう自分を後ろめたく思う一面も有るのは否めなかったが――。
それでも、しらたまの事があって以来、落ち込み気味な自分を励ましに来てくれたのだろう美奈の心遣いが、藍はありがたかった。
『一年に一回、女の子から告白出来る日なんだから、キスの一つでもお見舞いしてあげなさい。少しはあの唐変木も、考えを改めるでしょ。頑張ってね♪』と、美奈はいつものごとく、少し人の悪い笑みとアドバイスを残して返っていった。
藍は、コタツの上に並べたいつもよりちょっと豪華目な料理を眺めながら、美奈の言葉を思い出して小さな溜息をついた。
しらたまの亡骸を膝に抱いて、ただ涙を流すしか出来なかった自分の隣にずっと座っていてくれた拓郎。
何か特別な言葉をくれた訳じゃない。
でも、ずっと隣に座って居てくれた。
すぐ隣に感じる気配が、温くて。
ただ側に居てくれることが、とても嬉しかった。
出会いの日。
凍てついた寒い冬の夜。
手を差し延べてくれた、優しい人。
初めは、ほんの少しの間のつもりだったのに。
その優しさが、あまりに心地よくて。
いつの間にか、側に居ることが当たり前になって、離れることが出来なくなっていた。
そして、心の中で願ってしまう自分がいることに気付いてしまう。
――もしも、出来るなら。
――もしも、許されるなら。
――もしも、あなたを好きだと言ったら、何かが変わるだろうか。
ピンポーン――。
不意に上がったインターフォンの音に、考えに沈んでいた藍は、はっと我に返った。
ガチャリとドアの開く音と同時に、外の凍るよな冷たい空気が一気に暖まった室内に流れ込む。
「あ、おかえりなさい」
玄関でぱたぱたと体に掛かった白い粉を払う拓郎に、藍は慌てて歩み寄った。
「ただいま。とうとう降り出したよ、雪」
そう報告する拓郎の目には、楽しげな光が揺れていた。
「雪!? 雪になったの?」
そう言えば、暖房をかけているのに、急に部屋の温度が下がった気がする。
「ああ。淡雪だから、そんなには積もらないだろうけど、もう一面、真っ白になってるよ」
藍は、サンダルを引っかけて、パタパタと廊下に顔を出した。
「あ……」
藍の視界に飛び込んできたのは、闇の中浮かび上がる一面の白い色彩――。
家も道路も木々も、全てが白い色彩で覆われている。
雪の降り積もる微かな音だけが、静謐なその世界を支配していた。
「綺麗――」
純白の絨毯。
それは藍に、あまりに早く逝ってしまった、白い子猫を思い起こさせた。
「雪、見たの初めて?」
「はい」
藍は、廊下の手摺りから背伸びをして、手のひらを空に広げた。
フワリ、フワリ。
広げた手のひらの上に、白い花のような淡雪が降り落ちる。
降っては融けるその姿は、どこか儚くて切ない。
藍は、差し延べていた手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
「よし! ちょっと遊ぼうか。外に行くから暖かい格好して」
まるでやんちゃ坊主のように、拓郎が『ニカッ』っと笑った。