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08 淡雪 1

 月も変わった、二月始めの休日。

 入っていた仕事がOFFになった拓郎は、藍と一緒に、佐藤家の飼い猫『ちゃー』が生んだ子猫のうちの一匹を譲り受けるため、佐藤家を訪れていた。

 ちなみに美奈一家は、夫の貴之と娘の恵と三人で遊園地にお出かけしていて、家に残っているのは祖母の君恵だけだ。

「どの子でも良いから、好きな子を選んでね藍ちゃん。こう言うのは、人間もそうだけど猫も『波長が合う』って言うのがあるから」

「はい。ありがとうございます」

 君恵の言葉に、藍は嬉しくて仕方がないと言うように、ニコニコと笑みを返す。

 藍にとっては『始めてのペット』なのだ。

『動物を飼うのって、子供の頃からずっと憧れていたんです』

 藍は出掛けにそう言って、嬉しそうに瞳を輝かせた。

 拓郎も、自分が仕事であまりアパートに居られない事もあり、ペットでもいれば藍も寂しい思いをしないで済むだろうと、『子猫を飼いたい』と言われたときに賛成したのだ。

 居間に置かれている猫用のベットの中には、母猫、茶トラの『ちゃー』と、大分猫らしくなってきた六匹の子猫たちがいた。

 ちょうど授乳タイムのようだ。

 おまけに、父猫のクロスケも混じって眠っていて、何とも微笑ましい。

 人間に限らず、幼体、赤ん坊と言うのは可愛い。

 これは、大人の保護欲をかき立てて護って貰うための『生物としての戦略』だそうだ。

 いつだか、テレビの動物クイズ番組で、そんなことを言っていたが、目の前のあどけない子猫たちを見ていると、『なるほど』と、拓郎は納得してしまう。

 手も足も顔も全てが丸いフォルムで、クリクリと青みがかったつぶらな瞳は、まるでヌイグルミのように愛らしい。

「どの子も、可愛いですね。でも……」

 ちゃーの乳を懸命に吸う子猫たちに、最初は楽しげに視線を落とていた藍が、表情を曇らせて声を詰まらせた。

「でも?」

 拓郎の問いに、藍は子猫たちの頭をそっと撫でながら、遠くを見るように目を細める。

「何だか、連れて行ってしまうのが可哀想な気がして……」

 ――子猫を、母猫と引き離してしまうこと。それが可哀想だと、そう言っているのだ。

「まあ、確かにこういう姿を見ていると、引き離すのは可哀想な気がするけどね」

 人間に飼われているのでなければ、もう少し大きくなるまで親猫と一緒に居られるのだろう。

 まだ幼い子猫を母猫から引き離すのは、確かに心が痛む。

 だが、だからと言って、無尽蔵に新しく生まれた子猫を飼い続けることは出来ないのが現実だ。

 飼い主は、責任を持って子猫の引き取り手を捜すか、又は、子供を増やさないように去勢手術を施すか、その選択をしなければならない。

 猫からすればいい迷惑だろうが、それがペットを飼う人間の責任であり義務なのだと、拓郎は思っている。

 だがそもそも、捨て猫だった『ちゃー』と『クロスケ』を拾ってきたのは拓郎なので、偉そうな事を言えた義理ではないのだが。

「家で貰わなくても、誰かに貰われて行くんだけど、どうする? やめておく?」

「芝崎さん、その言い方、少し意地悪です」

 からかうような拓郎の声音に、藍は少し頬を膨らました。

 このごろ、藍は拓郎に対して、こういう表情を見せてくれるようになった。

 出会って四ヶ月あまり。

 藍に対する自分の気持ちに気付いた拓郎だったが、相変わらず二人の関係は何の進展も無い『恋人未満』だった。

 だが、少しずつではあるけれど、何かが変わりつつあるのを、拓郎もそして藍も感じていた。

 時が確実に、二人の距離を縮めている。

 青い木の実は、確かに色付き始めていた。


 しばらく子猫たちを楽しげに見ていた藍は、一匹の子猫に目をとめた。

 六匹の子猫のうちで一番体が小さい、白いメスの子猫。

 色素の薄い水色に近いブルーアイ。目尻には、目ヤニがこびり付いていて、ハッキリ言って、見るからに弱々しい。

 他の兄妹たちが、母猫の茶トラと、父猫の黒い毛並みのどちらかを受け継いでいるのに対して、その一匹だけが真っ白い毛並みをしている。

 体力も他の子猫に劣るのだろう、乳を飲むのも一番端っこで、他の子猫に押しつぶされそうになっていた。

「この子……。この白い子猫、頂いてもいいですか?」

 藍が、その子猫を指さしながら君恵に尋ねるのを見て、何故か拓郎は『やっぱり』と思った。

 なんとなく、そんな気がしたのだ。

「う~ん。このオチビさんねぇ……」

 じっと、白い子猫に熱い視線を送る藍に、君恵は困ったように言葉を濁した。

「あ、他に、欲しい人がいるのなら、良いんですけど」

 そう言えば、君恵から『貰い手が決まった子猫がいる』と聞いていたことを思い出した藍は、慌てて言葉を付け足した。

「そうじゃないんだけどね……」

 と、君恵は意味ありげに、拓郎に目配せをする。

『あなたが話して』というジェスチャーだと、拓郎は悟った。

 気は重いが、仕方がない。

 ポリポリと鼻の頭を掻いた後、拓郎は藍の瞳と自分の視線を合わせた。

「藍ちゃん、この白い子猫はもしかしたら、育たないかもしれないよ」

「え……? 育たない?」

 諭すように言う拓郎の言葉に、藍は驚いたように目を瞬かせる。

「そう。この子は他に比べてかなり体が小さいだろう? こういう個体は外見だけじゃなく内蔵も未熟な可能性があるんだ。他の子猫に比べて体力も劣る。……結果、病気になりやすく、育ちにくい」

 飼い猫だからこそここまで育っているが、自然界であれば、真っ先に外敵の餌食になるタイプだ。

「そんな……」

 拓郎の予想通り、藍は悲しげに声を詰まらせて、白い子猫をじっと見詰めた。

 沈黙の時が、静かに流れる。

 嘘を言っても、始まらない。弱い子猫は生き残れない。

 それが猫に限らず、生物に科せられた変えようのない現実だ。

『子猫の育ての親』になるのは、拓郎じゃなく藍なのだ。どうするかは、藍自身が決めること。

 生まれながらに弱い個体を、それと知った上で飼いたいと言うのなら、拓郎は反対する気はない。ただ、なるべくなら、藍の悲しむ顔を見たくないと、そう思ってはいるが。

 拓郎は急かすことなく、藍が答えを出すのを、ただじっと待った。

「私……」

 しばらく考え込んだ後、静かに口を開いた藍の横顔に、拓郎は決意の色を見た。

「うん?」

 素直なようでいて、こうと思ったことは決して引かない。

 出会ったときから感じていた藍の芯の強さ。

 拓郎は時々、そんな藍の強さが羨ましくなる。

「やっぱり、この子が良いです」

 藍は、まだ懸命に乳を吸う小さな白い子猫の頭を、そっと撫でる。

 たぶん、藍ならばそう言うだろうと思っていた拓郎は、クスリと口の端を上げた。

 確かに、出会いにはインスピレーションが大切だ。

「じゃあ、名前を決めなくちゃいけないな。ネーミングセンスの見せ所だよ、藍ちゃん」

「はい」

 拓郎に反対されると思っていたのか、藍は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに頬を緩ませた。

 こうして、拓郎のアパートには、扶養家族がもう一匹増えることになった。

 この新しい住人――。

 いや、住猫が、二人に何をもたらすのか。

 できればそれが、幸福の領域に近いことを、密かに願う拓郎だった。




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