恋人未満 3
大家宅で昼食のおせち料理を堪能した後、藍は君恵と美奈と連れだって、キッチンに『後片付けの手伝い』と言う名の井戸端会議に行ってしまった。
美奈の夫の貴之も、地区の新年会とやらで出掛けてしまい、居間に残されたのは、美奈の娘の恵と拓郎だけになった。
恵は、満腹になってお昼寝モードに突入してしまったので、一人手持ちぶさたの拓郎は、コタツにごろりと横になり、一連の藍の爆弾発言を思い出していた。
クスクスと、溜息混じりの苦笑いを漏らしながら、隣で眠る恵の天下太平な顔にぼんやりと視線を移す。
――いつか俺も、人の親になる時がくるんだろうか?
スヤスヤと安心しきって眠る幼子に、来るかどうかも分からない未来図を重ねている自分にハタと気付いて、拓郎は少しばかり驚いた。
今まで彼女が出来ても、こんな風に考えたことなどただの一度も無かったのだ。
年を取った……と考えるべきか、それとも。
「しょうもない……」
『私の酒が飲めないの?』と、無理矢理美奈に呑まされた日本酒が、少し回ってきたようだ。
クリスマスの時のように無茶な飲み方ではなく、ほろ酔い程度なので、寝ぼけて何かをしでかす心配は無いはずだ――。
自嘲気味な笑いを自分に向けつつ、そのまま気持ちよくウトウトと眠りの中に落ち掛けたその時。
ぺちん!
「わっ!?」
いきなり誰かに頭を叩かれた拓郎は、情けない声を上げて飛び起きた。
「ふふふ。藍ちゃんに聞いちゃった。クリスマスの夜、酔っぱらって押し倒したんだって?」
不敵な笑いを浮かべて、仁王像のようにそそり立つ美奈に、拓郎はげんなりと力の無い視線を向ける。
「話を作らないで下さい、人聞きの悪い。そりゃあ、酔っぱらって寝ぼけたのは確かだけど……」
「でも、キスして一緒のベッド寝たんででしょ?」
「え……」
そうか。
やっぱり、そうだっか。
根性なしに自分では確かめられずにいたことを、美奈にズバリと言われて拓郎は大きなため息をついた。
思わず項垂れる後頭部を、再び美奈にぺちんと叩かれて、拓郎はコタツの天板に突っ伏してしまう。
「何、正月そうそう、ため息なんかついてんのよ。珍しく重い腰を上げて偉いと褒めてやろうと思ったのに」
「……何だってそんなに俺と彼女をくっつけたがるんですか? 分かってますか、彼女は十七歳。未成年なんですよ。下手なことをしてお縄頂戴は、嫌ですから、俺」
「何、常識人ぶってるのよ。藍ちゃんをアパートに連れ込んだ時点で、もう立派にボーダーライン超えてるでしょ。何も無いって主張して、世間一般にそれが認められるとでも思ってるの?」
コタツに頬杖を付いて、ニヤリと口の端を上げる美奈は『全てお見通しよ』と、まるで魔女のような笑みをたたえている。
麗香にしても、美奈にしても、どうも拓郎には、こういう姉御肌の女性に縁が有るらしい。
「アパートに、連れ込んだって……そういうこと言いますか?」
そんな身も蓋もない。
「客観的事実でしょうが?」
うう、反論できない自分が悲しい……。
「はい、その通りです。お代官さま」
拓郎は、ギブ・アップとはかりに、両手を力無く上げて見せた。
連れ込んだだけではなく、今も一緒に住んでいるとなれば、例えば藍の親なり身内なりに訴えられたら、事実はどうあれ、恐らく拓郎はめでたくお縄頂戴コースに乗り、新聞の三面記事を飾るだろう。
確かに意地の悪い見方だが、正論ではあるので、拓郎には何も言い返せない。
「これは、真面目な話だけど」
美奈は表情を改めて、声のトーンを落とした。
「……大事にしなさいよ。今時あんなに素直ないい子、いないわよ?」
どうも拓郎は昔から、この美奈と言う女性には頭が上がらない。
拓郎が中学を卒業して、母親の親友だった君恵を頼り上京してから実に十年以上、いつもこんな調子だった。
確かに年は二つ上だが、何よりこの姉御肌のさばさばした気性が、その原因だろう。
君恵と美奈母娘。そして美奈の夫の貴之と、その娘の恵。
佐藤家の人々は、拓郎にとって家族のような近しい人間達だ。
この人達に、迷惑を掛けるような事は、絶対出来ない。
「分かってますよ」
そう、分かっている。
藍に惹かれ始めている自分が居ることを。
そして、いつまでも、自分の気持ちに気付かない振りなど出来ないことも。
でも、焦りは禁物だ。
何よりも、藍の気持ちが拓郎にはまだ掴めていない。
嫌われてはいないはずだと思うが、それが異性に対する愛情なのか、それこそ拓郎には分からないのだ。もしかしたら、藍自信にも分かって居ないのかも知れない。
それほどに、藍はまだ幼いのだ。
時間は、いくらでもあるのだから、焦ることはない――。
拓郎は、ともすれば暴走しそうな自分の心に、そう言い聞かせる。
「あ、それはそうと拓郎」
「はい?」
「避妊はキチンとしなさいよね。あんたは子供が居てもおかしい年じゃないけど、さすがに十七やそこらで子持ちになったんじゃ、藍ちゃんに気の毒しちゃうから」
「……美ぃー奈ぁーさーん」
だからなぜ、一足飛びにそう言うことになるんでしょうか!?
拓郎は眉根を寄せて、渋面を作る。
「何よその顔。大事なことじゃない」
「それ、まさか、藍ちゃんにも同じ事言いませんでしたか?」
嫌ーなな予感を覚えつつ、拓郎は震える声を絞り出した。
「うん。言ったわよん」
至極ご機嫌さんなニコニコスマイルで、断言されてしまった。
ああ、やっぱり……。
がっくりと、肩の力が抜け落ちる。
「素直で、良い子だよねー藍ちゃん。『はい、分かりました』って、可愛いったらありゃしない。思わず抱きしめたくなっちゃうわ。って、抱きしめて頬ずりしちゃったんだけどね。これがまた、肌触りが、すべすべで、もちもちの、ぷるんぷるんなのよね!」
「……よかったですね」
もしかしたら、藍の爆弾発言は、この人の魔の手が及んだ結果なんじゃないかと、拓郎は本気で疑っていた。