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   聖なる夜に 2

「うわぉ。色、白っいねぇー、藍ちゃん!」

「え……、そ、そうですか?」

 クリスマスパーティも終わり、美奈と一緒に入浴することになった藍は、脱衣所で服を脱ぐなり全身に視線を浴びて、頬を赤らめた。

「うんうん、私って地黒だから憧れちゃうわぁ、ほら、うなじなんて真っ白」

 ついっ――っと首筋を撫でられ、藍は思わず『ひゃっ!』っと声を上げてしまう。

「おお、手触りもすべすべで、最高!」

「み、美奈さんっ!」

 藍は耳まで赤くしながら、尚も触ろうとする美奈の魔の手を逃れて、そそくさと風呂場へと逃げ込んだ。

 君恵の家は『檜風呂』で、大人なら五人は余裕で湯船に浸かれる広さがある。

 本当は、恵も『藍ちゃんと一緒に入る』と頑張っていたが、パーティではしゃぎ過ぎてしまい満腹になったとたん、夢の国の住人になってしまったのだ。今頃は、藍と風呂で遊んでいる夢でも見ているのかもしれない。



「ねえ、ちょっと真面目な話なんだけどさ……」

 体を洗い終わり、二人とも湯船に浸かってしばらくしたころ。いつもは歯切れの良い物言いをする美奈が、珍しく言いづらそうに口ごもった。

「はい?」

「藍ちゃんって、まだバージンだったりするのかな?」

「ばーじん、ですか?」

 藍は、言葉の意味が掴めずに、きょとんと目を見開いた。

 その反応に、美奈はちょっと困ったように「やっぱり」と呟いて、引きつり気味に口の端を上げる。

「つまりね、男の人と性的関係を持った事があるのかってこと」

「あ……ああ。いえ、ありません」

 美奈の質問の内容がやっと理解できた藍は、特に恥ずかしがる様子もなく、素直に答えを口にした。

「だよね。……ったく甲斐性の無いヤツめ」

「はい?」

「ううん。こっちのこと」

 ふう――、と一つため息を吐き、美奈は言葉を続ける。

「ねえ、藍ちゃん。藍ちゃんは、拓郎のこと、どう思ってるの?」

「どう……ですか?」

「好きか、嫌いかってこと。あ、勿論、男としてね」

 首を傾げる藍に、美奈は真剣な眼差しを向ける。

 美奈にとっても拓郎は、弟のようなものだ。

 不器用なくせに変にお人好しで、その上意地っ張りでカメラ馬鹿の少し困ったヤツではあるが、それでも大事な家族。母の君恵が見てきた拓郎の姿を、娘である美奈も同じように見てきたのだ。

 今まで温かい家庭という物に縁が薄かった分、これからは幸せになってもらいたいと心からそう思っている。

「男の人として……」

 藍は、自分に問いかけるように、美奈の質問を反芻した。

 好きか嫌いかと聞かれれば、好きだと思う。でも、一人の男性として好きかと聞かれたら、藍には即答出来ない。

 正直言って、分からないのだ。

 異性に対する愛情というのが、どんな物なのかが。

 藍にも、兄のように父のように慕っている人物がいた。でも、その人に対する気持ちとは又微妙に違う気がする――。

「あの……。よく分かりません」

「そっか」

「すみません」

「謝る必要なんてないわよ」

 美奈は母親の笑みを浮かべて、申し訳なさそうにしている藍の頬を、つんつんとつついた。

「でも、もしもね。拓郎が好きだと思ったら、その気持ちを伝えてあげて。アイツは、あなたよりも十も年上で、それなりに苦労もしているけど、それだけに臆病な所があるの」

「臆病……ですか?」

「そう。自分に向けられる好意や愛情の裏側に在るものを、無意識に探ろうとする……。まあ、幼少期のトラウマってヤツね」

「トラウマ?」

「そう、精神的外傷のトラウマ」

 藍は、両親を事故で亡くしたことを拓郎の口から聞いている。でも、拓郎の物言いからは、そのことに起因すると思われるような暗さは全く感じられなかった。

 考えてみれば、若干八歳の少年がある日突然両親を失ったのだ。それが、『トラウマの原因』になっていても、おかしくはないのかもしれない。

 だが、その夜。

 美奈の口から聞いた事実は、藍の想像以上に過酷なものだった。



「何、幽霊でも見たような顔をしているのよ。もう酔ってるの?」

『うん?』と、悪戯を思いついた少女の様な瞳で顔を覗き込まれて、拓郎はハッと我に返った。

「あ、いいえ……まさか、ここで貴方と会うとは思ってなかったので、少し驚いたんですよ。ぜんぜん気が付かなかった。いつからいたんですか?」

「最初から……って言いたいところだけど、ついさっき来たばかりよ」

 目の前でクスクスと楽しげに笑う、元恋人に対する拓郎の印象は、決して悪くない。

 付き合うきっかけを作ったのは麗香の方だったが、拓郎も確かにこの美しく理知的な年上の女性を好いていた。

 多分、恋していたのだろう。

 例えそれが一過性の物であっても、時の流れと共に自然と離れてしまう心を留めようと言う情熱を持てなかったとしても、確かにそこに愛情は存在したのだ。

 別に、嫌いになって別れた訳でもない。互いに雑事に追われ、何となく疎遠になってしまった、言うなれば『自然消滅』。

 まさかここで会うとは予想外で驚きだが、今の拓郎が麗香に対して感じるのは、幾ばくかの後ろめたさと、大部分を占める懐かしさだった。

「あら嬉しい。会って驚いてくれるなんて、まだ脈ありかしらね。隣、良いかしら?」

「あ、ああ。どうぞ」

 幾分回ってきたアルコールのせいで反応が遅れる拓郎を見透かしたように、麗香は艶やかな微笑みを浮かべフワリと甘い香りを纏いながら、拓郎座っているソファの隣に腰を下ろした。黒いチャイナドレスの裾に入った深いスリットを気にする風もなく、均整の取れた長い足を組んで頬杖を付くと、楽しそうに周りに視線を巡らせる。

「それにしても、黒谷先生のお宅には始めて伺ったけれど、さすがにご立派ね。私たち庶民には別世界だわ」

「そうですね」

 拓郎は、思わず苦笑した。

 そう言う麗香のマンションも、自分から見ればかなりご立派だったことを思い出したのだ。

 この人は、今もあのマンションに住んでいるのだろうか。

 そんな感傷めいた思いを抱きながら麗香の視線を追って、改めてパーティ会場になっている黒谷邸のリビングを見回す。

 40畳ほどもある広々とし空間に絶妙に配置された、洗練されたイタリアン家具。

 床は、総大理石張りで勿論床暖房付きだ。中央に配置されているメインのソファセットだけでも、大人がゆったりと10人は座れる。その他にも、普通サイズのソファセットが二つあり、その一つに拓郎は座っていた。

 代わる代わる酒を継ぎにくる先輩連中も今は、メインソファの方に居る黒谷を囲んで余興のゲームを始めたようだ。と言っても王様ゲームなどの宴会ゲームの類ではなく、黒谷の趣味であるチェス大会が始まったのだ。将棋やオセロならともかく、チェスのルールも知らない拓郎には、有り難いことにお鉢は回ってこない。

 毎年、この隙に、料理を堪能させて貰うのがいつものパターンだった。

「ワインで良いですか? シャンペンもビールも熱燗もお冷やもありますけど」

 拓郎が尋ねると、麗香は、テーブルに広げられた色とりどりのグラスと酒瓶をまじまじと見詰めて、愉快そうにクスクスと声を上げて笑い出した。

「ワインを頂こうかな」

「ワインですね。了解」

 もう何年も会っていないはずの麗香のその笑みは、昔と何も変わりがなく艶やかで美しく見えた。



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