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01 失踪

以前投稿した【蒼いラビリンス】の改訂版です。

少しは上達していることを願って。





 どんなに望んでも。

 どんなに願っても。

 どんなに祈っても。

 夢は、いつか、覚めるものなのかもしれない。

 それでも。

 今は夢を見よう。

 甘く、優しく、

 そして、儚い夢を――。


 四月の早朝。

 寝静まっていた裏町も、ゆっくりと活動を始める。

 うっすらと白み始めた町並の中、新聞配達のバイクの音が、何処かのんびりと朝の澄んだ空気を揺らしていた。

 東京とは言っても郊外にある、オーソドックスな二階建ての木造アパートである。

 日当たり抜群の二階の東南の角部屋。

 1LDKしかない手狭な間取りの寝室として使っている六畳の和室、そのセミダブルのベットの上で一人の男が今、夢から覚めようとしていた。

「う……ん?」

 朝か――。

 カーテンの隙間から差し込んで来る朝日に目を細めて、ベットサイドに置いてある目覚まし時計にちらっと視線を走らせる。

 デジタル表示は、AM5:55。

 寝起きが悪いこの男にしては、珍しく目覚まし時計に叩き起こされる前に、目が覚めた。これは、奇蹟に近い。

 今日は、九時に横浜で仕事の打ち合わせが入っていた。その前に片付けなくてはならない事もちらほらある。もうそろそろ起きなければ、間に合わなくなってしまう。

でもやぱり、眠いものは眠い。

 それにまだ、この甘いまどろみの中に、たゆたっていたかった。

 男はもぞもぞと寝返りを打ち、隣に寝ている筈の恋人の体温を求めて、手を伸ばした。

が、そこは既にもぬけの空で、冷えた布団の感触がヒンヤリと腕に伝わり、男の意識を覚醒へ促す。

 あれ? いない。

 パタパタとシーツの上に手を這わせるが、元よりセミダブルのベット。大人二人が横になれば満員御礼。いっぱいいっぱいなのだ。探すまでもなく、隣に人が寝ていないのは、一目瞭然だ。

あい、ちゃん?」

 昨夜、『ちゃん付け』『さん付け』で呼ぶのは止めようと二人で決めたのだが、今までの癖で思わず『ちゃん付け』で呼んでしまって、ちょっと苦笑する。実を言えば、男の方が言い出しっぺなのだ。

 当分、気を付けないと、この癖は抜けそうもない。

 それにしても、もう、起きたのか?

 いつもよりも大分早起きだ。

 今日は朝が早いと言ったから、先に起きてくれたのだろうか?

「藍?」

 少し大きな声で呼んでみる。

 でも、やはり答えは返ってこない。

 さすがに幾らか頭に血が巡ってきた男は、ベットの上に半身を起こして、藍の姿を求めて部屋の中に視線を走らせた。

 藍が好きだと言う、淡い黄色のファブリックで纏められた室内には、人の気配はない。

 その時、出番とばかりに、けたたましいアラーム音が狭い部屋の隅々に響き渡った。

「……はいはい、起きますよ。お勤めご苦労さん」

 しょうもない事を呟きながら布団の中から手を伸ばして、愛用の目覚ましをポンと止めると、 のろのろと体を起こしてベットサイドに腰かける。

 寝癖の付いたちょっと伸びすぎた感のある硬い前髪を、手グシでワシワシと掻き上げるが、もともと低血圧気味の脳細胞は、まだ半分熟睡モードのままだ。

 ふう――と溜息を付いて、頭を軽く振る。

 男の名前は、芝崎拓郎しばさきたくろう

 二十七歳。

 一見『TV子供番組の優しいお兄さん』と言ったひょろっとした風貌で、実年齢よりかなり若く見える。

 つまりが『童顔』なのである。

 職業は、一応フリーのカメラマンをしているが、『売れないカメラマン』と言うのが実状だった。ライフワークの風景写真を撮る傍ら、出版社から雑誌の仕事を貰って、食いつないでいる。

 何せ、気楽な天涯孤独の身。養わなけりゃならない親や家族が居るわけでもない。

 別に極貧だろうが、好きな写真が撮れてその日を食いつないで行ければ、それで不都合を感じたことはなかった。

 そう、今までは―― 。

「藍、起きてるんだろう?」

 拓郎は、ベットで彼女が寝ていないのを再確認して、もう一度襖の向こうに呼びかけた。

 だか、やはり何の反応も返っては来ない。

 トイレにでも入っているのだろうか?

 だとしても、聞こえれば藍は返事をするだろう。

 拓郎が今居るのは、寝室として使っている6畳の和室。襖を隔てた隣は約12畳程の洋間で、LDKになっている。この二つの部屋が、拓郎の『我が城』の全てだ。

 1LDKしかない狭い間取り。何処にいても、拓郎の声が届かないはずはなかった。

シンと静まりかえった無機質な部屋の空気には、拓郎の他に人の居る気配は感じられない。

「……藍?」

 おかしい――。

 いつもなら、目覚めればとなりで寝ているか、朝食を作っているかのどちらかだ。この半年一緒に暮らしてきて、これ以外のパターンを拓郎は知らない。

 ならば、導き出される答えは、ただ一つ。

『藍は、アパートには居ない』

 嫌な予感が拓郎の胸を掠める。

 拓郎は眉を顰めながらベットから立ち上がると、襖を開けて隣のLDKを覗いた。

 ――片づいている。

 昨夜、二人で藍の誕生祝いをして、食器類が散らかったままだったコタツの天板の上も、流し台の中もキレイに片づけられていた。

 まるで、初めから誕生祝いなどしなかったかのように整然とした室内に、意味もなく、ドキンと鼓動が跳ねる。

「藍、居るのか?」

 微かな期待を込めてノックしたトイレ、ユニットバスにも居ない。

 ――今日は、ゴミ出しの日じゃないよな……。

 大家さんの所にでも行っているのだろうか?

 でも、こんな朝早くに行く理由がない。

 行く当てなど、無いはずだ。

 普通なら、『コンビニに買い物を』とでも考える所だが、何というか、藍にそれはあり得なかった。

 藍は、一人で外出することはまずなかったのだ。

 拓郎と暮らすようになるまでは、一人で買い物もしたことがないと言っていた。

 最初は、『どんな深窓のご令嬢か』と思ったものだが、からかい半分に尋ねても、『そんなんじゃないのよ』と笑うばかりで、その理由は教えてはくれなかった。

 拓郎も、気になりながらも無理に聞き出すことはなく、今まで過ごして来てしまっていた。

「どこに、行ったんだ?」

 ゆっくりと、自分以外の人の気配の消えた狭い室内に視線を巡らせる。

 時が止まった、いや、戻ったような気がした。

 半年前のあの日、藍はこの部屋にやって来た。

 半年の間に二人の間で培われたもの。もしかしたら、その全てが自分の見た夢だったのではないか?

『藍』は『大沼 藍』という女の子は最初からいなかった。そんな妄想めいた考えが、頭をよぎる。

「馬鹿馬鹿しい!」

 そんなことがあるはずない。

 淡いイエロートーンのカーテンやコタツがけ。手造りの刺繍入りのクッション。

 それは、紛れもなく藍がこの部屋で暮らしていたと言うあかしじゃないか。

 心の内に生まれた、モヤモヤとわだかまる恐怖を打ち消すかのように、拓郎は、頭をブルブルと振った。

 確かに昨夜まで、藍はこの部屋にいた。その温もりも、まだ、こんなにはっきりと腕の中に残っている。

 だが現実に今、藍はここにはいない。

突然消えてしまった。

 そして拓郎には、その理由の見当すら付かないのだ。

 トン――。

 流し台脇の壁に背を預け、拓郎は大きく一つ息を吐くと、一気に眠気の吹っ飛んだ重い頭で考えを巡らせた。

 もしも自発的に出て行ったのなら、その理由を言って行くはずだ。

 拓郎を通じての、ごく限られた人間としか関わりがない藍が、他に好きな男が出来たとか言うのは考えづらい。

 少し風変わりではあるが、拓郎の恋人は、そう言う真っ直ぐな所のある人間だ。黙って出ていくようなことは、絶対しない――はずだ。

「いったい、何があったんだ?」

 突然姿を消す、理由――。

 それとも、消さざるを得ない、理由か――?

 ドクン、と鼓動が跳ねた。

 胸騒ぎがする。

 ジワジワと背筋を這い上がってくるような、言いようの無いこの不安感。

 何か、良くないことが起こっている。

 そんな気がしてならない。

 第六感とでも言うのだろうか。

 今までの経験から、こういう感覚、とくに悪い予感は皮肉なことに良く当たるのだ。

 とにかく藍を、探そう。

 会って、理由を聞こう。

 それが、納得出来る物なら、それでいい。 それに、案外取り越し苦労で済むかも知れない。

 拓郎は、急いで普段着のジーンズとシャツに着替え、部屋を出ようとしてハッと気付いた。仕事道具、カメラ一式を無意識に持っていたのだ。

「ったく、しょうもない!」

 こんな時にまで『カメラマン根性』が出てしまう自分に舌打ちをし、玄関にカメラを置くと、勢いよくドアを開けた。瞬間、パサリ――と、足下に白い封筒が落ちる。

 白地に淡い黄色の色彩で、向日葵の花が描かれている、見覚えのある封筒。

 それは二日前、滅多に自分から外出をねだることがなかった藍か、珍しく言い出した動物園行きの帰りに、コンビニで買ったものだ。

「向日葵の花に憧れるの」

 凛と太陽をまっすぐ見つめている、その強さに憧れるのだと。う言って封筒に描かれた向日葵を見詰めて、眩しそうに目を細めた、藍。

「夏になったら、一面の向日葵を見に行こうか」

 昨年仕事で訪れた向日葵牧場のことを思い出して拓郎が提案すると、藍は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 確かに、どこか力の無い笑顔ではあったが、はしゃぎすぎて疲れたのだろうと思っていた。

 もしかして、あれはこの先触れだったのか?

 ごくん。

 拓郎は、つばを飲み込み、足下の封筒を拾い上げた。

 白い封筒の中には、揃いの便せんが一枚。

 可愛らしい繊細な文字は、確かに藍の筆跡だ。

 拓郎は、早る気持ちを抑えつつ、書き記された文字を目で追った。


『  拓郎へ

 短い間だったけれど、本当に楽しかった。

 何も聞かずに、一緒にいてくれて、ありがとう。

 黙って出て行くこと、許して下さい。

 さようなら。

    藍 』


『黙って出て行くこと、許してください』

『さようなら』

 もう一度、その文面を目で追う。

 疑いようもなかった。藍は出て行ったのだ、自分の意志で。

「……理由くらい、書いていけよ」

 ――こんなんで、はいそうですかって納得出来るはず、ないだろうが?

 嫌いになったでも、好きな男が出来たでも何でもいい。失踪の理由が書かれていたなら、たぶん拓郎は藍を探すことはしない。

 だが、こんな理由の『り』の字も書かれていない、短い書き置きだけでは納得がいかない。

 それに、胸の奥の言いようのない不安感は、消えるどころかますます大きくなっていく。

 何か、ある。

 握りしめた封筒の中に、円形の小さな固い手触りを感じて、拓郎は封筒を逆さに振ってみた。

 コロンと、手のひらに転がり出てきたのは、銀色の指輪。

 プラチナ台に、藍の誕生石のダイヤモンドと小さなトパーズがあしらってあるその指輪は、昨 夜、拓郎が藍の誕生プレゼントに送ったものだ。

『エンゲージ・リング』を兼ねて。

 指輪を贈ってプロポーズをしたとき、『ありがとう』と涙を浮かべた藍の笑顔が、脳裏に鮮やかに浮かぶ。

 あの笑顔に、嘘はなかった。

「藍……」

 未練でも、何でもいい。

 もう一度、会わなくては。

 会って、確かめなくては。

 ここから、前に進めない――。

 拓郎は、目を閉じて、指輪をギュッと握りしめた。


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