第五話
僕の父親、鷹村孝蔵は機竜の開発責任者だった人だ。
JM粒子反応炉の小型化や、機竜の基礎骨格に使われる電磁誘導リングの開発、無砲塔副砲の制御のための磁場偏向システムの制御など、機竜の基礎開発の大部分を担っていた有能な人物だった。
だが、そんな父は2年前に交通事故であっけなく亡くなってしまった。15歳で義務教育を終え、どのような道に進むか考えている最中の出来事だった。
母も小さい頃に事故で亡くしていた僕は15歳にして完全に身寄りを無くしてしまった。
この先どうするかと途方にくれていたところ
『君の家にはアイツの残した資料があり、軍として手放しにしておくことは出来ない。また人として、友人の残した一人息子を放っておくこともできない。もし君が良ければ、僕の養子にならないかい?』
と言ってきた人がいた。
断る理由もなかったし、私もその人には昔からよく遊んでもらっており、人となりを知っていたのでありがたく提案を受けさせて貰った。
その人が『名字はそのままにして残しておきなさい。』と言ってくれたので、僕の名字は鷹村のままだが一応戸籍としてはこの基地に勤める軍人の雑賀秀仁さんの息子、そう先輩の弟になったのだ。
昔から遊んでくれていた秀仁おじさんが、この基地の最高司令官だと知ったのは養子に入ってからのことだった。
そして養子になった後は父の作っていた機竜への興味と、学費がかからないこと、生家も養家も軍人家系だったことから僕も軍学校の門をたたき、機竜のパイロットへの道を進もうと決めたのだった。
・・・
先輩(いまだに兄と呼ぶのに違和感がある。)から宋胡がコロニー建設を行うだろうという話を聞いてから2年がたった。
その間に、やはり宋胡はNo139に最も近い自国領域内に軍事コロニーの建設を進めていた。
大型艦船の入港や修理・補給を行う軍港周りや、コロニー外壁に固定し、動力源をコロニー専用の大型反応炉と直結することで戦艦以上の長射程・大出力を誇る要塞粒子砲の建設などを優先して行った結果、通常10年以上かけて行うコロニー建設を、軍事拠点という用途だけに限定すればではあるが、わずか2年で完成させてしまっていた。
この2年の間に僕達、機竜課程第一期生は卒業を迎え、とうとう機竜が部隊として実戦配備され始めた。
まだ生産台数が足りず、一期生120名に対し、機竜の配備数は70機余りと少ない。
4機1部隊編成を基本とする運用方法からすると、数だけ見れば約17部隊分だが、同時に全機稼働させるわけにもいかないので、実際に戦争になれば動かせる機体は56機-14部隊がいっぱいいっぱいだろう。
そう、とうとう戦争が始まるのだ。
僕たちは、勇ましい行進曲をBGMに、軍事コロニーの落成式を行う宋胡の最高指導者が
『No139を不当に占拠する秋津島に対し、宣戦を布告する』
と宣言したニュース映像を、基地の食堂のテレビで見ていた。