2.《夢》に生きるもの
共生者なのだろうか、と最初は思った。
ある意味ではそうだろう。
しかしそれが一般的に知られている龍と共生者との関係とは少し違うらしい、と気がついたのは、集落で一晩過ごすと決まってからだった。
というのも、集落の生活は、原始的であることを除けばあまりにもティムルグの知る他の集落のそれと大差なかったからだ。
朝起きて、川の清流で水汲みをする。少し離れたところには畑があり、木を切り出して作ったであろう木製のスキやクワで耕す。
あろうことか火を熾し、炊事をする始末であったので、最初見たときティムルグは、素っ頓狂な声をあげてやめさせようとしたぐらいだった。
「はっはっはっ、 龍の背で火を使っちゃいけねェってのは、そりゃ迷信だぜ旦那。おそらく狩龍人ギルドの触れ込みを鵜呑みにしてんだろうけどよォ、いわゆる共生者たちとは棲み分けているんだぜェ?」
そう言ってたしなめたのは、オランという独り身の男性だった。老爺の頼みを聞いて、ティムルグを泊めてくれている。
彼は快活で人懐っこい性格だった。
よく食い、よく飲み、よく喋る。
この性分のおかげで、ティムルグはあまり多くを喋らずに済んだ。彼の分まで、オランは喋ってくれたのだ。
オランの話題は多岐にわたる。隣家の美女のことや、村の子供たちのこと、食生活のこと、村を治める長老(例の老爺だ)のこと、そして共生者や、龍のこと……
「共生者の多くは蟲だ。だからたしかにヤツらは火を嫌う。火を見たら消そう消そうと、持っているモノがなんであれ群がって殺そうとするさ。でも、それはヤツらの棲家に近いときだけだ。ヤツらの棲家は決まって気孔のある辺縁部だから、そこを避けておけば問題ねェのよ」
どうしてそんなことを知っているのか、と尋ねると、長老があれこれ調べて教えてくださるんだ、と彼は答えた。
長老はもともと生物学者で、龍について調べていたらしい。これほどまでに巨大な龍が何も飲まず食わずで動かないまま生きていられるわけがない、という疑問が彼の研究の原点であったようだ。
そこまで聞いて、ティムルグはある人物の名前が浮かんだ。
イスカル・トリバニーニ博士。
龍研究の第一人者であり、たしか数十年前の探索で行方不明になった、界隈では半ば伝説として名の知られる人物である。
彼は龍の食生活を《夢》だと認定する研究で脚光を浴びた。なんでも、龍はヒトの無意識下で形成される《夢》の、形而上的エネルギーを採取して大きくなるのだそうな。
ティムルグは論文を読んでいないので詳しいことはわからない。しかし、おかげで龍が人里を襲わず、動かないまま大きくなる生態であることに理由づけができたということで、世紀の大発見だと言われたのだった。
しかし、そのことがかえって龍がヒトに害をなす存在だということを証明した。
後続の研究者が明らかにしたところに拠れば、龍はさながらヒトの集合無意識が織りなす大樹に絡まった、蛇のような存在で、その根を食んで《夢》を吸い出しているのだという。それはつまり、龍こそはヒトに精神疾患を引き起こす存在だということを示していたのだ。
だからこそ狩龍人という生業が生まれたのだ。
《夢》を、心を、精神のエネルギーを喰われれば、いずれこの世に廃人が群がるに相違ない。ゆえに国家は狩龍人を支援し、ギルドを編成し、そしてひとびとは狩龍人を英雄として称賛した。ときに絵物語から小説に至る文芸の素材にもなり、ひとびとの《夢》を護る偉大な存在となったのだ。
だがそのために狩龍人は、この世ならざるモノに近づかねばならなかった。《夢》を喰われず、《夢》喰らいを殺害するという仕事は、よほどの酔狂でかつ修練を積んだものでないと成り立たない。
例えば《夢》を見ないで寝るという方法。
狩龍人の眠りに《夢》はない。
もちろんこれは龍に喰われないためであるが、そのために狩龍人はヒト本来のあるべき生活から遠ざかる。共生者の襲撃を免れるために食事を制約し、過酷な環境に耐えるうちに、人間らしさから縁のない存在になってゆく。《夢》も見ず、まるで淡々と計算をするように考え、始末し、現実主義的に生きることを信条としてしまう。
《夢》など持ってみろ。それこそ龍に喰われてダメになっちまうぞ、というのが、ギルドの初訓練を受けたときの教訓だった。
──だが、ここにいるひとびとは、いたって普通の生活を送っている。
むしろ懐かしささえ覚えるほどだった。かつてティムルグが一般人として、生活していたあの頃のような空気があたり一面に漂っていたのである。
不思議だった。ここは龍の背中であるはずなのだ。ヒトの《夢》を喰らい、ヒトを腑抜けにする魔物であるその背中で、しかし彼らはより人間らしく暮らしている。
だからなのか、恥ずかしくもなった。
狩龍人である自分が、いかに人間らしさを捨て去っていたのか、ということに。
《夢》を守るために、いかに自らの《夢》を殺していたのか、というのことに。
──これじゃあ、どちらが龍かわかったものではないな。
そう思い当たって、彼はキノコと蟲のシチューをすすりながら苦笑した。初めてこのシチューを聞いたときは驚いたものだが、慣れるとまろやかで美味しい。
「そろそろ慣れただか? ティムルグさんよォ」
「興味深いモノばかりだ。オラン殿のおかげでいろいろ知れて、ありがたい」
「そうけェ、なら良かっただ」
心の底から嬉しそうに笑う。
その笑顔に、不思議とティムルグの心もほぐれていった。
オランには本当に良くしてもらっている。
絵師と偽った身の上をすんなりと受け容れてもらったことに罪悪感さえ覚えたほどだ。しかしティムルグは自らの使命は忘れてはいない。長老の言からして本当のことを言うのは得策とは言い難かった。
──しかし、なぜこの集落は狩龍人のことを敵視しているのだろう?
初対面の時、長老が「鉄杭」について言及していたということは、明らかに彼らは狩龍人を良い目で見てはいない。
決してこういうことを予期していたわけではないが……ティムルグは鉄杭と火薬を持ち込まなかった過去の自分の決断に感謝したかった。おそらく先行の狩龍人が帰ってこなかったのは、この集落の存在があったからにちがいないのだ。
たしかに、突然やってきて自分たちの住んでいる土地を奪う輩は敵視されて当然だろう。しかし、なぜわざわざ龍の背中などを選んで住む必要があるのだろうか? ティムルグにはいまいちその辺が理解できなかった。
「……なあ、あんたはどこから来たんだ」
「ん、どうゆうことけ?」
「いや、そのだな……おれは中央から旅でこっちに来たが、オランは最初からこの村で生まれ育ったというわけではないだろう? それ以前に、どこで生まれ育ったのか、ふと気になってな……」
思い切って尋ねてみたものの、ティムルグは途中で恥ずかしくなり、目を逸らしてしまう。自分語りは得意じゃない。偽っている身の上もあって、なお気負いがあった。
そんな気質を見抜かれたのだろうか。オランは黙っていた。あまりに黙っているものだったので、ティムルグは怖くなってオランの顔をのぞき見る。
すると、そこにはきょとん、と空白のごとき表情が浮かんでいた。
「……オラン?」
試しに声をかけてみる。
しかし反応がない。
冷や汗が出る。
ティムルグは前のめりになって、オランの両肩を揺すった。オラン、どうしたんだ? と声をかけながら。
「んあ? ああ、すまねえ。一体何の話だったっけ?」
ようやく返ってきた言葉に、先ほどの会話の履歴は消し去られていた。一瞬、ティムルグは無意識に眉にシワが寄ったものの、グッとこぶしを握りしめ、あえて答えないようにした。
「すまない。ちょっと長旅の疲れが今ごろ来たようだ。寝んでもいいかい……」
オランは快諾してくれた。
植物が敷かれた寝床に入ると、ティムルグはもう少しこの集落と環境について調べる必要があることを認識したのだった。