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1.龍の背中を登って

 冬の残り香が混じった風が、ティムルグの頰を横切った。真っ赤になった頬は、まるで風に切り裂かれたかのようである。けれども、流れたのは汗だった。つ、と、少しだけ焦った気持ちを表すようにあごから滴る。


 彼は必死に苔むした岩山を登っていた。ただでさえ、苔で滑ってしまいそうだというのに、ようやく手を掛けられる剝き出しの岩はというと、そのひとつひとつが触れる指先を傷つけそうなくらいにザラザラと尖っているのだ。さながら黒曜石のナイフのように黒光りしているそれは、うっかりするとティムルグの指先を切り裂き、拒絶しかねない。

 目の前は絶壁。下は茫洋(ぼうよう)たる霧の海。

 落ちたらまちがいなく死ぬだろう。だからぜったいに登り切らねばならない。


 だが、ティムルグは慣れていた。クライミングは狩龍人(かりゅうど)の必須技能だ。これしきの登攀(とうはん)ができぬようでは仕事にならない。だから手足をひょいひょい使いこなして、彼はようやく平地へと身を乗り上げた。


 ──今日はここで休もうか。


 背負った荷物を降ろして、彼はそう決断する。そろそろ暗くなるから、さっさと食事を済ませて寝なくては。

 だが、ティムルグは火を焚くような愚かなマネはしなかった。


 いくら寒いとはいえ、龍の背中で火を焚くのは狩龍人の風上にも置けない。みずからの居場所を明かすようなものだし、共生者を目覚めさせるのだ。龍の体内・体外に息をしている生態系はまだ人類の調査研究の及ばない、未知の領域で占められている。

 それはすなわち、ヘタなことをすれば死ぬ、ということだ。

 冒険と無謀はちがう。たしかに龍を追いかけ回す商売は余人から見れば無謀かもしれないが、だからと言って龍の背中で自殺がしたいわけでもない。飽くまで生きて帰ってナンボである。


 ゆえに、ティムルグは乾パンとレーズンを交互に食す。野菜が足りないのは致し方ない。缶詰やビン詰めで持って来れなくはないのだが、分解できないゴミは共生者の要らぬ注意を招くので、長いこと避けていた。

 ヒトならざるモノを(ほふ)るのに、ヒトは人間を辞める努力を強いられる。栄養失調で倒れたものもいれば、安易に文明の利器に触れて共生者の餌食になったものもいる。龍をナメてかかったものから死が訪れるのだ。

 まったく、なんて面倒な商売なのだろう。

 しかしティムルグは楽しんでいた。心の底から、血が湧き、肉が踊るような興奮を味わっていたのである。


 ──明日には気孔に入れるかな。コイツはどんな心臓をしているのだろうか。


 想いに応えるように、地響きがする。

 寝転がると、その地響きもまるで慣れ親しんだ相手のように感じるのがまた嬉しい。

 見上げた夜空には、彼の発った街からは想像もつかないくらいの満天の星があった。煙だらけの中央地区では、こんな夜空は拝むことができない。夢のような景色だった。

 ティムルグは胸にくすぶる高揚感もそのままに、ゆっくりと目を瞑る。そしていつも通り、素早く眠りに落ちていった。夢ひとつ見ない、漆黒の眠りへと。



   *  *  *



 知らないひともいるかもしれないが、人類の歴史はヒトと龍との格闘の歴史だった。


 一体いつから龍が存在したのだろうか。

 少なくともティムルグが生まれるずっとずっと前から、人類は龍と対立していた。龍はヒトの心を蝕む悪い存在であり、ゆえにヒトは自衛のために龍を狩らねばならなかった。

 だから、ティムルグもその尖兵として、龍を狩る仕事に精を出すようになっていた。


「北方のカイラル山脈に、龍が現れた」


 今回の依頼も、その一環にすぎない。

 ゆえに狩龍人ギルドのマスターから情報をもらったとき、ティムルグは目の色ひとつ変えず、調査書を見つめていた。

 どうやら正確には、山脈に龍が現れたのではなく、()()()()()()()()()()()()という話らしい。


「おいおい、少しは驚いたらどうだい。今度のばかりは、神話級の大きさにも匹敵するぜ? 千年やそこらじゃ足りないぐらいだろうよ」

「……べつに。前人未到の地ならば、それぐらいの大きさが生き長らえていたとしてもおかしくはないさ」

「かーッ、つまらねえ言いぐさだな。もっとこう、ロマンみたいなの感じないの?」


 だがティムルグは黙したままだ。

 仕方ないから、マスターはつづける。


「だが、これほどの大きさになると、殺すのも厄介になるぞ。そんじょそこらの鉄杭を二、三本打ち込んだところで、かすり傷にしかならねえからな」


 龍は大きさによって殺し方が異なる。

 幼生ならばでかいトカゲのようなもので、鱗が固いことを除けば、刃物や銃器で対処できるだろう。柔らかい脇腹をさえ狙えば、昔ながらの剣でも刺殺可能だ。

 しかし成体となり、永住地を決めたあとではそうはいかない。彼らはそれこそ丘や山ひとつと取って代わるほどに巨大である。おまけに長い歳月を経ているので、その表皮の鱗は岩のように厚く固いものになり、やがて苔を始め多くの植物を生やす。神話級となれば、原生林をも背負える大きさだろう。

 だから殺し方にも一工夫必要になる。


 その中でも最もオーソドックスなのは、背中にある気孔から体内に入り、直接内臓を破壊する方法だった。とくに鉄杭でもって心臓を射抜けば、ほぼ即死に近い状態で殺せるので、狩龍人のあいだでは人気がある。


「ああそうだな。この大きさなら、殺せるほどの鉄杭を持って行くだけでも面倒だし、仮に殺せたとしても、血の洪水が起きておれが生き延びられない」

「まァ、そうだろうなァ。おまけにお前さんより先に行った命知らずどもは本当に帰ってこなかったから、相当手強いのは確かだろうし……」

 

 だから、この龍の討伐にはもう名乗り出るものがいなかったのだ。

 狩龍人は総じてみな功名心が強い。さすがに人里に近い脅威であるならば、利己心ゆえに出動するかもしれない。しかし多くはほどほどの大きさで、ほどほどの知名度を仕留めることで稼ぐのだ。ムリして遠方の巨龍を狩ろうという無謀なことは、したくもないはずだった。

 第一、遠いのだからそれほど問題ないだろうと言うものもいる。たしかに龍の脅威は大きさに比例するものの、北方のそれは辺境も辺境、住んでいる人間の方が酔狂だと言われるぐらいなのだ。全体の割合からして一割にも満たない人口のために、狩龍人は動かない。


 どうせ自分が生きている間には、その龍は脅威にならないだろうよ。

 それが狩龍人の考えだった。

 もっと手頃で、もっと名のあるモノを。

 そしてそれが、狩龍人のねがいだった。


 しかしティムルグは受ける、と言った。

 驚いたマスターを尻目に、彼は言う。


「狩龍人の仕事だからな」と。


 あんただけだよ、こんなどでかいヤマ狩ろうなんて酔狂なヤカラはさ、とマスターは両手を広げて笑った。

 そう言われて、ティムルグはようやく笑った。


「酔狂でなければ、幻想なんて狩らないさ」

「ちげえねえ」


 で、どうするのさ、英雄ティムルグ殿。まさか得物なしで挑むつもりはないんだろう?

 マスターの問いかけに、ティムルグは口角だけ上げて、答える。


「ああ、だからここに来たんだ」



   *  *  *



 目覚めたとき、ティムルグは自分のからだが縛られていることに気づいた。

 そして、どこかに運ばれていることも気がついた。


 ──これはどういうことだろう。


 彼はけげんに思うと同時に、運ぶなにかの存在にも気を配った。

 少なくとも運ぶ手足を持っている。

 おそらくヒト型だろうか。

 しかし、彼の知っている共生者の中に、ヒト型の生き物についての情報はなかった。


 ほかの狩龍人の手先だろうか、とも思わなくもなかったが、あまりにも軽率というものだろう。同業者はたしかに名を競い合う存在であるが、獲物の人智を外れたそれを目のあたりにしていれば、他者を蹴落とすという選択肢は賢明でないことを知っているはずだ。


 ──では、他に誰かがいるのか?


 首を巡らそうとするが、目隠しをされていることに気がつく。声も出したかったが、くつわをかまされているので諦めることにした。

 動けば動くほど手足が軋み、痛みを感じるし、もし殺す気であるなら寝ているあいだに殺されていたはずだから、おそらくまだ死ぬようなことにはならないだろう。


 そう楽観して、彼は運ばれるままになる。

 やがてティムルグは、ドサリと、ぞんざいに大地に放り投げられた。痛覚は感じたものの、土は柔らかかった。それから目隠しを外されると、目の前のくぼみからはアリやらミミズやらが這い出してきているのが見えた。放って置くと彼の顔面に登って来そうだった。

 彼はうつ伏せのまま押さえつけられる。

 そこに、「おい」と声がかかる。しわがれた老爺の声だった。


「お前は何者で、何をしにここまで来たのか。答えよ」

 顔は見えなかった。背後から声を掛けられているのだった。

「ヒトにものを尋ねるときは自分からって教わらなかったのかい……」

「答えよ、と言っておるのだ」

「はいはい。わーったよ」


 諦めて、ティムルグは名乗った。

 ただし狩龍人であることは言わないでおいた。彼はただ北方の景色を求める絵師であり、山で道に迷ったから憩いの場を求めていたのだと説明した。

 その証拠に差し出したのが、彼の持ち物の中から現れた顔料の数々であった。


 実は、これが彼の考えた龍殺しの道具だった。ヒ素やカドミウム、水銀の化合物を含むそれらは、いわば色の付いた毒薬なのだ。

 彼はこれを直接内臓に塗ることで龍を殺害しようとしていた。あえて絵の具を選んだのは単純に道中怪しまれないためであったのだが、思わぬ変装に役立ったというわけだ。


「なるほど。たしかに鉄杭のごときモノは持ち合わせておらぬようだしな……これは失礼なことをした」

 老爺はそう謝ると、取り巻きにティムルグの縄を解くよう命じた。

 縄から解放され、ふりかえると、そこには人間の老爺がいた。周囲にも同じようにヒトがいて、よくよく見ると、竪穴住居が立ち並んでいる。


「こりゃあ……驚いたな……」


 まさか龍の背中に、集落があるなんて。


「たしかに、驚いたかもしらんな。こんなへんぴなところにいる物好きがおる、と。

 じゃが……存外悪くない住み心地なのだよ。ここは人里を離れた寒村ではあるが、ただの寒村ではない」

「と、いうと?」あえて尋ねる。わかってはいたが、ティムルグは知らないフリをした。

 すると得意げに、老爺は話した。

「ここは龍の背中なのだよ。われわれは龍の背中で生きているのだ」


 ようこそティムルグ、龍の背にある、我らが集落へ、とそして彼は宣言するように言ったのだった。

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