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三章『禁忌の国のありす』

 真っ白な天井が最初に目を開くと映った。

「ごめんね、ごめんね、おとーさま!」

 次いで、天地が逆さまになって、ありすが司波をのぞき込んでいる。

中島クリスがありすを抱え上げて、そうさせてやっていた。

「ありす? それにクリスも葬式みたいな顔してるぞ」

 自分は病室のベッドに寝ている状態なのだと司波は理解した。

「俺、学校に行く途中だったはず……だよな」

 法的保護者である中島クリスに事情は伏せたまま、ありすを委せた。

 そこまでの記憶は確かにある。

「おとーさま、しゃべっちゃだめ!」

 ひどく衰弱していて身体が重い。その認識が後追いで司波を困惑させるが、それでも会話を交わすには問題ない。

「貧血でも起こして倒れたのかよ、俺?」

 ありすに質問するというよりは、自分自身の記憶をたどるための独り言めいたものだった。

『右腕を喪失した直後の記憶さ。代わりに彼女は生き長らえた。そして、忘れられない後悔の始まりとなる。私はそう聞いたよ』

病室には寝ている司波、そしてありすとクリスがいたが、それは別人の声だった。

「誰だ?」

 聞き覚えのある男の声だった。

『知りたければこの白昼夢から――きみとは近しいが、限りなく遠い彼女の罪悪感の源から、急いで退去すべきだ。きみは大切な人から、そのすべを教わっているはずだがね』

 これは俺の夢ではなく、誰か別の……俺と何かを共有する相手の夢なのだと司波は気付く。

 そして謎めいた語りに示唆されて、アリスから教わった方法も思い出していた。

「おとーさまっ!」

 泣きじゃくるありすの表情が痛々しかった。それ以上に中島クリスの目も悲しげだった。

「こんなのは……悪い夢に……決まってる」

 そう宣言して司波は目を閉じた。

 次に目を開けた瞬間――


「ありゃ?」

 路地から大通りに出る角地にオープンテラスを出す喫茶店があり、その席のひとつで大家の竹内志門が優雅にパイプをくゆらせていた。

「おや、今日は学校か司波くん。てっきり、ありすくんを連れて、東京見物にでも行くのかと思っていたが」

「おっちゃん、俺の白昼夢に特別出演してたよな?」

 夢幻境での冒険の記憶を取り戻しつつある司波は、自分が誰か別の強い力を持つ存在の夢に引きずり込まれそうだったのだと理解していた。

 登校する途中、走っていた彼は白昼夢という形で夢に引き込まれかけていたのだ。

「つまりそれは司波くんが、白昼夢にまで私の存在を見てしまうほど、大家として慕ってくれているということか。実に光栄だ」

 志門は目を細めてパイプの煙を吐くばかりだった。

「まあ、ちょーどいいや。おっちゃん、悪いけど今夜のバイト、休みにしてもらえないか」

 都心部の一等地だというのにビルではなく一軒家タイプの店というのは珍しい。

 パリのカフェを模したと、オーナー兼店長が自慢する調度品や内装が評判となっている店の看板には《純喫茶サンジェルマン》と書かれていた。

「司波くん、それは困るな。大いに困るよ」

 舞台役者めいた大仰な仕草で志門は失望を表明した。

「学校が終わったら、ありすを銭湯に連れてって、晩メシも作って喰わせないとまずいんだ。頼む」

 甘ったるいパイプタバコの煙が放つ香気に耐えながら司波は頭を下げる。確かスイートダブリンという銘柄の葉っぱだとかいうことを、愛煙家でもある常連客の誰かが前に教えてくれた。

「歌舞伎町のお得意さんたちは、きみの接客をなにより楽しみにしているのだよ。私としても店の売りにしているというのに」

「ヒマ潰しの道楽商売だとか、前に言ってなかったか?」

「遊びは遊びだとも。しかし、遊びだからこそ本気でやらないとね。激光会のチャンくんも、新宿署の響くんも次こそは司波くんに大富豪で勝ちたいと楽しみにしているよ」

 最初は、遅刻した常連客代わりの人数合わせということで参加したトランプ勝負。

 賭博とまではいかないが、店内メニューや志門の趣味である高級タバコが賭けの商品ということで、この店では夜になるとそうした勝負の場が立つことが多い。

 司波はそれで高い勝率を誇る。駆け引きや技巧にもそれなりに通じているが、素人にしてはという程度で、志門いわく『カードに愛されて引きが強い』のだそうだ。

「ケチ」

「よく言われるので気にはしないよ」

 志門は美味そうに煙を吸っては吐き、意に介さない。

「……子連れで接客してやる」

「大いに結構だとも。子供は、特に娘は父親の仕事ぶりを見て育つべきだ。ああ、銭湯に行く時間は融通しようか。夕食は店でまかないでも作って食べるといい」

「ありすが泣いたり騒いだりして、どっかの偉い組長さんとかに粗相して客が減っても、あとで愚痴るなよ、おっちゃん!」

 交渉決裂と見た司波は食い下がることなく、あっさり、サンジェルマンの店先を走り抜ける。

 「ふう……だから私が問題ないと伝えるまでは、なるべく近寄らず接触もするなと忠告したというのに……女性はせっかちで困る」

 志門は憂鬱そうにテーブル上に置かれたスマートフォンをながめた。

 この日の朝、ひまわり荘に荷物を届けた直後、彼にその確認を迫った相手のアドレスが表示されているままだった。


 ひまわり荘から徒歩で二十分、小走りで十五分といった場所に着くまでの間には、司波と同じデザインの制服を身につけた男子や、古風なセーラー服の女子たちの姿が増える。

 西新宿、あるいは中野区の右の端か、または渋谷区の北の隅といったような三つの区の境界近くに、都立・角筈(つのはず)中学の敷地はあった。

「走ったのに……遅刻……した?」

 校門前に着いた時点で響いてきたのは、まだ始業チャイム前の予鈴。

 複数の生徒たちを追い越してきたことからも、余裕があることは確かなはず。

 携帯で確認した時刻表示でも、始業5分前だ。

「校門は開いてるのに、なんで?」

 もろもろのトラブルに巻き込まれて遅刻することが珍しくない司波だが、他にも十数人ほどいる遅刻者たちは、一様に正門を入ってすぐの位置で困惑し校舎を見上げていた。

「なにやってんだおまえら? 風紀委員の連中も、うるせえ教師も引き上げてんだぜ。どうせ遅刻なんだし、さっさと行けよ。サボりたいやつは引き留めねーけどさ」

「い、一条先輩?」

 司波が声を掛けた生徒たちの中には見知った同級生の顔があった。

「大沢……だっけ?」

 教室では司波の後ろの席に座る文芸部の部長だった。

 見た目的には、スポーツか格闘技でもやっていそうな体格だが、人なつこい猿を連想させるユーモラスな雰囲気がある。

「見えないんスか? あのドでかいモンスターが?」

「見えてるのは校庭と校舎だけだろ」

 大沢の指の示す先へ視線を転じても、そこには怪物など見当たらない。

「それとも、ドッキリか何か仕込んでるのか?」

 文芸部はその名と無縁の校内新聞やらブログ運営で派手に活動している。

 ゴシップ誌まがいの取材と記事は教職員から警告が多い。

「そりゃあ、そういうこともやりますけどね、一条先輩みたいな危険人物には手を出さないに決まってるじゃないスか」

「危険人物で悪かったな」

「あっ、すいませんっ! つい本音が!」

 遠巻きにする同級生の中でも、大沢はまだマシな方ではあった。

 少なくとも会話自体は拒まないから意思疎通ができる。

「俺は出席日数不足なんだ。授業に行く邪魔だけはするなよ」

 何かの企画をやってるんだろうが、付き合う義理はない。

 そう司波は判断して、司波は校門の線を踏み越え敷地内に進む。

「コレハコレハ、オ懐カシイデスナ。《記述者》一条司波」

 先にその声が耳に響いてから視界内に姿が結像する。

「てっ、てめえっ、グリフォン!」

 《蟹座》の《幻想代行者》がその力の象徴とする十二体の妖精のひとつ――幻獣として知られる有翼獅子が、角筈中学の校庭に着地していた。

 かつて司波が夢幻境で打ち倒して中立化させ、その後アリスの元に帰ってきた妖精が。

「モンスターが、なんかしゃべったあああっ!」

 大沢が絶叫して、その悲鳴が他の生徒たちにも伝染していく。

「トコロデ《記述者》ヨ。ありす様ハ、ゴ一緒デハナイノカ?」

 日本語を中途半端におぼえた外国人のような口調で、のんきにグリフォンが問う。

「うちで俺の法的保護者と仲良く、キラ星ミカちゃんとかいう魔女っ子アニメ見てるはずだ」

 自分でも意外なほど落ち着いた声音で司波も返事をした。

 ここは夢幻境ではなく現実世界。しかも周囲に同級生を含む生徒たちがいる。にも関わらずグリフォンと言葉を介してしまった。

「ナルホド」

「おまえこそ、アリスが――《幻想代行者》が呼ばない限り、トランプみたいな形になってるはずだろ。なんでこっちの世界で、しかも、こんなおおっぴらに……」

「我ラハ、我ラノ仕エテキタ《幻想代行者》カラ、アル言葉ヲ託サレテイル。ソレハ、《記述者》タル、アナタヘノ伝言ダ」

「アリスからの伝言とかいうのは、ありすが懐中時計で見せてくれたぜ?」

 いつのまにか自分も娘と同様に、ひらがなとカタカナの違いを認識できるようになっていることを驚きながらグリフォンの巨躯を間近から見上げた。

「ありす様ガ、ソレヲ正シク伝エラレナイ場合ニ備エタモノダ」

「言えよグリフォン。アリスは俺に何を?」

「ソレハ……『ワタシトイウ夢ヲ忘レテ、世ノ常ノ女ノ中カラ、凡庸ナ後添イヲ捕マエテモ、カマワヌノダゾ』トノコトダ。《記述者》ヨ」

 グリフォンのその言葉で、司波はありすが明日の朝、自分に伝えると約束した内容がなんなのか正しく理解してしまった。

 現実――地上世界で云うところの死。

 それに相当する状態となったアリスとは二度と言葉を交わせなくなったということだ。

 《幻想代行者》がその名と力を後継者に託すというのは、実質的に自分の死を意味するのだと、かつてアリスは司波に語っていた。

 懐中時計のメッセージの最後を、ありすはなんらかの手段でごまかしていたのだとも。

「勝手なこと言いやがって……ずるいぜ」

 迷惑そうな言い草には悲しみの色があった。

「先代カラ託サレタ我ラノ務メハ、コレデ果タサレタ。ありす様トハグレテ地上世界ニ出タ時ハ、ドウナルカト思ッタガ……《記述者》、感謝スル」

「どーいたしまして」

 司波がおどけて返事をすると、グリフォンの姿は霧散してしまう。

 直後、中空からトランプ状のカードが一枚、ゆっくりと降下してくる。

「あとで、ありすに渡せばいいんだな」

 《蟹座》の《幻想代行者》の力を象徴する妖精の姿が封じられたカード。

 そのひとつを手に取り確かめると司波は乱雑に学生服のポケットへ放り込んだ。

「い、一条先輩っ!」

 大沢が駆け寄ってくる。

 さて、なんと説明すればいいやら、と――司波が途方に暮れていると。

「な、なんなんスか? 俺らにはよくは聞こえませんでしたけど、悪魔払いの呪文とか、そういやつなんスかね?」

「そーゆーやつは、ひとつしか教わってねーよ」

「と、とにかく、一条先輩が呪文の詠唱だけで、あんなすごいのを消せるってのはわかりました。あれって超能力とか霊能力とか、そーゆーやつっスね!」

 大沢に続き、グリフォンとの会話を遠巻きにしていた生徒たちは、驚嘆の目で司波を見つめていた。

「幻覚だよ、幻覚。集団幻覚ってやつだ。ていうか白昼夢を団体で見てたんだ。それで終わりにしておけ」

 視線が、これまでの不気味なモノを警戒するそれとは異なり、尊敬とあこがれめいた、賞賛するような雰囲気だったことが妙にこそばゆい。

「さっすが超一流の能力者っスねえ、一条先輩! 今日は放課後にでも、さっそく独占取材させてもらいますぜ!」

「やめろって! 男が、くっつくんじゃねえ!」

 もみ手で寄ってくる大沢を、しっしっ、と払いのけながら、司波は遅刻生徒の先陣を切って校舎の昇降口を目指した。

 ぞろぞろと、さっきまでの観客だった生徒たちを引き連れ校庭を突っ切る。

 校舎棟へ入ろうとすると昇降口から一人の若い女性教師が飛び出てきた。

 剣道用の防具である胴だけを、道着にも着替えず、にわか仕込みで装備して走ってくるのは司波のクラス担任その人だった。右手にはカーボン製の竹刀を握っている。

「……竜崎せんせー、なんで、そんな格好?」

 自分のクラス担任であるその女性へ司波は思わず声をかけてしまった。

「た、戦うのよ~! あの凶暴そうなグリフォンから生徒たちを守るの!」

 国語教師・竜崎舞はでたらめな構えで竹刀をブンブンと振った。

「舞ちゃん先生、あのモンスターだったら一条先輩がなんか呪文を唱えて、追っ払ってくれましたけど……」

 司波の後ろから大沢が顔を出して呼びかける。

「あら、そうなの。せんせーはとっても残念……中学生の頃から考えてた必殺技を叫んで攻撃しようと思ってたのに……」

 舞はハンカチを取り出して汗ばんだ額を拭った。

「ひっさ~つ! まじかるメガスラスト~って!」

 仕草を見る限り、それは突き技らしかった。

「幻覚、幻覚だ。そうに決まってる。夢の中じゃあるまいし、あんなの現実に出歩いてるわけ、ねーだろ。少しは常識で物を考えろよ」

 と、夢の世界から来た娘を持つ司波は一般論を言う。

「あら、一条くんは夢がないのね。せんせーはね、大学時代は幻想文学研究会に入ってたのよ。テーブルトークRPG遊んでサイコロを振りながら、幻想と現実がクロスオーバーするこんな日を待ってたの~」

 こいつはクリスの同類だったのか!

 司波はこの春からの担任の切実そうな語りにため息をつく。おっとり天然気味ながら明るく前向きな担任には好意的印象を持っていただけに残念でならない。

「きっとあのグリフォンの出現は、学校が異世界に次元転移する予兆ね。せんせーたちは都合良く古代と中世と近代が入り混じったヨーロッパ風ファンタジー世界で、七転八倒しながら、地球に帰るための冒険を繰り広げるのよ~♪」

 司波の推測は当たったようで、舞は楽しげに自分が抱く幻想の数々を生徒たちに語り始める。

「一条くんが呪文使いなら盗賊(シーフ)僧侶(クレリツク)戦士(ファイター)がいれば、古典的なパーティーが結成できそうね♪ せんせー感激♪」

「ま、舞ちゃん先生?」

 大沢は意味を図りかねて当惑している。

「ったく……うちの法的保護者みたいなことを竜崎せんせーが言わないでくれよな」

「あら、もしかして一条くん現代風にアタッカーとかキャスターとかヒーラーとか、そーゆーのじゃないとダメなんだ?」

 二十歳代半ばの完成した女性らしい体と少女らしいあどけなさ。

 それを残した顔と豊かなふくらみが無防備に司波の顔へ接近してくる。一応は多感な思春期男子である司波は目のやり場に困って赤面した顔を背けた。

「サイコロ振るのはスゴロクだけでいい!」

 クリスの趣味にあれこれと付き合わされた司波は、舞が言うことの意味もそれなりに理解できていたが、面倒な遊びという印象しかない。

「遅刻したくないんで先に行く!」

 そう言って昇降口へ逃げ込む。

「一条せんぱーい、待ってくれよ! 俺だって遅刻したくないっス!」

「あーっ、二人とも、クラス担任を置いてかないでえ~。せんせーがいないんだから、出席は取れないでしょ~?」

 そして残された生徒たちは、三人の中で司波だけが昇降口に入った瞬間に消失するのを目撃し、自分の目を再度疑うのだった。

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