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十一章『めざましトークは《蟹座》のありすと』

 あおむけに転がった自分の身体に、ありすが水泳の飛び込みのように飛びついてきて、手を握った。そこまでの間、司波の意識は中島クリスの夢の中に存在していた。

 次に意識が回復すると、そこは薄ぼんやりとした暗がりの中で、司波は垂直方向に対して頭を向け落下を続けていた。朝、グリフォンとの会話直後に迷い込んだあの夢と同じ場所だった。

 もう、さっきまでの夢がどうなっているか、ありすやジェイムズたちがどうなっているのか認識できなくなっている。

「ちがう……俺が見たいのはこんな夢じゃねえ!」

 そう叫ぶと周囲の黒い壁面が立体映像めいた情景を展開させ、司波に時間を超越して、別の夢を提示する。

 最初のそれは中島クリスが基礎教養だと言って見せた歴史ドキュメンタリーのもので、映像技術の創始から記録されてきた十九世紀末~現代に至る人類の姿。

 全八百七十三分あるそれを、時間を無視して瞬時に司波は認識する。

「ちがう!」

 すると記録映像の恣意的な編集だったそれは、現実の重みと色彩を備えた、主観的な視点による疑似体験として変化。

 司波に現在から過去へと人類の歴史を刻みつけていく。

 帰属している文化観や民族としての知識や情報の追体験は、次第に大きな枠へと拡張されていき、宗教的概念や原始的な本能の域にまで飛躍的に視点が広がる。

「な、なんだここ……は……これ……は?」

 それは無論、回答を期待していない独白だったが、応じる者があった。

「きみという存在が《記述》している世界そのものだよ。ひとつの世界、ひとつの時空連続体、ひとつの平行世界の歴史を、夢として認識しているんだよ」

「アリスが言ってた……人類の集合的無意識ってやつ……か?」

 司波は、めまぐるしく周囲で変化していく歴史の断片から、その人物に目を移した。

「そうとも言うね一条司波くん」

 緑を基調とした色で、胸に球状の大きな宝石をあしらった魔法少女姿の中島来未が言った。

「クリスのイメージの姉貴なのか? ここはまだクリスの夢?」

 来未は人差し指を立てて、メトロノームの針のように左右に振る。

「あゆみの夢の中で、あの子に優しくしてくれて、ありがと。だけどあたし来未だから、くるみん、と呼ぶよーに」

「邪魔すんなよ! 俺が見たい夢はこれじゃねえ。日が暮れて夜になって……それで朝が来て呪文が復活する夢が見たいんだ!」

「《記述者》の特権は夢という形でここにアクセスして世界を書き換える力なんだよ。呪文は、それをミニマムな形態で示唆する呼び水。きみが見たい夢って、その程度でいいんだ?」

「意味わかんねーよ。何が言いたい! それとあんた幽霊か?」

「大好きな女の子が身近にいて、少しずつ隣で大人になってくれる夢とか、どう?」

 来未が腕を伸ばして指し示す。

 角筈中学の制服を着て、むくれた顔で司波の隣を歩いているアリスがいた。

「アリス!」

「一歩前に進んで、そこに飛び込んじゃえば、それが新しい、きみの現実になるんだよ。ここに来たことも、その世界を選んだことも都合良く忘れてね」

 アリスはイギリスからの飛び級留学生として。

 司波は二人の妹と両親と暮らす平凡な中学生として、と来未は付け加えた。

「ぶっちゃけ、ラノベ的な展開としては、それがいちばんお勧めだと思うな」

「よけーなお世話だ。それより、あんたここで何してるんだ」

「あたしにとっての、いちばん都合のいい世界を捜してるところ。バスに乗ったら変な宗教の人が自爆テロとかしてくれちゃって……あたしと仲間と、あゆみが助かるやつを捜してるんだけど、なかなか見つかんないんだよね」

「俺が知ってる話だとな……あんたは、あゆみをかばって死んでるぜ。他の友達もだ。バスに乗ってて生き残ったのは……ひとりだけだ」

「ちぇーっ、やっぱり、それしか無いのかあー。あゆみが生き残ってくれるのは」

「おい! 書き換えられるって話じゃねーのかよ?」

「書き換えた分だけ、他の人たちが不幸になる世界を分岐派生させて無視ってのは、趣味じゃないんだ。地上の愛と正義のために戦う、まじかる騎士(ナイト)的にはね」

「なんで俺には勧める?」

「そこはほら、主人公体質な男子には、悟りを開く前のシッダルダさんとか二千年前のナザレの大工さんとかを参考にして、悪魔の誘惑をささやいておかなくちゃ♪」

 あゆみはもう一度腕を伸ばし、飛び級留学生のアリスと司波が、まどろっこしい痴話ゲンカの末に結ばれるという理想的な世界を見せつけた。

「ありすがいない」

 家庭を築いたふたりの間には、やがて子供たちも産まれ成長するが、彼女はいない。

「ああ……っと、誰だっけ、その子?」

 わざとらしい、とほけた返事だが司波はそれには触れずストレートに答えた。

「俺とアリスの娘だ。母親似で頑固でわがまま。《蟹座》の《幻想代行者》」

「平和で理想的な世界には必要ないから、産まれてこないんじゃないの」

「だったら俺は――」

 司波は来未を真似て腕を伸ばす。

「ありすがいない、この夢は見ない」

 切望していたはずの世界は幻影として薄れ、暗がりが舞い戻る。

「じゃあ、あたしも――」

 中島来未も、自分の目の前に投影されていたそれを腕を伸ばして振り払う。

 自分だけが生き残り、妹と友達を失うという世界を。

「人生最後に見てるこの夢から――」

 来未が呪文めいた何かを口にしたのを見届けぬまま、司波の身体は再び異様な加速で落ち続けていく。

「ちっきしょう! また……でかい穴にに落ちてく夢かよ……今度は誰のだ?」

 今度こそ返事など期待してはいなかったが、また意外なことに反応があった。

「わたしの……夢」

 正しくは、司波の声とは無関係のはずだった独り言。

 司波とは天地を逆にして、上に落ち続けている少女がいて、ちょうど会話できる程度に互いの落ちる速度が一致し交差していく。

「ありす?」

 メアリー・スウは、七年後だという、あのありすよりも少女らしさを備えていたが、母親と同じ黒髪と、何より決定的だったのは胸元で揺れているくすんだ金色の懐中時計。

「お――」

 おとーさま、と続く以外にあり得ない言葉と後悔の涙を、メアリー・スウは振り払い、あわただしく両手で懐中時計を包んで隠す。

「お、お疲れのようですね《記述者》一条司波さん。わたしは、非公式に活動している十三番めの《幻想代行者》で《蛇遣い座》のメアリー・スウです」

「ふざけてんのか、ありす?」

 あきれ顔で司波はどう見ても娘が成長した姿だとしか見えない少女にそう言う。

「ふざけてはいません。《蛇遣い座》は番外で、必要に応じて他の星座に属する者の力を借り受けることができます。見た目も影響を受けてしまうのです」

「マジで、ありすじゃねーのかよ?」

「はい。残念ですが」

 しばらくの間、司波はメアリー・スウをしげしげと見つめたが、やがてあきらめる。

「だったら教えてくれ。ここはどこで、どうすれば俺は呪文を復活させて起きられるんだ?」

「ここはある人物の夢の中です。それは機密ですので教えられませんが、あなたの呪文はまだ残っているはずですよ」

「《黒騎士》を倒すのに四つ全部使い切ってる。そいつを回復させようとして、横になって目を閉じたんだ」

「……わたしには、もうひとつ残っているのがわかりますけど」

「いや、こればっかりは確かなんだ。使い切ったのを、ちゃんと、おぼえてる」

「背中です。そこにある傷に……五つめの呪文が封じられているのが見えます」

 指摘されてから意識すると、大きく《X》状になった傷の跡が熱くなった。

 それはカルト宗教の施設に幽閉されていた時期に、見せ物として焼けた鉄棒でえぐられた古傷だった。その記憶を司波はもう取り戻していた。

特別に特別な呪文(Xtra)

 メアリー・スウが静かに詠唱すると、司波の周りには呪文の束が出現した。

「ここは出入りが難しい夢ですから、めざめるには呪文が必須でしょう」

 それは自身のファーストネームのスペルのみに限定される《記述者》としての力を拡張するものだった。呪文の束を作るアルファベットにはAからZまですべて含まれている。

「それとごめんなさい。これを渡した……誰かは、使い方を説明するのを忘れるほど……気が動転していた……みたいです」

「どうして、あんたがあやまってくれる?」

「それは……ええと……」

 答えに窮するメアリー・スウの虚を衝いて司波は呪文の束からそれを選び取って握り、「起きるぞ、ありす(Awaken)」   

 と呪文を唱えながら、空いた方の手でメアリー・スウの腕をつかんだ。

 彼女はありすなのだと確信があった。




 すべては夢だとの錯覚は恐怖だった。

 毛布を跳ね飛ばして上半身を立てた司波の横にパジャマを着たありすが寝息を立てていた。空はもう明るい。

「ふみゃーん……ありす、まだねむたいよう……おとーさまあ……」

 目をごしごしと、こすりながら、ありすも身体を起こしてきた。

「悪い悪い。ごめんな、ありす」

 《黒騎士》との戦いは決着し、ありすたちは朝の食事を済ませたら夢幻境へと帰還。そういう話になって、夕べはこの部屋とクリスの部屋に別れたのだったと思い出した。

「ふはわああう……なんだか、ありすも……目がさめちゃった」

「そっか。おとーさまと同じだな」

「おとーさまと、ありす、おそろいだー♪」

 はしゃいで、ばたばたと手足を動かすありす。

「朝メシ作るにはまだ少し早いか。なあ、ありす」

「なあに、おとーさま?」

 そんな風にして奇妙なこの親子の会話はとりとめもなく始まる。

 司波が中島クリスとの暮らしをおもしろおかしく話すと、ありすはメアリー・アンの育児っぷりを偏見混じりに愚痴って、仲良しだという《牡牛座》の《幻想代行者》との遊びや冒険を童話めいた語りで熱っぽく語る。

 そうして互いに不思議な幸福感に浸り、ごろんごろんと六畳一間の部屋を寝転がっているうちに、自然と心地良い疲労と眠りが舞い戻っていた。

「おやすみなさい。大好きな、ありすのおとーさま」

 最後に司波の耳に届いた声は、ひどく大人びていて、さびしげな響きだった。




「おとーさま、起きて、ね、起きて♪」

 ぱさあーっと、毛布がはぎ取られると、目の前には、ありすの笑顔。

 窓の外から朝の光が差し込んでいて、スズメたちの鳴き声もうるさい。

「朝ごはんは今度こそソースやきそばー♪」

 ありすは母親譲りのあのエプロンドレス姿だし、完全に起きている。

「なんだよ。ありすも二度寝してたんじゃ……なかったのか?」

 ごしごしと目をこすりながら司波は仕方なく起き上がる。

「はにゃん? ありすは良い子だから、お寝坊さんなんかしてないよー?」

「おっかしいなあ……まあいいけど……それより、せっかくのお別れの朝メシなのに、ソースやきそばなんかで本当にいいのか?」

「お別れ? それ、なあに?」

「何って、一件落着したし、朝メシ喰ったら、ありすとメアリー・アンとジェイムズは夢幻境に戻るって話だったんじゃあ――」

「あーっ! おとーさま、寝ぼけてるー!」

 司波が状況を認識しようと無駄に考え込んでいるとノック音がして、それからドアが開く。

「おはようございます司波さん」

「お、おう。おはよーさん」

「ねえ、メアリー。ありすたち、夢幻境に帰るなんてずっと先の話だよね?」

「ええ、そうですよ。あたしと、それにユニコーン以外の残りのみんなは、ありす様が、ずるして、おとーさまに会おうとしたから、人間界でバラバラに行方不明ですから」

「ごめんなさいメアリー」

「ということで、妖精たちの所在確認と夢幻界への帰還ないし、再契約が終わるまでは堂々と滞在してもいいと、プロスペロ様から許可が出ました」

「そ、そっか。おまえらも大変だな」

「他人事みたいに言って……司波さんはありす様の父親です。こちらでの、あたしたちの後見人なんですから、しっかりしてくださいよ。主に経済的な面で」

「おーい一条司波。中島クリスの電子頭脳の箱を蹴飛ばしたんだが、動かなくなった。どうすれば直るか説明しろ」

「司波~ごはんごはん~♪」

「おや? だいぶ、にぎやかになったね。部屋をもうひとつ借りるという話だそうだが家賃はきっちり払ってもらうよ」

 次々と来襲する人騒がせな面々に、司波は頭を抱えて苦笑いを見せた。

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