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九章『夢の国のありす』

 冬枯れて、寒々しい平原を駆けてくる漆黒の軍馬と騎士が見えた。

 それは《悪夢》の化身として《白騎士》が《黒騎士》に変容した姿であり、《一角獣(ユニコーン)》も同様に《悪夢》に染められ夢幻境の秩序を乱す存在となっている。

 どちらも本来であればアリスに属していた。

 《記述者》一条司波との冒険でアリスは十二体の妖精と再契約。

 《蟹座》の《幻想代行者》として満足に能力を発揮できるまでに回復していたが、その妖精たちの顔ぶれは、《記述者》を得る以前とは何名か異なっている。

「おかーさま。あれが……おじいさまとユニコーン?」

 不安げに自分を見上げた娘の髪を、アリスはその父の仕草を真似て軽く叩く。

「ありすは心配しなくていい。説明していた通り、おかーさまが仕留める」

 そう言って隣にいるありすを残し、アリスは前に進み出た。

 《黒騎士》が手綱を弱めるとその愛馬は、静かに少女の前で止まった。

「問答無用で挑み掛かってくるとばかり思っていたよアリス」

 《記述者》である一条司波が夢幻境に存在した時期、ほとんど言葉を発することが無かった兜の内側から声が漏れる。

「わたしも同じように考えていました。交渉の余地ができたと考えていいのでしょうか?」

「そうなのであれば、忍ばせている厄介な妖精たちのカードを手放してもらおうか」

「お父様もユニコーンを降りて物騒な馬上槍(ランス)を捨ててください」

「よかろう。他ならぬ愛娘の頼みだ」

 《黒騎士》ルイス・キャロルはまず馬上槍を手放す。

 重みに耐えかねて地面はきしみ、埋もれていく。

 次いで《黒騎士》は、ゆっくりと軍馬の装いをしたユニコーンから地面に降りた。

 主が背中から降りると黒いユニコーンは静かな歩調でその場から離れていく。

 アリスはそれを、けげんそうに見届けると自らも動いた。

「では、わたしも約束を守りましょう」

 右腕を大きく伸ばして手刀で空を切る。

 右手首の袖から十二枚のカードが飛び出して、風に舞い、宙をそよいでいく。

 それらすべてアリスの能力ともなる妖精たちを封じたものであり武装解除に等しい。

「ユニコーンの対となるライオン、グリフォンにチェシャ猫……メアリー・アン、蟹はいいとして、他の妖精どもは見慣れぬ面々のようだが」

 飛び散っていったカードたちの表面に示された図画を見上げ《黒騎士》が指摘する。

「司波を人間界に送り届けた後、モリアーティーとの契約は解きましたが、お父様がユニコーンを奪った後で、司波を見習い節操なく力を組み替えています」

 ありすが物心ついた時にはユニコーンはアリスの下から離れていた。

 司波が去ったのちに、アリスと《黒騎士》との戦いで奪われてしまったのだという。

「すべては、あの《記述者》の存在が害悪となったのだね。かわいそうなアリス。そのような不義の子までも背負わされてしまった……」

 兜の内側は暗くて見通せないが、そこには赤黒い眼光が宿り、ありすを射すくめる。

「お、おかーさま。不義の子って……なあに?」

 アリスの背中に隠れたありすは、小声で質問する。

「ありすはまだ知らなくていい。口にした方の人間性が問われるたぐいの悪口だ」

 軽蔑のまなざしでアリスは父を――より厳密にはその人格と記憶と《記述者》としての能力を限定的に再現した――さらにそれが《悪夢》に変じた忌避すべき父性の象徴を見据えた。

「人間性か? それを言うのなら地上に出回る悪意に満ちたまがい物の数々の方が、どれほど汚れていることか」

「善きにつけ、悪しきにつけ、それが夢というものですよ。欲望と言い換えてもかまわないでしょう。それ無くしては夢など誰も見ません」

「モリアーティーなりプロスペロあたりから、要らぬ知恵を吹き込まれたか……そんな賢しげな言葉は忘れて、お父様の愛らしいアリスに戻りなさい!」

 怒号にも近い叫びに空気が震えて、ありすは目をつぶった。

「もし、もしも、そうすることができるなら……お父様は《悪夢》の化身たることを、やめてくれるのですか?」

 一拍の呼吸を置いてアリスは答えた。

 夢幻境における《悪夢》とは、創作された登場人物であること、存在であることを忘却し、あるいは否定した上で、おのれの在り方を改変させるべく干渉を続ける災いの化身。

 大多数は夢幻境の住人――主に十二名の《幻想代行者》によって制圧されているがその警戒をかいくぐり、地上の人間界で実体化し活動する場合もある。

 かつてアリスは司波にそう告げた。

 そして《黒騎士》は司波が去って一年で、その力を伸ばし続け危険な域にまで達している。どうにかアリス自身が統括する領域内に封じ込めてはいるがそれも限界に近い。

 だからこそ彼女は自分の娘の成長を見届けた上で、最終的な決着を図るべくこの場に出向いてきたのだった。

「お父様のかわいいアリス、それは無理だ。なぜなら夢幻境も人間界も、この世は汚れきっている。神の教えに反するすべてを灼き焦がし、浄化された新たな時代を造り上げねばならない。奇しくもそれは、あの忌々しい《記述者》の少年の願いと合致している」

 カルト宗教の遊び半分の儀式で《悪夢》の化身となった司波は、彼自身と妹を虐待と凌辱で汚し、傷付けた世界そのものの破壊と滅亡を願っていた。

 アリスもそれを知っている。

「アリス、お父様と来なさい。《悪夢》などという呼び名は、おぞましい現状を好む俗物どもが付けた言葉だ。正しく《浄化》と言いなさい」

 《黒騎士》が右手を娘に差し伸べる。

「お父様とふたりで本当に素晴らしい夢幻境を……いや、人間界からも夢からも、汚らわしいものすべてを葬り去った――」

「あなたは――もう、おまえはお父様などではない《黒騎士》」

 差し伸べられた黒い甲冑の腕をアリスは軽く払った。

「何を言うんだアリス。悪ふざけはやめなさい」

「《白騎士》であった頃のお父様は……そこに人としての生での未練があったから、わたしを過保護なまでに愛して……不完全な力で《幻想代行者》としての役目を肩代わりした」

「それで良かった! あのままで良かった!」

「そして――いまならそれが歪んだものだとわかっていても……尊ぶべき心があった。わたしという大切な人形を奪った、憎い司波さえも救おうとする誇りがあった!」

 地上の人間界に集積した《悪夢》の化身となった司波を《白騎士》は救おうとした。

 アリスが知るべき、認識すべき《アリスの物語》にまつわる無数の下卑た醜悪な創作物に関する情報を肩代わりして引き受けていたのと同様に。

 《白騎士》は《悪夢》の化身となった司波の力に呑み込まれながらも、おのれの力を与えて、アリスとの記憶と絆を強く認識させ、自我の回復を期待していたのだ。

 それだけであれば《白騎士》は未だに《悪夢》と化さず、アリスにとっての忠実な助言者と守護者を気取り、その役目に甘んじ続けていたはずだった。

 だが彼は――娘が自ら望んで司波の記憶を夢として預かり、空白部分だらけの記憶という夢を見せることに反対し、受け入れられず――

「アリスは汚れてはならない!」

 体格と装いだけであれば少女と騎士との間には隔絶した差があるのは歴然。

「では、どうするというのだ《黒騎士》?」

 にも関わらず、相手を圧倒しているのは小柄で子供にしか見えない少女の方。

「かつて、お父様だけのアリスだったわたしは、世俗の不道徳な行状を知り、認識し、あまつさえ感情の高揚に委せて肉欲におぼれたのだぞ?」

 ありすには母が不自然に相手を嘲笑しているように見えた。

「ならば私も言おう――おまえはアリスではないッ!」

 《黒騎士》の手がアリスの胸倉をつかみ、そこから首を握り宙に持ち上げる。

「うぐむっ……く……」

「おかーさま!」

 ありすが負けじと母のスカート裾をつかんで引き戻そうとした。

「まがい物は引っ込んでいろ。邪魔立てするなッ!」

「ふぎゃんッ!」

 《黒騎士》の眼光が不可視の力となって、ありすを吹き飛ばす。

「姿形だけは私のアリスのままだな……その中身に、浄化された私の意志を注いで……愛らしいアリスに生まれ変わらせてあげよう……お父様だけのアリスに」

 甲冑の手甲部分からは黒い毒霧めいた何かが立ち上った。

 それは宙吊りとなったアリスの身体を包み込んでいく。

 が――

「あい……にくだが……この身体は……司波の他には許すつもりなど……無い」

 黒煙はかすれた声のアリスの意志に散らされる。

「ここはおまえの夢だった。しかし、その不義の子を設けたこと、そして《記述者》を帰したことで大きく力を減衰させた」

「それは……そちらも同じこと」

 力なく、だらりと垂れていただけのアリスの右手首が動き始める。

「むうッ?」

「ありす……おかーさまの分も……おとーさまを愛してやってくれ」

 手首の内側にこぼれてきたのは白紙のカード。

 アリスの指がそれを握る。

「おかーさま! 打ち合わせとちがう!」

 起き上がったありすが叫ぶ。

 彼女に対して母は《黒騎士》を封じる手立てとして、そのカードを利用するとは伝えていたが、充分な距離と間合いを確保してから、との前提だった。

「《白紙(ブランク)》か! だがこの間合いでは、おまえ自身も、あの不義の子も――」

 《黒騎士》の左腕はアリスからそれを奪おうとするが、その動きは鈍重そのもの。アリスの意志がそれを拘束しているのだ。

「ありすは、わたしと司波の娘だ。侮辱した報いは受けてもらうぞ《黒騎士》ッ!」

 宙を舞っていた十二枚のカードが形と意匠そのままに大きさだけを数メートルに倍加させて落下し、地面に突き刺さる――アリスと《黒騎士》を包み隠すように。

「おかーさまあッ!」

 駆け寄るありすの眼前で白い爆発が生じた。

 巨大化していたカードたちは本来の大きさに戻ると、ひらひら空を滑り、ありすの足下に落ちた。

「おかーさま……」

 十二枚のカードによって包囲されていたそこは完全に白く塗り潰されていた。

 その白い空白も次第に薄れてしまう。

「ありす様……アリス様からの伝言があります」

 カードのうち、一枚が光って、ありすにもなじみ深いメアリー・アンの姿となる。

「メアリー……」

「アリス様は、こうなることを予期していたんですよ。その懐中時計には司波さんと、ありす様に伝言……それとあたしたちには――」

「そんなの知らない! ありす、なんにも聞いてないもん!」

「駄々をこねないでくださいな。先代のアリス様が亡くなられて、契約は自動的に引き継がれました。これからは、あなたが《蟹座》の――」

「そんな契約してない!」

「ありす様!」

「ありすは、おとーさまのとこに行く! おとーさまは《記述者》で、思ったことは、やりたいことは、なんでもその通りになるって、おかーさま言ってた!」

「いけません。司波さんはもう――それに現時点でのありす様では、あたしたちと契約を維持したまま、夢を渡って地上の人間界へ行くなんて無理です」

「おとーさまに、おかーさまを生き返らせてもらうんだよ! 何がいけないの?」

「夢幻境の中では、あらゆる存在が物語を担う演技者です。言わばこの世界は地上で人間たちが物語という夢を紐解く芝居の、舞台裏。そこにいた演技者――役者としてのアリス様はもういません。亡くなりました。あなたが次代のALICEですよ」

「ありす、知らないって言ってるよ!」

「そういうルールです。今後は学んでください。もし強引に破れば《記述者》ルイス・キャロルの複製とも分身とも言える《黒騎士》もよみがえるでしょうね。あなたのお母様は、あなたを守るために、それを封じようとしたのに」

「おかーさまと、おとーさまと、ありすと三人で、やっつけるもん!」

「ありす様はアリス様のこと、大好きですよね?」

「……うん」

「でしたら、大好きなアリス様がありす様のためにしたことを無駄にしないで」

「わかっ……た」

「いずれ夢の中でなら司波さんに――おとーさまには会えるようになります。ですから、まずはユニコーンを捕まえて《悪夢》を払うための訓練を優先してください」

 ぐずり始めたありすを抱きしめ、慰めるメアリー・アンだったが彼女にしても司波の夢幻境への再訪とアリスの蘇生を願わずにはいられなかった。

 

 

 

「さーて一件落着だぜ」

 クリスが平静に戻ったの見計らい、司波はそう言ったが、これであとは目を覚まして起きるだけ、と続ける前に割り込みが入る。

「――そうだといいがな」

 背中から届いた声に司波が振り返ると、そこにはジェイムズとメアリー・アン。

 英国貴族の坊ちゃんとお付きのメイドといった風情だ。

「金髪ショタ美少年に素敵なメイドさん!」

「落ち着けクリス! 興奮するとBLで耽美な世界に変化するかも!」

「こんな娘が今の姿の《二次創作者》とはな……」

「ご無沙汰していましたね司波さん」

「腹黒お澄ましメイド、おまえジェイムズと知り合いだったのか?」

 狂喜乱舞して抱き付きそうになるクリスを羽交い締めにしながら司波も驚く。

「メアリー・アン、一条司波によけいなことは言うな」

「はいはい。前の職場……おっと、再契約後のアリス様とありす様にもお仕えしてましたから、三つほど前の雇い主なんですよ」

「それ以上しゃべると、ぼくは早々にこの場から退場させてもらうぞ」

「あーあ残念。司波さんが驚いて、教授が恥ずかしがるところ見たかったです」

 教授、というメアリー・アンからジェイムズへの呼びかけが少し引っかかるが司波はクリスを押さえ込むのに必死でいそがしい。

「メイドの方は毒舌腹黒だけど一途、ショタっ子の方はツンデレと見た!」

「クリス、頼むから大人しくしてくれよ」

「司波もありすとコスプレして映画に行くの付き合ってくれる?」

「わかったわかった。だから大人しくな」

「おっけー♪」

 あっさりとクリスは同意して、司波も羽交い締めを解いた。

「ありす、どうした?」

 ジェイムズはともかく、メアリー・アンとは旧知の間柄の娘が、意気消沈して、うつむいていることが気になった。

「なんでもないよ、おとーさま」

 とは言うものの、ありすの機嫌が悪いのはむくれた顔と声音で明らかだ。

「ジェイムズにはさっき風呂で会ったしメアリー・アンは知ってるんだろ?」

 実際、司波もジェイムズが何者かは知らない。夢幻境の住人で、少なくとも敵対する相手ではないと考えているだけだ。

「知り合いも何もアリス様は人使いが荒くて、ありす様の乳母代わりまでさせられたんですよ司波さん」

「うんうん、メイドさんは、やっぱりそうじゃなくっちゃ。坊ちゃんやお嬢様は、産まれた時からのことは、ぜ~んぶ知られてて、一生、頭が上がらなくなる感じで♪」

 クリスの言葉に司波は、未来でのメアリー・アンとありすとのやりとりを思い出す。

「ええっと……あなた、どちら様ですか?」

「あたしの名は中島クリス! これからおまえに地獄を見せる女だーっ!」

「は、はあ?」

 きょとんとするメアリー・アンを見ても、ありすは、はしゃぐ素振りも見せない。

「なあ腹黒お澄ましメイド、俺たち、このクリスの夢からさめて、西新宿で起きようと思ってたとこなんだが、おまえらは――」

 夢幻境ではないここで、夢幻境の住人である彼女たちが、目をさまして起きた場合は、どうなるのか。そう司波が質問する前に反応があった。

「あ、はい。そのことでお話が」

 メアリー・アンは無遠慮に司波のところへ近付いてくるが、ありすはそれにおびえたように父の背中へ逃げ込み、そっぽを向く。

「そうだ、それはそれとして、ありす様。おとーさまにきちんとお話してます?」

「あ、明日の朝になったらするって……約束……したもん」

 泣きそうな顔になってしまう、ありす。

「ふむ……《記述者》一条司波に関しては妥協した上で納得できたが……一条ありすの方は脈無しといったところか」

 メアリー・アンの能力を利用して気配を絶ち、司波たちの言動を観察していたことは伏せてジェイムズが述懐した。

「何の話だジェイムズ?」

「メアリー・アンではないが、ぼくの次なる職場に関しての話だ。聞き捨ててくれ」

「んじゃ、そうさせてもらうぜ。俺たちは帰る。おまえらもついでに来るか?」

 司波は腕をかざし右手の甲を強く意識する。

 呪文を呼び出して使う仕草をジェイムズとメアリー・アンに見せつける意図があった。

 実際には、あと一回分だけ残っているが、司波の主観ではゼロとなっている。

 あくまで、メアリー・アンやジェイムズの発言を誘導する意図での行為だった。

「司波さん、それは待ってください」

「一日に四回だけの貴重な力だ。この危機的状況下で無駄打ちなどするな一条司波」

 ジェイムズの言葉に司波が眉をしかめる。

「自分の能力なんだぜ。最後の一回の使い道ぐらい考えてる。おまえらの方で問題が無いってんなら、全員まとめて、この夢からさめて、目をさます。それで今回の騒ぎは終わりだ」

 質問を省略したのは正解だったようで、司波はあっさりその仕草を打ち切る。

「どっちにしても今日は打ち止めだ。おまえらが、やばい話を隠してそうだったんで、カマかけに使おうとしただけだ」

「いいえ司波さん、あたしの見立てでは、あと一回分、使えますよ」

「ちゃんとカウントはしてるぜ?」

「呼び出せるかどうか、試せば一目瞭然ですよ」

 それなら、と司波は呪文を呼び出してみるが、確かにもう一度呪文の束が出現した。

「おっかしいぜ?」

 ありすの《記述者》としての力が、お昼の学園での戦いで発現したとは思い至らず、司波は首をひねって腕を払い、呪文の束を引っ込めた。

「話がそれましたが司波さん、ありす様のお話というのはですね――」

「だめえええええっ!」

 メアリー・アンの説明を妨害するありすの叫び。

「明日の朝、ありすがお話するの! おとーさまとそう約束したの!」

「それ、ウソですよね」

「ウソじゃないもん!」

「それなら、けさ早起きして訓練するって出かけて、みんなに説明無しに夢を渡って司波さんに会いに来たことは、ウソじゃないんですか?」

「う……ううう~っ!」

「おかげて十二体の全員が契約解除の状態になって、あたしはプロスペロ様のところに、人間界まで追いかける許可をいただきに……とにかく大変だったんですよ!」

「だっておとーさまの夢をのぞいたら、おかーさまの夢を見てたんだよ? ありすも、せめて夢の中で、おとーさまとおかーさまが、いっしょにいるとこに行きたかった!」

「それとウソがどう関係するんですか?」

 反論できずに、ありすはうなるだけ。

「うううう~! メアリーの意地悪っ!」

「どうせあたし、腹黒お澄ましメイドだそうですから気にしませんよ」

「さっすが、ヴィクトリア朝タイプのメイドさんだ……仕える相手にもスパルタだね、ジェイムズくん」

「馴れ馴れしくするな中島クリス」

 苦笑しつつ司波には、ありすが伝えたいことは母であるアリスの死とそれに伴い《蟹座》の《幻想代行者》を引き継いだ事実なのだと、わかっていた。

「ウソつきには、おしおきですよ。お尻出してください、ありす様」

「やあっ! お尻ぶたれるのは、ありす、やだあっ!」

「メアリー・アン、いいんだ。俺だって――」

 何があったか察している、と言う直前に、司波の脳裏で、アリスと同程度に成長したありすからの言葉が反復する。

『ねえ、おとーさま。ありすは……きっと、おとーさまのところのありすはね、自分で本当のこと、おとーさまにちゃんと言えるはずだから……待っててあげてね――』

「ありす、おとーさまは明日の朝まで待つぞ」

 振り返って自分を涙顔で見上げるありすに笑う。

「ここは夢の中だ。そして俺は――おとーさまは、夢を操る《記述者》だぜ。だから、おとーさまが、いまは明日の朝だって思うまで、どんなに時間が過ぎたとしても明日の朝じゃない」

「それ、ほんとう?」

「ああ、本当だ。ありすが大切にしてる、俺とアリスからの大好きっていう気持ちがこもってるっていう、その懐中時計にかけてな」

「司波さん、ありす様を甘やかしすぎです……」

 むくれるのは、ありすではなくメアリー・アン。

「けどな、ありす」

 司波は、しゃがんでありすと同じ目線になり、頭を軽くぽんぽん叩く。

「なあに、おとーさま?」

「おとーさまも、それに、おかーさまも……たくさんウソついて……でかくなった」

「……うん。ありす、知ってるよ。おかーさまは、ありすと、ちゃんと打ち合わせしたのに、まるっきりちがうことして……お別れもなんにも……できなかった」

「司波も、ありすのお昼ごはんに、ソースやきそば作るって言ったのに、牛乳とパンで済ませちゃったもんね」

 冗談を言って場を和ませようとしたクリスは、姉のイメージと対面してから別離するように強く望んだありすの真意を、なんとなくだが悟った。

「結果としてアリスも俺もウソつきだった。言わない方がいいのはそうだけど、必要だと思うなら言うしかない」

「ねえ、おとーさま。それって、ありすはウソつきになってもいいってこと?」

「そうだ」

「司波さんっ!」

「メアリー・アン、一条司波に弁明させてやれ」

「弁明も何もありゃしねーぜ。ガキってのは、さんざん悪さしまくる生き物なんだ。いちいち、それに怒鳴ってられるかよ」

「ありすは悪さなんて、しないよ?」

「したけりゃ、していい。やりたくなきゃ、やらなくていい。ウソも同じって話だ」

「ありす、よく、わかんない……」

「だったら、わかるようになるまで、ゆっくり考えろ。ちなみに、おとーさまの場合、おかーさまが仕掛けた優しいウソに気が付くまで十年かかった」

「優しいウソって?」

「ありす様!」

「おとーさまはな、昔ものすごーい不良だったんだ。あんまりすごいことやらかしてたからな、反省するのと立ち直るのに時間がかかるってアリスのやつが心配して……ついさっきまで夢を見せてくれてた……優しいウソだった。文句もあるが感謝してる」

「おかーさまは、いいウソつき?」

「ありすと同じように、な。明日の朝まで、俺が泣いたり悲しい気持ちにならないようにって、そう思ってのウソ――時間稼ぎだもんな」

「あ、あのね……おとーさま」

 ありすは後ろめたさだらけの顔で父を見つめる。

「おかーさまもういないの。おじーさま……《黒騎士》と戦って……死んじゃった」

「そっか。なんとく、そんな気がしてたよ。おとーさまは」

「ありすは……その後で、いっぱい訓練して、少しは強くなって……だからそろそろ、おとーさまに会いに行ってもいいって……そう思って……みんなにウソついて……メアリーもだまして……夢を渡って……おとーさまに……会いに来た……だけなんだよ」

 泣きながら、ありすは隠そうとしていた事実を告白する。

「付け加えるとですね……ありす様はご自分の未熟さ、非力さを正しく理解していて……執拗に追ってくる《黒騎士》に、お仕えしているわたしたち十二体の妖精を傷付けられるのが怖くて……わざと契約が解除されるような力の使い方をして夢から現実へと渡ったんですよね?」

 メアリー・アンが優しい目でありすを見つめる。

「ち、ちがうよ! ありすは悪い子で、昔のおとーさまみたいに不良だから……わがままで、やりたい放題したいって思っただけだもん!」

「さすが俺とアリスの娘だ」

 司波は、娘のへたくそなウソに苦笑する。

「ごめんなさい! ありすはウソつきの悪い子……ものすごい不良なんだよっ!」

「子供が親に似ちまうのは当然だ」

「おとーさま……ありすのこと怒らないの? お尻、ぶたないの?」

「ありすは、たくさん泣いて悲しくなって……俺の分もつらい気持ちになってくれて、反省もしてるだろ」

「うん……」

「おしおきはもう、終わってるから怒らない。けど、これから先に、誰かを傷付けたり苦しめたりするようなウソついたら……おとーさまがお尻ぶつから覚悟しろよ」

「えわあああううっ! おとーざまあっ! ごめんなざあいいいっ!」

 わあわあ泣きわめくありすを司波は両腕で抱え上げ、よしよし、と頭をなでてから、くしゃくしゃになった娘の髪を指でとかしてやるのだった。

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