Act 7
「あれから二週間かぁ……」
夕子はぼんやりとつぶやいた。
あの伯父の絵にまつわる事件から二週間の時が流れていた。結局、伯父は何も覚えていなかったし、相変わらず妖精画家として売れている。画風は以前と段違いに明るくなったが、それがまたコレクターたちに気に入られたらしい。
夕子は張り合いのようなものを失ったような気がして、ただただ毎日を過ごしていた。無理もない。悪魔と真正面から向き合って命のやりとりをしたのだ。それに比べれば、抜き打ちの英単語テストも、朝のラッシュ時の殺気だった人込みも、何でもない。
あの出来事が夢ではないのは確かだ。夕子の手には、あの日ショウから借りっ放しの真っ黒なマントがある。
その日は、午後から急に雨が降りだした。
珍しく自分と両親の休みが重なって出かける予定を立てていた夕子は、この長雨にうんざりしていた。
二階の自分の部屋の窓から雨が降るのをじっと見ていると、玄関のチャイムが来訪者の存在を告げた。母がいるときは、応対は母がやるのが暗黙の約束だったので、夕子はぴくりとも動かない。
「夕子、お客さんよ」
母が呼んでいる。
「はーい」
返事をして夕子は階段を下りる。どうせ友達が数学のノートを借りにきたに違いない。課題の提出日は連休明けの明日だ。
だが、夕子の見たのはそんな日常のひとこまではなく、黄バラの花束をいっぱいに抱えた青年だった。
「どちらさまでしょうか」
見覚えのない青年だったので夕子が聞くと、青年は黄バラの中から顔を出した。目が悪いのだろう、色の濃い眼鏡をかけている。鼻筋はすっきりと通っているが、髪はくしをとおさなかったのか、くしゃくしゃだ。
青年が口を開く。
「おまえ、もう俺のこと忘れちまったわけ?」
その口調と声は夕子が知っているものだった。
「ショウ!」
「やっと思い出してくれたか」
側にいる夕子の母を気にして、ショウが夕子の耳元で言った。
「ここんとこ晴ればっかりでね。俺は雨か曇りじゃないと昼間は外に出られないんだ。何せヴァンパイアだから」
「夕子、お母さんにこの方を紹介してくれない?」
夕子の母が不機嫌そうに言う。見たこともない青年と自分の娘が親しく話している場面を見た親としては当然だろう。何を言ったらいいのか思いつかなくて言いよどむ夕子の代わりにショウがさらりといってのける。
「お母さん、初めまして。僕は夕子さんとお付き合いをさせていただいているものです」
「え?」
当の本人である夕子と、その母の驚きの声が重なった。
「おいおい、なんだ?」
夕子の父が新聞片手に、リビングからのそのそとはい出てくる。
「真山さん、ごぶさたしてます」
ショウがひときわ声を上げる。
「おお、翔一郎くんじゃないか。なぜ、君が私の家に?」
はかったようなタイミングで、軽い驚きの言葉を夕子の父は発した。
「実は僕、お嬢さんとお付き合いさせていただいているんですよ」
「ああ、そうか。君なら夕子も安心だな」
妙にあっさりとした父とショウの会話に夕子は絶句する。知り合いというだけでも驚くのに、父がショウに太鼓判を押すとはどうなっているのだろう。
夕子の母がそこに割って入る。
「あなた、いったいこの方はなんなんです? それにいきなり夕子と……付き合っている、なんて……」
夕子の父は眉をひそめる妻に、軽く笑って言った。
「彼は幣原翔一郎くん。若手脚本家だ。ほら、この前、私が主役で吸血鬼の役をやったラジオドラマがあっただろう? あれの原作と脚本を書いたのが彼だ。彼のことは私が保証する。大丈夫、彼なら安心だよ。ほら、私たちは引っ込もうじゃないか。ここは若い人たちに任せて、というやつさ」
そういうと彼は、また何か言いたげな妻の手を取り居間に入っていった。
ショウに向かって父が下手なウインクをしたところを見ると、前もって打ち合わせてあったらしい。
「ずいぶんと根回しがきいてますこと。ショウ、これはどういうこと?」
夕子は怒気を含んだ声で言う。自分の意志に関わりなくいきなり親に交際を許されてしまったからだ。
「お父さんとはさっき聞かせたとおりの間柄だ。おまえはオレのパートナーだろ? これからオレがおまえの家に来る機会も増える。オレの見た目とおまえの年を考えると、これがいちばん自然で怪しまれない方法なんだよ」
顔が引きつる夕子。
「だからってね、あたしの気持ちというものも考えて……」
「考えた。根拠はパートナー解消願いが出てないこと」
「言いそびれただけかもよ。あの時はいろいろ立て込んでたし」
ショウはそれには答えずに、夕子の前に持っていた花束を差し出した。夕子はそれを受け取る。
「逆さまにして飾っておくように。花言葉も逆さまになるようにな。それにな、黙ってプレゼントを受け取っているようじゃ、言いそびれたんじゃないってことはバレバレだぞ」
ショウが帰ると夕子はさっそく部屋にバラを飾った。もちろん、逆さまにした。
夕子は、逆さまの黄バラの花束を見つめている。
雲のすきまから青空が見え始めた。雨がやみそうなことに、夕子はまだ気づいていない。
FIN