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Act 1

 夕子のため息が、カップラーメンを包むフィルムをかすかに揺らした。

「誰だってフランス料理がカップラーメンに化けた日にはがっかりするって」

 自分を励まそうと、周りには誰もいないのに声に出して言う。

 ただの外食の約束がすっぽかされたぐらいでは、夕子もこんなにはしょげない。たけど、今晩のは「ただの外食の約束」でなかったから、たまらない。

 夕子は、今朝、母が自分に耳打ちしたことを思い出していた。

 特に若作りもしていないのに普通10才も若く見られる彼女の母は、うす黄色のジャケットに袖を通しながら言ったのだ。

 今日、お父さん仕事で遅くなるんだけど、お母さんは早く帰ってこられるから、夕飯は二人でフランス料理を食べに行きましょうね、と。

 夕子は素直に喜んだ。彼女は3日後に17才になるのだが、その日は父も母も泊まりがけの仕事があるというのは前々から聞かされていた。

 父は声優である。といっても、ハヤリのアニメ声優ではない。よほど気に入った役以外は声を入れない主義で、彼が気に入る役はアニメよりはむしろ、洋画の吹き替えの方が多い。テレビのCMにもよく声を入れている。なんでも「自分の声にその商品の売れ行きがかかっているので、やりがいがある」のだそうだ。父には悪いが、夕子はCMのナレーションで物を買うか買わないか決める人を知らない。

 その父は現在(珍しいことに)アニメ映画の大作に声を入れているので、アフレコスタジオの近くのホテルにつめていて、夕子の誕生日を一緒に祝うのは無理だ。

 母はフリーのジャーナリストで、その日には硬派で有名な週刊誌の編集部がセッティングした大物政治家のインタビューがあって、家に帰ってこられない。

 その母の、今晩のフランス料理のおさそいは、いわば、誕生日のうめあわせのようなものだった。それさえも裏切られて、カップラーメンをすすらなければならないとはどういうことなのだろう。

 夕子は、また、ため息をついた。

 ここでカップラーメンとにらめっこしていても始まらない。どうせなら、誰よりも豪華にカップラーメンを食べてやる。

 そう決意した夕子は、ため息を終わらせるべく、やかんに水を入れた。もちろん、ただの水ではない。去年のお歳暮に送られてきた、家にある中で一番高価なミネラルウォーターだ。ガスレンジの上にやかんをセットして、火をつける。

 箸はお客さま用の、なんとか塗りの箸。表面のつやつやした朱の色が夕子のお気に入りだ。

 それをリビングに持っていって、壁にかけてある絵を見ながら音楽を聞きつつ、カップラーメンを食べようというのだ。

「我ながら豪華ーっ!」

 思わず独り言を言ってしまう。そうでもしないと、虚しさが心にしみてきてしまう。

 じきにガスレンジのやかんが、しゅんしゅん言い始めた。火を消したことを確かめ、やかんをそっと持ち上げるとリビングへと持っていく。リビングのテーブル上にのっているカップにお湯を注ぎ、3分待つ。

 ラーメンができあがる間、夕子はレコードを選ぶことにした。

 夕子の家では、おおよそ有名な曲はレコードでそろっていた。これは父の趣味で、針が壊れたら大変だといつも気を使っている。もちろんCDもあるのだが、優雅な晩を演出するにはレコードの方が似つかわしいだろう。

「これにしようかな」

 適当に2、3枚見つくろい終わると、3分たった合図のクッキングタイマーが鳴った。かくして、夕子の楽園は出来上がった。

 レコードプレーヤーから流れる重厚なクラシックの響きに、カップラーメンをすする音が重なる。はたから見れば貧しいのか豪華なのかよく判らない状態だが、夕子が満足している以上は他人が口をはさむことではない。

 ……そんな夕子の前で壁に掛けられているのは、うすい木洩れ日のような光の中で一人の妖精が戯れている絵だった。空想画なのは明らかだが、非常に繊細で写実的だ。題は 『光彩の中の妖精』とつけられている。これは、実は彼女の昨年のバースディプレゼントで、描いたのは夕子の伯父だった。

 伯父、夕子の父の兄、真山式雄は最近注目されている画家である。『妖精画家』の二つ名を持っており、描く妖精の絵は、生き生きとして美しい。夕子はこの絵は好きだが、最近の伯父の絵はあまり好きではなかった。なぜなら、最近伯父の描く絵の中の妖精は苦しみいっぱいの表情をしているのだ。それが良いと言うコレクターもいるが、夕子はそうは思わなかった。今年も伯父から妖精の絵をもらう予定だが、できればそういう絵でないといいなと密かに思っている。

 早々とカップラーメンを食べ終えた夕子は、絵をみつめていた。絵の中ではタンポポの綿毛を思わせる、フワフワした髪を持つ妖精が微笑んでいる。その妖精が、自分に微笑みかけたように見えて、夕子も思わず微笑んだ。

 ガタッ、キィ……。

 ふいに窓が開けられる音が夕子の耳に届いた。外から入ってくる、ひやっとした晩秋の風が夕子のポニーテールを踊らせる。

「なんなのよっ!」

 心臓が大きく打ち始めるのを抑えながら、夕子がリビングに相応しい大きな窓の方を振り向く。そこには、黒いマントをはおった者がいた。顔は、そのマントが邪魔して見えない。

「……誰?」

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