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プロローグ 闇の中で
男は暗闇の中で体を大きく震わせた。コートの襟を立てて、首のところでしっかり合わせて握る。この路地奥は風の吹き溜まりで、普通ならば寒気を感じることはないのだが。壁に寄りかかりながら、そこで彼は自分が悪寒を感じるもう一つの可能性に思いをめぐらせた。
誰かに呼ばれている――誰かが彼に助けを求めている、という可能性。
彼は耳をすます。雑踏の中に混じる、か弱いがくもりのないガラスのような声。小さくても、その叫びには強い思いがこめられている。
救いを求めてただ一つの言葉を、声は繰り返す。
(……助けて)
たとえ、彼がこの声を無視したとしても、声の主が救われる、あるいは命が尽きるまで彼にはこの声が聞こえてしまうだろう。結局、彼が取るべき道はいつも一つしかない。
彼はため息をつき、懐から煙草をとり出すと火をつけた。煙がゆっくりと輪を描く。たっぷり時間をかけてその味を楽しむと、男は体をあずけていた壁から背中を離した。