表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

9 日常

 緋色の髪が、私の記憶を刺激する。

 あれは、いつの出来事だったろう。懐かしい、優しい、そして哀しい。


 泣きたくなるくらい、愛しかった。




「どうした?」

「え? あ、いえ。ちょっとぼうっとしちゃった」


 ルウは慌てて見舞いに来た、本来の目的を思い出す。ポケットにしまっていたリングを取り出す。差し出されたリングを見て、グレイは一つ頷いてから受け取った。

「ありがとう」

「いいえ、本当なら直接押し掛けるべきではなかったと、思って。迷惑ばかりかけて、ごめんなさ……」

 ルウの言葉を、グレイは遮る。

 一方ルウは口許に差し出された手に、ハッとする。事件の後のやり取りを、再び繰り返すところだったのだ。

「そうでした。何も出来なかったのがとても辛かったけど、あなたが守ってくれるって信じてた。ありがとう、グレイ」

 グレイは視線をルウから外し、差し出していた手を自らの顔を覆う。指の隙間から、ルウにはその表情ははっきり見えなかったが、どうやら照れているのだと分かる。

「仕事、でもあるし。何より引き止めたのは俺だ。それに……」

「それに?」

「次に会う口実を、探していた」

「っ!」

 ルウの頬には、一気に熱が集まった。

 そんなルウの様子に、グレイが微笑みながら大きな手を差し出す。

 その手に自らの手を乗せて、ルウは言う。

「わ、私も。探してた」

「よかった」

 ぎゅっと握られた手と、初めて見るグレイの笑顔に、ルウの心臓はこれ以上ないくらい、早鐘を打っていた。



 

 必ずまた連絡する。そう約束され、ルウは夢心地で病院を後にした。

 それから三日。事件の影響も少なく、一部のゼミ以外では、何の変化もなく毎日大学の講義が続いていた。ルウは再び好奇の目で見られもしたが、今回の事件は一般に公になったのは一部のみ。逃走犯を作ってしまった管理についてと、被害の規模に留まったせいもあり、ルウや教授については全く報道されなかったのだ。

 身支度を整え、朝イチの講義に出席するため、家を出ようとしたところで、呼び止められる。

「もう行くの? 気を付けてね」

「ママ」

 心配そうな母親に、ルウはあえて元気な笑顔を見せる。

「大丈夫よ、今日もシェラと同じ講義だし、終わったらすぐ帰るわ」

「そう? シェラさんにはよろしくね? 今度お家に連れてらっしゃい。ママ、お礼がしたいわ」

「うん、話しておくよ。じゃあ、行ってきます」


 公用ポーターから最寄りの駅に着くと、改札で友人のシェラと待ち合わせだ。親友と呼べるのは彼女しかいないと、ルウは思っていた。それがたとえ、一方通行であったとしても。

 ルウの姿を見つけたのか、明るい巻き毛をなびかせて、シェラが歩いて来る。厳しく引き締まった表情は美しく、彼女はとても人目を引く。成績も優秀で、隙がない彼女は、学内では皆が一目を置く存在だ。そんなシェラが、じつはルウはとても自慢なのだった。

「おはよう、シェラ」

「おはよう、ルウ。なあに、にやにやして?」

「やだ、そんなににやけてた?」

 二人並んで改札を通り、電車に乗り込む。大学までは、ほんの三駅ほどだ。

「あのね、シェラが美人だなぁって。シェラがお友達なの、すごい自慢だなぁって思ってたら、つい嬉しくなっちゃって」

 ルウのまるで告白のような言葉に、シェラが吹き出す。そして照れたのか、わざと眉を寄せて見せると。

「恥ずかしいこと、言わないの」

「照れてる?」

「ルウ!」

 お互い、笑い合う。



 大学構内は朝から賑やかで、学生たちが行き交う。ルウとシェラの二人は、目的の教室まで向かう途中、いつものごとく呼び止める声に振り向いた。

 シェラなどは、冷たい目が既にうんざりだと言わんばかりだった。

「シェ、シェラザード・ペリエ! 話がある!」

「私はないわ、ごきげんよう」

 顔を真っ赤にした男性を一刀両断にし、シェラはさっさと歩き去ろうとする。

「……いいの、シェラ?」

「問題ないわよ」

 とりつく島がないというのは、こういう事を言うのだなと、ルウは苦笑いを浮かべる。シェラはその美しい容姿ゆえに、こういう出来事が多い。シェラ自身は恋愛など興味がないし、そもそも人付き合いも嫌いだと、公言して憚らない。だけどこうして声をかけてくる男性は多かった。

 項垂れる男性を尻目に、ルウはシェラを追う。

「そもそも、名乗りもせずに失礼よ。初対面なのに」

「シェラ、彼は同じ講義を受けてる人よ?」

「へえ、そう。でも他人よ」

 ルウは彼女に言い寄ろうとする、全ての男性に同情したくなる。だが、その一方で嬉しくもあった。この孤高の人の側に、自分が友人としていられることを。

「そんなことより、ルウも気を付けるのよ?」

「え? なにを?」

「あいつらの半分は、ルウ目当てなんだからね」

「……まさかぁ」

 ルウは笑って受け答えているが、シェラは真剣だった。

「私が張り付いててジャマだから、呼び出しているうちにあなたに話しかけるつもりの奴が、その辺に潜んでたわよ」

 チラリと周りを睨むシェラ。

「考えすぎじゃない?」

「そうだといいけど」

 彼女は、まるでナイトのようにルウを保護する。それは嬉しくもあり、また残念にルウは感じていた。



 シェラと初めて出会ったのは、大学に入ってからだった。最初はとても、お互いぎこちなかった。

 ルウが十七の誕生日を迎えたその日、全てが変わってしまった。当たり前のように感じていた事が、何もかも嘘で塗り固められていて、ルウはどこにも居場所がなくなって、全てに絶望した。

 そんなとき、ただルウの側にいてくれたのが、シェラだった。たとえそれが役目であっても、ルウはシェラを信じると決めたのだ。


 今日は寄り道もせず、シェラ駅で分かれると、ルウは自宅の門をくぐった。ほんの少し気が重いせいか、庭に咲き誇る花の前で立ち止まる。今日は月に三度ほどある、特別な日。

 ふと玄関口を見れば、執事が待ち構えている。

 ルウは初老の彼に少しだけ微笑むと、そのまま歩き出した。


「あと十分ほどでお時間です、お嬢様」

「分かりました、すぐ行きます」

 ルウは自室に戻り、チェストから宝石箱を取り出す。中に入っているのは、細工もののペンダント。表面には花が象られ、中央からはフォログラフとオルゴールが仕込まれている。

 ルウが手のひらに乗せると、可愛らしい音楽と、少年の横顔が浮かび上がる。淡い金髪の十歳くらいの少年は、少し屈んで微笑んでいる。

 ルウはそのペンダントを胸にかけ、部屋を出る。


「どうぞ、お待ちになられています」

 執事が開ける扉は、パナエ家の地下。小さな部屋には似つかわしくない、鋼鉄のしこまれた頑丈な扉。そこにルウは入り、執事が外から扉を施錠する。

 小部屋の中央には、小さな円形の台座が据えられていた。ルウがその前に座ると、台座に光が落ちて画像を結ぶ。

「変わりはありませんか、ルウ」

 立体化した画像は、一人の凛とした女性。

 ルウはすっと背筋を伸ばし、頭を下げる。

「はい、お母様」





 無機質な色彩と電子音の中に、ブルム・アルソン中尉ことブルーは座っていた。時折交わす通信の中に、彼らしい皮肉や冗談が入り、そこが軍部指令室であることを忘れさせる。それもここ、第三衛隊の日常風景である。

「よ、もう調子はいいのか?」

 アルソン中尉が振り返り、緋色の髪の男に話しかける。

「仕事は?」

「つれないねぇ、ま、いいや。ちょっと待ってろ」

 中尉が手元の資料をいくつか仕分け、手渡す。その間にも通信が入り、ブルーが声をあげる。

「おいおい、それくらいで根を上げるな。あと一時間で中将殿がそっち行くぞー、こってり絞られやがれ」

 くくくと、人の悪そうな笑みで通信を切る。

「後方部隊か?」

「ああ、この前の失態で、大目玉。ブラッド中将も、お前がいなきゃ甚大な被害がでてたと、お怒りってわけ。で、特別しごきコースの最終チェックだとさ。ところでグレイ?」

 資料から目を離すグレイ。

「その後、デートくらいした?」

 間髪を入れず、グレイの腕がブルーの背中を押す。

「ぐっ、いてててて! 止めろ」

「もう少し、病院に入るかブルー?」

「嫌です、もう言わない!」

 ようやく傷口を解放され、机に突っ伏すブルー。グレイは最上に不機嫌な表情ではあったが、それ以上は何も言わない。今更、この昔馴染みの軽口に、乗せられるのも面倒ではあった。

 グレイは再び資料に目を通し、仕事を請け負う旨を告げる。

「誰が空いている?」

「トモエでどうだ?」

 その名を聞いて、グレイは暫し考えて頷く。

「猛獣使いになれるよな、お前。あいつと組めるの、お前かリョウだけだ」

 肩をすくめるブルーに、グレイが忠告する。

「死にたいのか」


 第三衛隊所属の特別捜査官、通称ハンターには、特に変わり者が多い。そのうちの一人、トモエもまたかなり苛烈な人物で知られている。獰猛を絵にかいたような、女だ。

「聞こえたんだけど、猛獣って誰のことよ、ブルー?」

「トモエ」

「何よグレイ! あんたも同類?」

「いや、違うが。そろそろ止めておけ」

 背中を膝で押され、腕に間接技を決められたブルーが、声も出せずに机を叩いている。

「あら、軟弱」

 すっと何でもなかったように降りたトモエは、合わせの裾をはたく。容姿ははどこから見ても、人形のように細く華奢である。長くて真っ直ぐな黒髪は、腰まで伸びて艶やかだ。切れ長の目は、いざという時には、大の男すらひと睨みですくませてしまう。


「へえ、今日はグレイがパートナーなの。いいわよ、引き受ける」

 仕事は個別に分配するのが、ブルーの役目だ。ハンターは軍属ではあるが、正確には軍人ではない。その高い能力を監視される代わりに、特別な待遇を受けられる。

 その日の仕事は、先日の大学での襲撃にも関わるものだった。能力を増幅させる、違法な装置の闇取引を摘発するものだ。捜査事態は警察が動くが、その補助を軍部が請け負う。広範囲の探索で拠点を絞るのは、摘発時の抵抗を押さえるのに、有効であるからだ。こと能力者の摘発には、味方の被害が甚大になりがちである。まずこれを防ぐためにも、こういう事件に関しては、警察も軍も協力体制にある。


 グレイとトモエは、必要な装備を整え、司令部を出る。

 これもまた、いつもの日常である。常に危険と隣り合わせ。それがハンターの生活。

 ふと、グレイは思う。


 あまりにも違うであろう日常を送る、日溜まりの似合うルウのことを。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ