7 暴発
背中にはまだ金属の破片が突き刺さったままのアルソン中尉。どうすることも出来ずに、彼を横向きに寝かせ、少しでも傷に負担がかからぬようルウが支える。
ようやく我に返った教授も手伝う。上着を脱いで少しでもクッションとなるよう、中尉の下に敷き込む。
「教授はお怪我は?」
ルウは血の気が失せたままの教授に声をかける。しかし彼は心配するルウに硬い笑みで、大丈夫だと返してきた。
「それより、すまない、君。私のせいで」
痛みに耐えるように眉をひそめるアルソン中尉は、乾いた声で笑う。
「いや、苦手な防御訓練を怠った自分のせいだよ、それよりもあんたが無事でよかったよ、でなきゃ後で中将殿にどんだけどやされるやら」
自分のせいで人が傷ついたことに、負い目を感じている教授への慰めだった。
だけど違う、とルウは思う。
中尉はあの時、ルウを庇って瓦礫をその身にわざと受けたのではないだろうか。そんな疑念に囚われ、一般人であるルウは身体を震わせる。
ルウが胸を痛めるその間にも、ヴェルグとグレイの戦闘は始まっていた。
増幅器の力を借りた男の能力は凄まじく、グレイに向けて雨のように瓦礫を降らせる。
だが制御リングを全て外したグレイの前には、それらの凶器は全く用をなさず。グレイの周囲には相手から制御権を奪った瓦礫が集まり、いくつかの塊となってゆっくり旋回していた。それら一つ一つが渦を巻き、収束して小さな惑星のように回転する。そして次第に地響きのような音をたてながら、放電を始めた。
しばらくすると回転する球体から太い光の束が伸び、蛇のような動きでグレイの腕に巻きついた。
ヴェルグという男が、苦々しい表情のまま舌打ちする。
「化け物め!」
嘲りとも挑発ともとれる言葉に、グレイは眉ひとつ動かす様子はない。
「投降しろ。痛い目にあいたくなければ」
ヴェルグの頭を覆う機械が、炸裂音を響かせる。
「誰がするか!」
圧縮した空気の壁がグレイを襲う。
目に見えない何かがぶつかり合う轟音に続き、ルウのいる防御シールドの内まで風圧となって衝撃波が届く。
ルウは鼓膜にかかる圧を感じて身をすくめる。
睨み合っていた二人の均衡が、一気に崩れた。
凄まじい風圧と砂塵の中、グレイが忽然と消え失せ、次の瞬間にはヴェルグの背後に現れる。電流を未だ腕にまとったグレイの拳が振りかぶり、ヴェルグの後頭部にめり込んだ。
その瞬間、男の身体に激しい音を立てて電流が流れる。
ヴェルグの身体がバチバチと弾けながら、殴られた反動で吹っ飛ぶ。
まるで木偶人形のように転げていく姿に、グレイの優勢を見てとり、ルウは恐怖に身を震わせながらも安堵する。しかし事態はそう簡単に片付かないようだった。
体制を立て直すこともしないままに、今度はヴェルグが転移した。
グレイの頭上に姿を現したヴェルグ。振り上げた両腕が襲いかかる。だが察知していたグレイが両腕でしっかりと受け止め、衝撃で沈みかけたところで再び転移。
だが勢いを相殺できずにバランスを崩したヴェルグの横に、グレイが重い蹴りを食らわせた。
再び男が地面にめり込むように倒れ伏すと、グレイはその背を自らの膝で抑えつけ、あっけなく男の両腕を拘束してしまった。
「放せ! このクソ野郎! 殺してやる!」
男の怒りをそのまま現して、二人の周囲の地面が盛り上がり、グレイに襲いかかる。
だがその時、怒り狂って暴れていたヴェルグに、異変が起きた。
念動で持ち上げられた岩や土、瓦礫が重力に逆らうことなく、音をたてて落ちてゆく。
「……っあ、ぐっ」
うめき声とともに男が白目を剥く。抵抗というより痙攣をおこしているのか、身体が不自然に揺れる。
防御バリアの内側で事態を静観していたアルソン中尉が、何かに気づいたように慌てて起き上がった。そしてヴェルグを拘束したままのグレイに、声を張り上げる。
「やばいぞグレイ! 早く離れろ、暴走する!」
中尉の言葉に思い当たるものがあるのか、グレイはいち早く反応して、ルウたちの前まで後ずさる。
だらりと垂れた四肢とはうらはらに、男の顔が持ち上がる。
意識があるのかすら分からないヴェルグの顔面は白く、その頭部からは軋む金属音と火花が散る。なにが起こるのかと皆が固唾をのんで見守る中、唐突に弾けた。
息を呑むほどの、ドンという地響きとともに、皮膚を撫でる圧迫感。
身構える余裕のなかったルウは、気づけば教授の太い腕にかくまわれていた。
目も開けていられない衝撃波の中で、ルウは咄嗟に祈る。
ただ一人、強靭な防御バリアを張ったまま、爆風の中にいる紅い髪の彼の無事を。
激しい能力波を放ちながらも白目をむく男に、グレイは焦りを覚えていた。
既に標的の男は自制を失っている。爆発したかのような能力に対し、いちいち対処していては追いつかない状況だ。少しでも集中を欠けば、後ろにいる一般人に被害が及びかねない。
グレイはヴェルグの暴走を受け止めながら、自分の後ろでかろうじて防御に力を充てている同僚に視線を移す。そして何とか前方に盾を作るくらいの余力を同僚に感じ、グレイは思い切って戦法を変えることにした。
グレイは耳元の通信機にささやく。
「対象の暴発を全能力をもって封じる。ブルー、そっちは任せる」
アルソン中尉は通信機から漏れる声に、ため息を返す。そして砂塵の隙間からのぞく、理性を失い、既に見る影もなく膨張しはじめた男を見ると、グレイの提案を受け入れる。
「被害を最小限に収めるには、それしかないだろうな。……分かった、こちらは何とかする」
アルソン中尉は教授に支えられながら、再び能力を使うために集中する。
了承を得たグレイがヴェルグへと数歩近づいたところで、ルウたちを覆っていたシールドが消え失せた。
それは嵐の中に突然放り込まれたようで、とにかく身を護るために、ルウはぎゅっと目を瞑る。
『グレイ、持ちこたえてくれよ』
轟々と風に晒される中、アルソン中尉は通信機に呟いていた。
中尉の防御で危険な瓦礫は防ぎきっていたが、吹き荒れる風の猛威の中、恐ろしさにルウは身を竦めていた。細かい砂利が肌をたたきつけ、衣服から出た手足や顔にひりひりと痛みをもたらす。
必死に嵐に耐えていると、教授がその大きな体を寄せて、教え子であるルウを抱え込んできた。
「教授、私は大丈夫ですから、教授!」
ルウの頭を抱え込んで身体を丸めると、当然教授は自身は砂塵に晒される。万が一大きな瓦礫が飛来すれば、無防備にさらされた頭部が危険以外なにものでもない。ルウは慌てて止めさせようとするのだが、大きな身体はびくともしない。
「僕は大丈夫、鍛えているからね。いいから、君は大人しくしていなさい」
耳元でささやかれ、ルウは必死に首を横に振る。
──まただ、また足手まといになっている。
溢れる涙をこらえられず、ルウは再び祈る気持ちで瞼を閉じた。
二度目の暴発。
再び地響きとともに爆音が轟く。
しかし、次の瞬間突如風が凪ぎ、煽られてなびいていた髪が、ルウの頬に落ちる。
思わず緩んだ腕の中から、ゆっくり顔を上げると、そこには灼熱に燃え盛る太陽があった。
いや、そんなはずはない。ルウは我が目を疑った。
炎をうねらせる太陽の前には、両手を広げて立つグレイの後ろ姿。
そこでようやくルウは、その太陽のように燃え盛る球体が、グレイの作り上げたシールドだということを悟る。十メートル径の球体の中で、何かが燃え、弾け、そして逃げ場を失くした嵐が荒れ狂っていた。
恐らく、自制を失い暴走した男、ヴェルグはあの中に封じられているのだろう。
茫然と眺めるルウの前で、炎の嵐は次第に勢いを失い、それでも時折バチバチと足掻きながらも収束していった。そして球体は既に太陽ではなく、くすぶる黒い煙を充満させ、その様相を変えていった。
徐々にシールドは球体を保てなくなり、煙を吐き出すように霧散する。するとその前に立っていたグレイが崩れ落ちた。
「……っ!」
ルウの身体は、無意識のうちに動いていた。
「お、おい! 危ないからまだ近づくな」
アルソン中尉の止めるのも聞かず、ルウは走り出す。
ルウは瓦礫を踏みしめよろけながら、倒れて動かない紅い髪を目指す。震えてうまく動かない足が、もどかしかった。
「……グレイ!」
なんとかグレイの元へ駆け寄り、瞼を伏せたままの彼の頬に手を添える。ピクリと頬がかすかに動いたことに、ルウは安堵する。
のぞき込む頬を雫が伝い、グレイの額に落ちた。
ルウは自分が泣いていることにようやく気付き、慌ててグレイの額を指で拭う。
そっと離れていくルウの手首を、大きな手が掴んだ。
ルウが驚いて目線を落とすと、紅い髪の隙間からのぞく、赤紫の瞳と目が合った。
「グレイ! 大丈夫?」
大丈夫でないことくらい分かっているのに、そんな言葉しか出せず、ルウは更に泣きそうになるのを堪える。しかしすぐに手首に更に力を込めたグレイに、少しだけ引き寄せられた。
仰向けに倒れているグレイの上に、覆いかぶさる形となり、ルウはドキリとする。
「怪我は、ないか?」
この状況で自分の心配をするグレイの言葉に、ルウは精一杯首を横に振って見せる。グレイの小さくかすれた声に、引き寄せられた意味を悟り、恥じ入りながら。
ついに決壊してほろほろとこぼれる涙を、ルウは空いた手で拭う。
「私は……私のせいで、ごめんなさい。私がそばにいたから、こんな」
「…………」
グレイはルウの口から出た言葉に、少し驚いたような表情をしていた。そして何か言いかけたところに、二人の頭上から遮る声がした。
「お嬢さんのせいじゃない」
ルウが振り返るとそこには、教授に肩を借り、支えられながら歩いてきたアルソン中尉がいた。
「第三衛隊のモットーは迅速かつスマートだ。そのための後方支援部隊があって日々厳しい訓練をさせてるつもりなんだよ! 後でたっぷりブラッド中将にしごかれるの覚悟しとけー」
教授のに肩を預けたまま、ルウに言っているかと思えば、途中から通信機を弄っている。どうやらルウへのついでに、後方支援が遅れ失態を犯した部下に灸をすえているようだ。
いたずらっぽく笑う中尉の様子に、彼の容態もそう悪くないのだろうとルウは安心した。
「だからな、お嬢ちゃんが気に病む必要はないんだよ、そうだろグレイ?」
ルウはアルソン中尉とグレイを見比べる。
「ああ、そうだ」
グレイの短い返事に、再びルウの心が震え、自然とごめんなさいと口にしそうになる。だがそれを必死に呑み込んだ。
「あ、ありがとう、守ってくれてありがとう」
ぎこちなくはあったが、ルウは微笑むことができた。
ルウの言葉を聞き終えると、グレイの瞼が再び閉じてゆく。
「グレイ?」
「心配いらない、力を使いすぎて休眠状態になっただけだから」
慌てるルウに、アルソン中尉は何でもないかのように言う。しかし、休眠状態とはルウには聞き覚えのない症状だ。それで大丈夫なのかと問う間もなく、いつの間にか救護隊が到着したようで、慌ただしくなった。
「しかし、笑える状態だなこれは」
アルソン中尉が、苦笑いを浮かべながら見るのは、未だしっかりと握られたままのルウの手首だ。その横で教授もまた、にやにやと笑みを浮かべている。
その意味を追求したらいけないと思いつつも、救護の人がグレイの指を解きほぐしていくのを、ルウは頬を赤く染めながら待つしかなかった。
それから負傷した中尉と昏睡するグレイは、素早く救護班に運ばれていった。
手際の良い隊員たちが、丁寧にルウと教授の健康状態をチェックしていく。ほどなく問題がないことを確認されると、二人はあっけなく解放された。
教授は大学に報告をしに行くということだったので、ルウはそのまま一人で帰ることにした。しばらく待てば送って帰ると譲らない教授に、大丈夫だからと説得するのにかなりの時間を要しはしたが。
たくさんの軍の車両と軍の関係者、そしてどこから集まったのか大勢の野次馬をかき分けていると、ルウを呼ぶ声がした。
「シェラ!」
友達のシェラが、人をかき分け走り寄ってくる。
「心配したのよ、ルウ!」
思わず抱き寄せられて、よろけそうになった。だが、ルウもまた心配してくれる友の背に手を添えた。
「ありがとう、でも私は大丈夫」
ルウの言葉を受け、シェラは一つ微笑む。だがすぐにそれをすっと消し、彼女は真剣な表情を見せた。
「ルウ、軍に近づいてはダメ。何があっても。軍が絡めば私が守れなくなるの。お願いだから」
シェラの言葉に、ルウは暫く考えてから頷く。
「送っていくから」
シェラがルウを促す。
ふと、ルウは後ろを振り返る。
未だ騒然とした人ごみの向こうには、既に誰もいない。だが。
そっとスカートのポケットに手を入れると、小さなリングの硬質な手触り。
「ルウ」
もう一度呼ばれ、ルウはその声に応えるように、学舎を後にした。