6 死神
恐怖に怯えながらも、ルウの意識は先ほどまでいた大学の学舎内にあった。
「まって、まだ教授たちが……っ」
講義は終わってはいたが、まだ多くの学生たちもいたはずだ。何より、教授はいつだって遅くまで研究室に詰めたがる人だということを、ルウは知っている。
「大丈夫だ、第三衛隊の後方支援が動いている。順次避難が行われているはずだ」
軍服の男は背を向けたままそう言うと、両手を突き出しながら能力を発動するため集中する。
「ブルー、任せる。傷つけるなよ」
グレイの言葉に、ブルーと呼ばれた男はイラついたように叫ぶ。
「ったく! 俺は防御ニガテなんだよ、頼むから上手くやれよ!」
口調こそ砕けたものだったが、険しい表情はそのままだ。緊迫した空気に、一般人であるルウは青ざめるばかりだ。
ブルーの前面に、突然空気の揺らぎのようなものを感じ、ルウはそれが盾のような役割をするものだと悟る。
一方、脱走犯らしい男と対峙したまま、睨み合うグレイ。
「ずいぶん、ふざけた物を用意したな」
低く淡々とした声でグレイがそう言うと、男が笑う。
すると男の頭に装着された機械が、バチバチと電流を帯びる。同時に男の足元の小石が、カチカチと浮いてはぶつかり、弾け散る。
「死神を殺るには、これくらい必要だろ? 化け物め!」
一転して唸るように叫ぶ男。
グレイしか見えていないかのような男の様子。そして『死神』と呼ばれる彼。ルウはこの時になって初めて、その意味を理解していた。
首都ラナケスを護る王軍第三衛隊は、通称死神部隊と呼ばれていることを。一般人にすら知られるその名の由来は、たった一人のハンターから名づけられたというのは有名な話だ。
「グレイ、そいつは増幅器だ、気を付けろ。スバインダム製だそうだ」
憎らしげに忠告するブルーに、グレイは目くばせするのみ。
それを隙とみた男の攻撃が、グレイを襲う。
地面がめくれ上がり、小石どころか岩石やコンクリートまでが宙に浮き、植え込みの枝までをも巻き込みながらグレイをめがけ飛んでゆく。
「きゃあぁ!」
目を瞑るルウの耳に、痛いほどの轟音が飛び込んでくる。と同時に、叩き付けられた衝撃が発する、圧に備えて本能的に身構えた。
しかし爆風はおろか、土埃さえ巻き起こらない。
ルウがそっと目を開くと、広場いっぱいに大小様々な瓦礫が静止している。
粉じんすら止めてしまう能力に、ルウは唖然となる。
大きな塊は糸が切れたように地面に落ち、小さな粒子が漂いゆっくりと動きだした。それと同時に、ルウは頬や髪が、チリチリと何かに触れるような感覚に襲われる。
「…………下がれ」
そう言って、ルウを庇うように再び前に出たブルー。前面のみならず、周囲に壁を巡らせ、しかも先ほどよりも空気の壁を厚くしたのが分かる。
その向こう側では、動き出した粉塵が激しく帯電し、発光し始めていた。
そんな異様な光景の中、犯罪者と対峙するグレイは、場にそぐわない姿だ。どう見ても普段着で、その黒い薄手のジャケットが風で激しく揺れている。後ろ姿なのは、明らかに一般人であるルウを護ってのことだろう。
「……彼一人で大丈夫なんですか?」
思わず目の前の軍人に、ルウは聞かずにはいられなかった。
黒髪の男が振り返り、ルウを強い眼で見返す。
「あんたがチョロチョロせず、ここで大人しくしてりゃ、大したことない……ってか、あんた誰? グレイの何?」
その言葉に、ルウはたじろぐ。
会うのはこれで二回目で、自己紹介したばかりの相手を、何と表現すればいいのか。いやむしろ、何を問われているのかルウは理解できていない。
「グレイが! あいつが誰かを傷つけるなとか、任せるとか! なんだよそれ、天変地異でも起こす気か、奴は!」
後半は独り言のようだったが、最後にはニヤリと笑う。
「俺は、王軍領域護衛部隊、第三衛隊所属ブルム・アルソン中尉だ。巻き込んで悪いんだが、しばらく良い子にしていてくれよ、お嬢ちゃん」
バチバチと激しさを増す念動の嵐の中、ドームのように張り巡らせた壁の内側での自己紹介だった。
アルソン中尉の耳には、計四個の制御リングが光る。それだけで彼が相当の能力者だというのが、ルウにも分かる。
信じられない放電の中、飄々と立つグレイの耳のリングは、確か右に二つと左に三つ。先日のアナ劇場でも思ったことだったが、ルウの常識で考えれば、その状態で能力が使えている事が、非常識だ。しかも能力戦で。
再びグレイと向き合った逃走犯の男は、地面と植木を巻き上げて攻撃を仕掛ける。
雄叫びをあげて能力の限りに、幾つもの大きな塊が持ち上がる。それをグレイが押さえつけているのか、岩や鉄骨の塊はピクリとも動かない。その塊の向こうから、男の荒い息遣いがルウたちのところにまで届く。
「おいおい、無理すると後が大変だぜ?」
障壁を張ったアルソン中尉がからかうように言うと、男の落ち窪んだ眼が、ルウたちに向いた。
「知ってるか? スバインダム製は威力は凄いが所詮違法モノ。副作用は酷いは、安くはねぇはで良いことないぜ? お前みたいな馬鹿に、そんな巨額投資した阿呆はいったい誰だ?」
「うるさい! 黙ってろ女王の犬が!」
宙に浮いた岩が揺れる。
「…………ブルー」
ちらりと振り向いたグレイに、アルソン中尉が肩をすくめる。
「へいへい、挑発はしません」
グレイはそうしている間にも、表情ひとつ変えずに岩を押し返しているようだった。それに対して男は、苦しそうな表情でその均衡を崩そうと集中している。
「お、きたきた」
アルソン中尉が相変わらず緊張感のない声で言うと、腕の通信機からホログラフを表示して、読み上げる。
「ハネス・ヴェルグ重犯罪受刑者。脱走及び器物損害により捕縛礼状が出た。ただし、能力を使用した犯行、しかも違法増幅器を使用していることから、一般人への危険度が高い。よって特A級措置の許可が下りた。……グレイ、待機はもういいぞ」
「了解」
グレイが短く応えると、彼の周囲に火花が散る。
ルウは目の前で繰り広げられる光景に、我が目を疑う。
火花と思われた激しい光は、太く束となって、生き物のようにうねりながら光る。それはまるで一瞬で消えるはずの稲光を、形にしたようにも見える。しかしいつしかグレイの両手の間に収まった光の蛇は、炸裂音を発しながら、脱走犯ヴェルグに襲いかかった。
「────っ!」
とっさに身構えたヴェルグは、宙に浮いた瓦礫の塊を集めて盾とする。
光りが触れた瞬間、大きな爆音とともに崩れ去り、辺りを光が呑み込む。
ルウは咄嗟にアルソン中尉の背にしがみつき、両目を閉じる。
雷が落ちたような音、そして守られているはずなのに、皮膚に静電気が走る感覚が襲ってくる。
ルウは早くこの恐ろしい状況が終息することを、祈るしかなかった。
アルソン中尉が、再びグレイを呼ぶ。
「あー、グレイまずい。今、解析班からそいつの増幅器のスキャンデータがきた。けっこうな代物だ、リング外せ!」
砂埃が舞う中、グレイが振り向いた。
「もっと早く言え」
言い切らぬうちに、グレイめがけて再び瓦礫の塊が飛来する。咄嗟にかわすグレイ。
しかし、突然グレイとアルソン中尉が、ルウの方を揃って振り向く。そればかりかヴェルグまでもが、ルウの更に先を凝視していた。
ルウもまたつられて視線を移す。彼らが見ているのは、ルウの先、大学の学舎の方を。
真っ先に反応したのはグレイだった。
「ブルー、シールド!」
「ちょ、無茶言うな!」
学舎の外を、走りながらこちらに近づく人影が現れた。
「教授……?」
ルウの言葉よりも早く、ヴェルグが能力を使って瓦礫を飛ばす。
「チッ、分散させんじゃねぇ、何やってんだよ後方部隊!」
アルソン中尉が、教授へ向かった凶器よりも先に、力を送る。
驚いた教授の前には、先ほどまでルウの前にあった空気の壁が現れる。だがそこに瓦礫がぶつかる直前、グレイが転移してすべてを打ち払っていた。
ルウがそれを見届けほっとすると、ふと異変に気付く。
自分を庇うように立っていた中尉が、呻きながら崩れて膝をつく。
それと同時に、自分たちの周囲にあった空気の揺らぎが、見る見る晴れていく。
「アルソン中尉!」
ルウの悲痛な叫びに、ヴェルグは笑う。
「ざまねぇな!」
ルウが支える中尉の背には、鋭利に裂かれた金属片が突き刺さる。支えたルウの手に、生温かいものが伝う。
濃紺の軍服からそっと手を外すと、ルウはその手の赤に息をのむ。
「て、いててて……っちくしょう、グレイ!」
崩れた中尉を中心に、再び周囲に圧力がかかる。
前のそれとは全く違う。ルウはその力が誰のものか、すぐに気づく。凄い勢いで空気の膜のようなものが持ち上がり、一瞬で閉じてドーム型になった。サイズが先ほどよりも一回り大きなシールドだった。
その中に、グレイが教授を連れて転移してきた。
「こんな障壁くらい、ぶっ潰してやる!」
ヴェルグは容赦なく、グレイの作った障壁に攻撃してくる。そのたびにルウはビクリと身体を震わせて耐えるのだが、びくともしない。
「すまない、グレイ」
腰を抜かしたような教授に手をかし、座りなおさせるグレイ。怪我がないことを素早く確認すると、アルソン中尉の傍らにきた。
「大丈夫か、ブルー?」
「すまん、やられた」
グレイは平然と中尉の傷を確かめる。そして立ち上がると。
「早めにカタをつける」
「一人で行くの、グレイ?」
不安げなルウの声に振り向くと、グレイは光るピアスを全て外していた。そしてそれを何故かルウに差し出したのだった。
「……これ?」
制御リングが五つ。大事なものだと思えば、ルウは受け取ることを躊躇する。
「預かっていてくれ」
「気をつけろ、グレイ。奴はお前への私怨で動いている、しつこいぞ」
「全力でいく。お前たちはそこを動くな」
ルウは手の中のピアスを握りしめる。
「グレイ、どうか無事で……」
グレイが微かに頷く。
目の前から姿を消したと思ったら、すでにグレイは『外』に立っていた。
ルウは祈る。
こんなに堅固な障壁を張ったままで、一人で戦うグレイの無事を願って。