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5 再忌

 大学の至る所にある小さな庭。植木に囲まれ、猫の額ほどの広場には青々とした芝。ちょっと寝転んで午睡を愉しむにはうってつけの場所だった。

 その片隅のベンチに、ルウとハンターの男はコーヒー片手に落ち着く。

「あの……先日は助けていただいて、ありがとうございました」

 ルウはようやく一番伝えたかったことを告げられ、ほっとしていた。

 目の前の男はさほど表情を変えず、ルウを見返している。

 ほんの少しだけ、先ほどより目を見開いている気がするのは、驚いているからなのだろうか。ルウはそんな風にぼんやりと眺めていると、男は突然視線を外す。

「いや……仕事だから。感謝されるようなことではない」

 男はそれだけ言ってカップに口をつけた。

 ぶっきらぼうではあるが、一応感謝の意を受け取ってくれたのだと判断し、ルウは気を取り直して笑顔に戻る。

「私、ルウ・パナエといいます、ここの学生です」

 その自己紹介に、コーヒーを仰いでいた手を止めてルウを見る。

「……どうか、しました?」

 ルウは、何かおかしな事でも言っただろうか、と首をかしげる。

「いや、なんでもない。俺はグレイフォース・ウェスタリー。グレイでいい」

「あ、じゃあ私もルウって呼んで下さい。あの、グレイさんは、大学のどこかに席を?」

 ルウの問いに首を振るグレイ。

「いや、教授を訪ねた」

 自分のことは呼び捨てでかまわない。グレイはそう付け加えた。

「そうなんですか、……あ、あのさっきのプログラムは、グレイ、あなたが書いたんですか?」

 ああ、とだけ短い返事に、ルウは顔を輝かせる。

「すごいです!」

 ルウのコロコロと変わる表情を、グレイは不思議なものを見るかのように眺めていた。

「あんたは、あの学部なのか?」

「いいえっ、私は社会経済学部なのです。でもほとんど履修してしまったので、今期いっぱいは興味のあるものを受講しています」

 微笑みながら言う、目の前のぼんやりした娘の意外性に、グレイは驚きを隠せないようだった。

 グレイは忘れていた彼女のプライベートメモリのデータを思い出す。作戦中に得た情報は、漏えいしてはならない規則ではあったが、見たものをすんなり忘れてしまえるほど、人は器用ではない。

 確か、十七歳だったか。グレイはそう思い起こす。

 この大学は最高学府ではないにしろ、五本指には入る。彼女の告白が事実なのだとしたら、見た目よりはかなり優秀な学生ということになるのだ。


「ここへは、よく来られるのですか? お見かけすること、ありませんでした」

 ルウは少し離れて座る、グレイの姿をこっそり盗み見る。

 プライベートだからか、寡黙で崩さない表情の中にも、以前のような鋭さは感じさせない。だが、すっきりと整った顔立ちと、鍛えられた長身はどこにいたとしても目立つだろうとルウは思う。それに加えて特徴的な紅い髪。全部が紅いわけではなく、明るいブラウンの髪の中に、所々に赤が入っている。穏やかな風に揺れているその様子はまるで、小さな炎が美しく揺らめいているかのようだ。ルウは心の中でため息をもらす。

 若い娘が多い大学などに何度も出入りしていたのなら、彼のことが噂になってもおかしくない。ルウはそう思った。

「ここへは仕事の都合上、人に会わない時間に来ることにしている」

「仕事って、あの、ハンターってことですよね?」

「ああ」

「忙しい、ですよね」

 ルウは数日前の出来事を思い出す。自分の知らない世界で生きるグレイに、なんと言葉をつなげればいいのか分からず、ずれた受け答えをして恥じ入る。

 実際は忙しいというより、他人に危険が及ばないよう、プライベートまでも行動制限があるのがハンターである。だがグレイはそこはあえて口にすることはない。


「あの後、大丈夫だったか?」

 唐突な問いに、ルウはそれが自分を心配している言葉だと思わなかった。体調はと聞かれ、初めて先日の事件の時のことを言っているのだと悟る。

「大丈夫ですよ? どこも怪我しませんでしたから」

「怖い思いをさせた……ああいう体験をすると、一般的にはトラウマが残り体調を崩したり、不眠になる者も多い」

 その言葉に、ルウはようやく彼の問うた意味が分かり、再び首を左右に振る。

「いいえ、そういう事でしたらやっぱり大丈夫です。あなたが守ってくれましたから……すごく、安心したんです。だから、それまではとても不安で怖かったですけど、全部帳消しです!」

 ルウは満面の笑みでそう言った。

「心配してくださって、ありがとうございます……あ、でも」

 ふと笑みを消したルウを、グレイは覗き込む。

「どうした?」

「あなたは、大丈夫?」

 何を問われたのか分からず、グレイは無言で続きを促す。

「……えっと、いくらお仕事でそれが正しいこととはいえ、誰かを守るために、人を傷つけたり、相手に憤りをぶつけられるのはやっぱり辛いです。私なら、それはとても嫌ですし、とても傷つきます」

 グレイに向けたルウの顔は、頼りない。

「私を助けるためにしてくれた事でも、そのせいであなたが傷つくの、いやです」

「…………」

 思いもよらない言葉に、グレイが驚いたようにルウを見つめ、固まっているようだった。

「す、すみません! あ、あの! 私ったらなんて失礼なことを……」

 思わず言ってしまった自分の言葉に、ルウは慌てふためき頬を染める。

 そんなルウに、グレイの頬が少しだけ緩む。

「そういう優しさは、嫌いじゃない」

 視線を芝の緑に戻し、そう言うグレイの横顔は、はにかんで笑みを浮かべているようだった。

 ルウは目の前の彼が、こういう風に笑う姿など想像つくはずもない。ましてや自分の失言のせいだとはにわかには信じられず。

 その不意打ちのような笑みに、全身から火を噴いてしまうのではというほどルウは真っ赤だった。

 互いに言葉を失い小恥ずかしいような、そもそもなぜそうなったのかも分からない、微妙な空気が漂う。

 いい歳してなんだろう、これ。と俯きながら自問するルウ。


 しかしその空気を裂くように、二人の間に激しいアラームが鳴り響く。

 グレイの胸元から発する音に、ルウはびくりと身体を震わせる。グレイは慣れた仕草だった。

「俺だ……どうした?」

 呼び出し音にしては激しい音と、それに応えるグレイの声の低さに、それが彼にとって良くない信号であることは明らかだった。

 ルウは話し始めるグレイから視線を外し、いつから高かったか分からぬ鼓動を落ち着かせようと、胸を押さえる。

「なに? ああ、今ソボス大学だ…………了解」

 強い声音にルウが振り返ると、グレイの表情が厳しいものへと一変していた。そして通信を終えると、ルウの腕を取って立ち上がる。

「重篤犯罪者が脱走したと知らせが入った。今、こちらに向かって接近中だ。あんたは出来る限り遠くへ逃げろ」

「え、ええ? でも、あなたは」

「他の仲間がすぐに到着する。そいつの誘導に」

 その時、ルウの背後にぞくりと何かを感じる。

「グレイ!」

 空間がゆらぎ、そこに誰かが転移してきた。

 その人物は、背の高い軍服の男だったが、ルウはとっさに先日の恐怖がよみがえり、びくっと反応してしまう。

「大丈夫だ、仲間だ」

 ルウの背に手を添えて安心させようと、グレイはゆっくり告げる。

 二人の元に駆け寄ったのは、軍服を着崩しつつもどこか真面目そうな、背の高い黒髪の男だった。醒めるような青い瞳が印象的だ。

「彼女はここの学生か?」

「ああ、テレポートできない。お前が連れていってくれブルー、俺は奴を引きつける」

 ルウはグレイから、軍服の男へ引き渡される。

「おい、装備なしで行くつもりかグレイ!」

 直ぐにでも跳んでいきそうなグレイに慌てる。しかしそれをはねのけ、グレイが声を荒げる。

「時間がない。もう俺の探査圏内に奴は入っている。こちらに気づかれるのは時間の問題だ、行けブルー!」 

 軍服の男が頷き、ルウの腕を取って離れようとしたその時。

 止めたのは、グレイだった。

「……感づかれた」

 ルウのすぐ傍で、男が息をのむのが分かる。

 何が起きているのかは分からなかったが、好ましい状況ではないことだけは、ルウにも理解できた。

 何かを探るような表情だったグレイが、叫ぶ。

「来るぞ、ブルー! 防御シールドを張れ!」

 同時に、三人の前方に磁場が発生する。風が粉じんを舞い上がらせ、それらが一瞬渦を巻く。そして音もなく表れた若い男に、ルウは小さな悲鳴を上げる。

 尋常ではないその様子は、一般人であるルウを簡単に恐怖に貶める。

 

 ゆらりと立つ男は、鼠色した無地のシャツとズボン。よれたそれは囚人服のようだ。その袖から出る四肢は細く、頼りない。青白い顔には笑みなのか侮蔑なのか。

 その恐ろしい存在から、目を背けることしか、ルウは身を守る術がない。

 何より生理的嫌悪を抱かされるのは、男の頭にはめられた機械。

 肩から背に掛けられた機械から、管がいくつも伸びて頭を這う。それらの先を辿ると、どうやら額に埋め込まれた先に繋がっているように見える。とても尋常ではない姿だった。機械と皮膚の接合部分は赤く腫れ、とても正当な医療技術でつけられたものと思えない、粗悪な印象を受ける。そもそも、額を割ってあの管は、どこに繋がっているのだろうか。そのような技術は聞いたこともないが、脳の神経細胞だろうかと、そこまで考えを巡らせるだけで、ルウはひどく気分が悪くなる。


 ルウをかばうようにして警戒する二人にも、ピリピリとした緊張が漂う。

 再び目を向けると、いくらも離れていない距離から、こけた頬と浅黒い落ちくぼんだ目がグレイを捉えていた。

「よう、死神。迎えに来てやったぜ」

 唸るように、男がそう言った。

 

 


 

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