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12 鼓動

 ──心臓がいやに煩い。

 唇は渇いて、頬が熱い。だけど伸ばした指先はひんやりと冷えて、爪は白くなっている。


 シェラと友情を確かめ合い、覚悟をもって臨んだのは翌日。専用ポーターを幾つも経由して、拐われるように移動してたどり着いたそこは、グレイの住む家の前だった。


 意を決して扉の前に立てば、足が震える。そのまま勢いで呼び鈴を鳴らせば、しばらくしない内に、扉が開いた。


「入っていてくれないか、今行く」

「は、はい。おじゃまします」


 無機質な機械を介して聞こえてきた声に、ほっと一息つく。

 足を踏み入れると、外観のシンプルさとは違い、柔らかな色調のラグと観葉植物が置かれ、洒落たエントランスが広がった。


 なぜルウがいきなりグレイの自宅に訪れることになったかといえば、それはグレイの仕事ゆえの事情だった。常日頃から犯罪組織に対処するハンターたちは、行動を制限されている。人と外で会う場合は報告の必要があると聞かされ、ルウは驚いた。家族でさえも、いや、家族などの大切な人間こそ、事前の準備なしで外で会うことはないのだという。

 やはり危険な仕事を担っているのだと、早速シェラの警告が身に染みるルウだった。


「待たせた」

「……い、いえ」


 ラフな私服姿で出迎えたグレイの後を、ルウは黙ってついて歩く。広いリビングは、天井まで伸びる大きな書棚と間続きになっていた。書棚には梯子はなく、その前に小さな機械が幾つか置かれていた。


「散らかっているが、作っている途中で……」

「あれって、グレイが作ってるの? 器用なんですね、見てもいいですか?」


 グレイが説明してくれても、ルウにはそれらが何なのか、あまりよく分からなかった。正直、緊張の方が勝っていて、およそ正常に思考が働いてはいない。

 そのせいもあってか、ついのぞき込む拍子に手をついたところが、不味かった。一メートル径ほどある円盤のスイッチを、間違って押してしまったのだ。


「きゃ……」


 起動の電子音とともに円盤は、ルウを掬うような形で浮遊し、なめらかな動作で二メートルほど持ち上がって止まった。水平を保っているとはいえ、捕まる手摺もない。ルウは円盤にしがみつくようにして見下ろせば、グレイが驚いた様子で見上げている。


「た、高い……」

「それは、梯子代わりに作った足場だ」


 見下ろしたことにより、いっそうすくんでいたルウ。手を伸ばしながら、グレイが能力を使って浮き上がる。その手に身を委ねて下ろされたルウは、己のドジさ加減を心底恥じた。


「ごめんなさい、勝手に触ってしまって」

「……いや」


 おもいっきり頭を下げて謝ったものの、呆れられてないかとそっと顔を上げてみれば、口許を押さえながら目線を外すグレイ。とうやら笑われていることに気づいたルウは、音を立てているのではないかと思えるほど、顔に血が集まるのを自覚した。


「……わ、笑わなくても」

「すまん」


 そう言いながらも口元が綻んだままのグレイを見て、ルウはようやく強ばっていた体の力が抜けたようだった。


「それより、蔵書もすごいんですね」

「ああ、使い勝手が良くてな。こっちへ」


 データベース化された書籍を、わざわざ印刷製本してコレクションとして好む人々が、少なからずいることはルウも知っている。特に研究者にそういった傾向が強いので、大学にも多くの本がある。恐らく、グレイもまたそういった一人なのだろう。

 案内されるままに間続きのリビングへ入ると、壁一面がガラス張りの窓。そこから眺める景色に、ルウは息をのむ。青い空と淡い水色の水平線。ここが高台にあることさえ、専用ポーターを使ったルウには分からなかったのだ。


「……海?」

「ライシェアレル湖だ。さすがにそう遠くは不便だからな」


 確かに、とルウは納得する。首都圏から海岸まではかなりの距離になるはずだ。ならば反対の内陸のライシェアレル湖の方がそう遠くない。だが、それとてルウには遠い場所だ。


「帰ってこれないことも多い」


 そう言いながら、グレイがコーヒーを片手に差し出した。受け取ったルウに、苦笑いを向けながら。


「客もそう来ない……というのはコレしかない言い訳だが」

「ううん、ありがとうございます」

「仲直りは、できたのか?」


 シェラの事だとすぐに分かり、ルウは笑顔で頷いた。


「ケンカなんて初めてしたけれど、なんだか仲直りしてみれば、嬉しかったというか……でも、心配させてごめんなさい」

「いや、謝る必要はないが、意外な相手だった」


 人を介しての知り合いというのは、どんな場合でもばつが悪いものだろう。ルウはシェラの口からグレイの昔を聞いたとは言えず、話題を変えた。


「体調がまだ戻らないんですか? お仕事、しばらく休みだって言ってましたよね」

「いや……大丈夫だ」


 ルウらしい問いに、グレイが穏やかに微笑む。二人で景色を眺め、ただ寄り添うように共にある。グレイはそもそも口数が多い方ではなかったが、ルウもまた会話が途切れることに不安を感じている様子もない。それを見て、グレイは暫く体感した事がない程に、心が穏やかに凪いでゆくのを感じた。


 一方、ルウもまた緊張しながらも、穏やかな気持ちでいた。グレイの自宅ということもあり、最初こそドキドキするばかりではあった。だが穏やかに微笑むグレイをそばに感じると、まるで何も心配はいらないのだとさえ思えるのだった。


 午後の日差しが柔らかく射し込むテラスに出ると、風に吹かれて自然と寄り添う二人。

 静かな中の甘い空気を割くように、甲高いアラームが鳴り響く。


「……通信だ、少し待っていてくれ」

「うん、気にしないで」

「中のものは好きに触ってくれてかまわない」


 ルウが頷くのを見て、グレイは部屋の中へ戻っていく。リビングを抜けていくのを見送り、ルウはほっと息つく。

 ルウは喉の渇きを覚え、飲み物を取りに戻る。ぬるくなったコーヒーを手に、柔らかな皮張りのソファーに身を沈ませてふと見上げた。

 すると、予想もしていなかったアクアマリンの瞳と、視線がぶつかる。


 リビングに入って来たのは、若い女性。ルウよりも少し年上だろうか、淡いブラウンの髪を可愛らしく内巻きにした、清楚な印象。

 ルウがぽかんとしていると、女性が浅く会釈をした。




 アラームの鳴り響くリビングを出て、小さな通信室へと入り、グレイは呼び出しに応じた。ディスプレイには、相手の名。それを見て、グレイの眉が寄る。


「何の用だ、ブルー」

『用がないと連絡しちゃダメなんか? ……ちょ、待てっ、切るな!』

「……何の用だ」


 恐ろしい威圧感で見据えながらの、冷ややかなグレイの言葉に、苦笑いを浮かべるブルム・アルソン中尉。それでも、冗談が通じない奴だと愚痴を続けられるのは、付き合いの長さからだ。

 休業中のグレイに連絡を入れて来るからには、何か事件でもあるのかと思いきや、ブルーの話は専ら第三衛隊の近況報告だった。画像に上がる男の口からは、勢いよくまくしたてられる。やれ自分の担当ハンターの愚痴やら、早く復帰しろだのといった催促。

 いい加減、我慢の限度を感じるグレイに気づいたのか、ようやく本題に入ろうとしたブルー。だがその声を遮ったのは、グレイだった。

 グレイはリビングに気配を感じて、振り返る。


『……どうした、誰かいるのか?』

「少し待て」


 驚いたような様子のブルーに答えず、ブルーを待たせたまま、グレイはモニターの前を離れる。





 突然の来訪者に、どう対応すべきか。いや、そもそもが自分こそ客として居るのだから。ルウはまとまらない思考のせいで、反応が遅れたのだった。


「あ、あの! 私は……」

「お邪魔してごめんなさい。頼まれていたものを届けに来ただけですから、そのままで」

「あ、グレイなら今はあちらで……」


 ルウがグレイの消えた扉を指差すと、女性はそっと首を振る。

 長い前髪が揺れ、隠れていた右側の瞳が琥珀色に光って見えた。


「いいんです、これを渡しておいてくれますか?」

「え、あ……はい。私でよければ」


 手のひらに載せられたカードは、一般的に使用されているようなデータ保存用のものだった。仕事の同僚の方だろうかと、ルウが視線を再び上げた時には、既に女性は去った後だった。


「どうかしたのか、ルウ?」


 入れ替わるようにして、グレイが戻ってきた。ルウは女性が来たことを告げて、預かりものを渡す。


「これを届けに、女性が」

「……帰ったのか」

「はい、引き留める間もなくて、ごめんなさい」


 扉の方を、目を細めて見るグレイ。


「いや、大丈夫だ。気にする必要はない」

「通信……お話は終わりですか?」

「待たせてある」

「私は大丈夫ですから、戻って下さい。待たせたら悪いです」

「それこそ待たせてもいい相手だ。それより」


 グレイが空いたカップを持ち上げた。ルウは慌ててそれを奪い取り、頬をふくらませる。


「おかわりは、自分でしますから!」

「……そうか?」

「お茶くらい大丈夫です。キッチン入りますね……あっ」


 慌ててコーヒーのポットを触り、ルウが声を詰まらせた。つい手を滑らせて、ヒーター部分に触れてしまったのだ。

 だがグレイが素早く水を出し、ルウの手を掴んで冷やす。


 鼓動が跳ねる。

 ルウの後ろから覆うように、伸びる両手。片手は蛇口のコック、もう片方は手首をすっぽりと掴んで流れる水へ。

 また彼の前でドジを踏んだ恥ずかしさと、体温すら感じてしまえるほどの距離感に、ルウの鼓動と体温は一気に上昇していく。そしてそれを気づかれるのではないかという恥ずかしさに、身を硬くする。


「ご、めんなさい」

「そのまま冷やして」


 真っ赤になったルウを離し、グレイは新しいカップにコーヒーを注ぐ。ルウからはその表情はうかがえず、今度こそ呆れられたと落ち込むのだった。

 結局、冷却効果のある絆創膏を差し出され、ルウは再びコーヒーと共に、リビングのソファーへと収まることとなった。グレイは通信室へと戻る。

 ただし、ルウの頭をひと撫でして。


「……何やってるの、私」


 がっくりと項垂れたルウの呟きは、既にグレイには届かない。それだけは幸いであった。





 再び通信モニターの前に戻ったグレイに、ブルーが驚いたような顔を見せた。


『なんだ、誰かいるかと思ったらヘレンだったのか? 面白くねぇの』

「お前の欲しがってた情報だろ、何が気にくわない」


 受け取ったカードをひらりと見せつける。


『そりゃそうだが、てっきり例のお嬢さんとデートでもしてんのかと思って。なんか機嫌良さそうな顔してたからさ、お前』

「……関係ないだろう。それで、本題は?」

『はいはい、サンプルテストやれってよ』


 その言葉に、グレイの表情が厳しくなる。目の前のブルーはそれも折り込み済みなのか、にやりと笑って続ける。


『休むくらいなら、協力しろと。しかしまあ、お前も多いよな。面倒なのも分かるが、好きにやらせて貰うからには、そこは協力しとけよな?』

「……胸糞悪い」

『管理しないと安心できないんだろうさ。で、いつ入れとく?』

「好きにしろ」

『んじゃ、適当に予定入れとく』

「……ブルー、二つ申請がある」


 通信を終わろうとしたところへグレイが告げた言葉に、ブルーが間抜けな顔を返す。その内容に目を見開き、何度か頷き、そして最後には笑い転げて通信を切る。





 子犬が叱られたかのように項垂れていたルウだったが、グレイはすぐに戻って来た。情けない顔を見せたくなかったルウは、それを笑顔で迎える。


「お話相手、アルソン中尉ですか?」

「ああ、だから待たせてもいい」

「もしかして、幼なじみとか」


 無言で微妙な表情。それだけで、彼が肯定しているのだと察する。そんな些細な仕草の意味が分かる、それだけでルウは嬉しくなっていた。


「大した用ではない。独りにしてすまなかった。それより、ルウ」

「はい?」

「由来を、聞いてもいいか、名の」


 ルウは笑顔で応える。


「祖母が、母方の祖母が私とよく似た顔立ちだったそうなんです。私が産まれる少し前に、亡くなって……それで名前を貰いました」

「そうか」

「よく聞かれるんです、だって殿下の愛称と一緒ですもんね」


 ルウの胸が軋む。

 笑いながら、胸の中の嵐をなんとかやり過ごす。当たり前のようにある自らの記憶を語れども、それが真実でないと分かってはいる。けれどルウにとってはそれしかないのだ。たとえ虚構でも、記憶(それ)だけが己を形作るものだから。

 だか、グレイに話して聞かせるのが、今は酷く辛い。


「変なことを聞いた、すまなかった」

「いいえ、そんなことありません」


 ルウの様子に変化を感じ取ったのか、謝るグレイに笑みで返し、ルウは暇を乞う。

 招待の礼を述べて、エントランスまで見送られるルウに、グレイは何ももてなせずにいたことを詫びた。


「いいえ、楽しかったで……す」


 扉を背にして、急に近くなったグレイとの距離に、言葉を詰まらせるルウ。


「手を」

「え?」


 ルウの腕を取ったグレイは、その指を扉のロック部分に触れさせる。電子音が了承のアラームを発し、登録完了を告げた。驚くルウに、グレイが耳元で言った。


「説明してもいいか?」


 頷くルウに、再び説明するのは、一度は聞かされたハンターの事情。だがまだ続きがあった。


「ここへ来るのに、幾つも軍の公用ポーターを経由して来たはずだ。それは条件を満たした者に、使用を許可される。例えば家族、それから恋人……」

「……うん」

「ポーターの仕様許可証とここの鍵を、申請した」

「……えっと、言ってる意味が」


 そこまで聞いて、グレイの言葉を反芻するルウ。そしてようやくグレイの意図に気づく。

 家族と恋人に許される許可。


「お前は、俺が守る。それでいいか」


 ルウは真っ赤になって、なんども頷く。

 グレイは静かに微笑んでしっかりと掴んでいたルウを解放する。


「送れなくてすまない」


 ルウは本日最大の動悸に苛まれ、ふらつく足取りで帰路についたのだった。

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