夢路の町と七人の迷子(2)
流れ行く雲の下、人々の活気で溢れ返る白昼。道の真ん中で立ち止まって、銀髪の男は幸福感と危機感を同時に感じていた。
――何が一体、どうなってやがる。
男はもう何度めかになる過去の回想を試みた。確かにその日の仕事を終えて、あとはお供えものを持って神社に参拝してから帰る。その予定だったのだが、参拝したあとの記憶がどうもおかしいのだ。誰かに会って、気づいたらここにいる。突拍子もない話だが、それが事実なのだからどうしようもない。
そして今。まるで違う世界に来てしまったような気分だった。高く、何やら硬そうな素材で造られている家たち。変わった服を来て歩く人々と、店先に並ぶ見慣れたものと見知らぬもの。そして、目の前で今にも泣きそうな表情の上品な女性。そう、ここが一番おかしい。
「……なあ、お嬢さん」
「ペーター……どうしましょう……さっきまでここにいたのに……」
おろおろと先程から落ち着きがない、ずっとこの調子だ。彼女の様子からすると、変わった名前の連れと一緒にいたらしが、今は見当たらない。
ウェーブのかかった薄い紫の髪と、対照的に深い紫の瞳。白い肌に整った上品な顔立ち、そして見に纏うきらびやかな服。どれも男は初めて見るもので、珍しさと美しさに目を引かれた。 彼女のことをもっと知りたいと思うわけだが、彼女はずっとこの調子だ。しかし、男は気づいた。行き交う人々がこちらを、それも特に彼女のほうに好奇の目を向けて通り過ぎることを。そして彼女の言葉や風貌からも、自分と似たところがあると。
「なあお嬢さん。ここで悩んでたって状況は変わらねえ。一つ聞きてえんだけど、お嬢さんさっきまで何してたか教えてくれねえか?」
「え……? え、えっと……ペーターとお散歩してて、木陰で休憩して、ちょっと横を向いたときに誰かと目があって……気がついたら、ここにいましたわ」
……似ている。核心部分がやはり自分の場合と非常に似ている、気がする。いやそういうことにする。誰かと会って、気がついたらここにいるのだ。つまり、自分たちは同じ境遇だと言っても過言ではなさそうだ。
「やっぱりな……俺も気づいたらここにいた。俺は睦月ってんだ、似た者同士協力しねーか?」
「まあ、貴方も……? 私、ライラと申します。ぜひよろしくお願いしますわ、睦月さん」
ぱっと顔を明るくする彼女、“らいら”と言う名の聞き慣れない響きに、再び変わった名前だなと思っていた。しかし彼女と関わりを持つことに成功した喜びからどうでもよく感じていた。協力しよう、だなんてただの口実。彼自身、下心はなんとか隠したものの、こんな適当な言葉で掴めるとは思わなかった。輝く彼女の顔。騙されやすい性格かもしれない。実のところ、何をするべきか、今どういう状況なのかも睦月はわかっていなかった。しかし天は彼の味方のようだ。
「あんたたち、変わった格好だねえ……リアちゃんとこのお客のお仲間かい?」
「……りあちゃん?」
振り返ったところに、背の低い老婆が立っていた。彼らの姿をまじまじと見つめる、物珍しさからだろう。謎の固有名詞に対し睦月が聞き返す。次にライラに視線を移すが、表情から疑問符が見て取れたので何も言わなかった。
「この町の宿屋の娘さんだよ。変わった格好したお客が来たみたいでねえ……まるで別世界から来たみたいだったよ」
人の良さそうな笑みを浮かべる老婆。しかし何よりも、その変わった客とやらに興味を引かれた。“別世界から来た”という、どうにも親近感の湧く単語が原因だろう。
「良かったら案外してあげようか?」
そんな老婆の願ってもない提案に、二人はもちろん首を縦に振った。お菓子に釣られる子供のように、容易く。
**
何処かで誰かが老婆に道案内され、何処かで誰かが化け物退治に励んでいた頃。銀縁眼鏡に白衣を身に纏った男は仰向けになって地面に横たわっていた。そして主にその胸部に、非常に重たいものがのしかかっている。上から見たらおそらく十字を描いているのだろう――赤い髪の少女が、これまた仰向けになって上にいた。
「――ッええい、いつまで乗っているんだね君は! 重たいだろう! 早く退きたまえ!」
「ほわあっ!?」
痺れを切らした男が勢いよく起き上がる。それと同時に、体の上をごろごろと回って転がる少女。幸い少女は軽かったが、やはり人型なだけある。圧迫感が半端じゃない。数秒動かなくなったかと思えば、突然体を起こしこちらをきつく睨んできた。
「テメェ何しやがるッ! 鼻打っただろーが!」「自業自得なのだよ! 人の体の上で寝ておいて何だねその言い草は!」
物凄い剣幕でまくし立てる、それも少女とは思えない口調で。よくよく見れば確かに鼻が赤い。さっき転がった時に打ったのだろう。こう冷静な分析をしている時点で、同情も無ければ後ろめたさも無いが。
「ったく、ひでえおっさんだなオイ……で、ここどこだ」
「私はまだ二十八なのだよ! ここが何処か、だと? そんなことも――」
知らないのかね、と言葉が続くはずだったのだ、が。立ち上がり、町並みを見渡した途端に何も言えなくなった。日の高く登る白昼、活気溢れる市場、行き交う人の波、カラフルな建物たち。似ているが、違った。間違いなく、彼が先程いた場所ではない。即座にその事実だけは理解したのだ。
「何だよおっさーん、もしかしておっさんも迷子か?」
「おっさんおっさん煩いぞ君は! 何だこれはどういうことだ! 私はさっきまで研究所にいたはずだ……」
「あたしも森にいたんだけどなー……何かすげえとこ来ちゃったみてーだ」
好奇の目で辺りを見渡し、手にした林檎を一口かじる少女。口ぶりからして似たような境遇である気はするのだが、何故こうも楽観的なのか。認めたくはないが本当に迷子なのか。いや、そんなはずはない、と考えが堂々巡りするだけ。いつものように研究所に篭って、いつものように実験やデータ処理に勤しんでいた。それから――それから、誰かに会った……ような。多分、記憶はそこで終わりだ。少女のほうはどうなんだろうか。問い掛けようとして初めて、おかしなことに気づく。この少女――いつの間に林檎を得たのだ?
「……ッ何をしているんだね君は! それは売り物だろう!?」
「は? ウリモノ? 何だそれ、ただの林檎じゃねーのか?」
きょとんとした表情。開き直っているのではない、本気でその行為の意味を解っていないのだ。彼女のすぐ隣の店に、林檎や葡萄といった果物が沢山並べられている。そして何を思ったか、その中の一つを取って食べた。混乱して何も言えなくなった男の肩に、ぽんと手が置かれる。
「兄ちゃん、ここの店のもんつまみ食いたあ……良い度胸じゃねえか、なあ?」
ゆっくりと、首を動かして、振り返る。にっこりと笑う、あごひげの男。この店の店主か何かだろう。とてつもない威圧感をひしひしと全身で感じ、何故か男も笑顔になった。
「……待ちたまえ、話せばわかる。そもそもつまみ食いしたのは私ではなくこっちで」
「連れの女の罪くらい背負う覚悟で逝こうや、な。リアちゃんの苦労を返してもらわねえとなあ」
謎の固有名詞が出たかと思えば、手首をぐっと掴まれ引っ張られる。色々おかしい。一言一言が何か突き刺さる。後ろを振り返れば、少女も他の人間に連行されていた。口いっぱいに林檎を詰め込みながら。
「おっさん、何かかっこわりーな」
「誰の……せいだと……ッ!」
けらけらと笑う少女は、もしかしなくても事態を何一つ解っていないのだろう。自分が少女のせいで連行されていることも、これから罰が課されるであろうことも、そもそも林檎を食べたのが罪だということも。白衣の男はただ、自分の運命を嘆いた。奇しくもこの出来事が、最終的に彼を救うことになるのだが。
**
まだ夢を見ているような感覚を引っ張りながら、直樹は馬車を降りて町へと踏み込む。柔らかい笑みを浮かべながら、女性が先導する。随分とカラフルな建物たち。まるでゲームの世界にでも入ったような不思議な感覚。町を歩けば、すれ違う人が皆女性に声をかけていく。その一人一人に女性は応じていた。優しそうな顔をした人ばかりで、皆が皆幸せそうに見えた。
「おや、お帰りリア」
「ただいま! 皆さん、着きましたよ。私の宿屋です」
リアと呼ばれた女性の足は、一つの家にしては大きい建物の前で止まる。出迎えたのは、これまた優しそうな老婆。女性は駆け寄り何か話している。彼女の祖母か何かだろうか、似た雰囲気を醸し出している。ふと横を見、ブレアとライトに目を遣る。ライトは辺りをじっくり見渡している。が、ブレアはと言えば逆にまったく興味がなさそうで、退屈そうにただ前を見ていた。少し話し込んでいたリアが、怪訝そうな顔をして戻ってきた。
リアは言った。とりあえず着いてきてくれ、と。何か思い悩んででもいるような表情。それを見てライトも同じような表情になった。リアはなんとも言い難い様子で、直樹たちを宿屋に招き入れた。階段を登り、二階へ向かう。今度は一つの部屋の前で止まる。
「何て言ったら良いんでしょう……ざっくり言えば、この部屋に皆さんと同じ境遇の人たちが集まってる、みたいです」
そう言って開かれたドア。広々とした空間に、銀髪の男、ドレスの女、赤髪の少女、白衣の男が居た。一斉に注がれる視線。ライトは一言、なるほど、と呟いた。ブレアは目を丸くしている。直樹もおそらく、同じ表情だったはずだ。
「やーっと来たか! おい、単刀直入に聞くぞ。お前らもどっか他のとこから来たのか?」
「あ、あの、睦月さん……いきなりそれは」
「実に頭の悪い聞き方だな。もう少し段取りというものは無いのかね」
「すげー、剣でけえ! 髪緑だ! つか何だあの服!」
まず最初に口を開いたのは、睦月と呼ばれた銀髪の男。立ち上がり、ライトにずいっと詰め寄った。ドレスを来た女性はそんな彼を不安げに見守る。白衣を来た男性は悪態をつき、ずれた眼鏡を元に戻す。高圧的とまでいかないが、どこか上からな発言。赤髪の少女が彼の白衣を掴みながら直樹たちの容姿に目を輝かせているが、男性は無視を決め込んでいるらしい。
「どーなんだよ、なあ!」
「……煩い。至近距離で喋るな」
銀髪男の問い掛けを一蹴すると、直樹とブレアを先に部屋に入れて、彼はリアと何か会話していた。男性はまだ不満げに喚いていたが、やがて舌打ちと共に元いた場所へ座り込む。ブレアと一瞬目が合ったが、彼女は肩を竦めただけ。やがてライトが戻って来た。
「部屋は貸して貰えた。今のうちに色々確かめておきたいことがある」
そう言うと、ライトは剣をおき腰を降ろす。それに倣うようにして、直樹たちも適当な場所に座った。何かと思えば部屋の交渉だったのか、と直樹は一人納得していた。部屋にいる全員が黙ってライトの言葉を聞いていた。
「俺たちは全員同じ境遇にある可能性が高い。共通点は必ずある人物に会って、気づいたらここにいるってことだ。思い当たる節は一つ――――空っぽの旅人だ」
そこにいた全員が、ライトの言葉を聞いていた六人全員が、その表情に驚きの色を示した。一人残らず、気づかされたような顔をしていた。その瞬間、ライトは確信した。自分を含めた全員が、とてつもなく数奇な運命を背負わされたんだと。