クローズド・ドール
階段を駆け足で登る音が聞こえて俺は目を覚ました。君が帰ってきたようだ。木製の扉が揺れて君がクローゼットに手を掛けたのがわかる。高校への進学祝いに買ってもらったノートパソコンのスイッチを入れるよりも、昨日の夜読みながら寝てしまった漫画を開くよりも早くいつも君は俺に会いに来る。扉が開いて光が入ってくる。俺は動かない首を上げて君を見た。ジャラリ。君も優しい色の目で俺を見た。
「ちょっと、もう聞いてよ」
似合わない膨れっ面で君は言う。俺はきっと外ではこんな顔をしないんだろうなと思う。君は優等生だ。教師たちはみんな君をかわいがるし、生徒会では会長も務めている。クラスでの信頼も厚い。
というのはすべて君から聞いた話なので真偽のほどを俺は知らない。そもそもどうでもよかった。この部屋で君が俺だけ見てくれていればそれでいい。この手を伸ばせないことをいつももどかしく思っている。プラスチックケース一枚の壁は俺にとってあまりにも分厚い。
君は生徒会の仕事のできない斎藤という後輩について話し始めた。ルックスがよく弁舌が立つので生徒会選挙ではかなりの票が彼に流れたのだが、いざ仕事となるとまったく役に立たないそうだ。とにかく私事と公事の切り換えができないのだ、と君は言った。今日も仕事でつまらないミスをしたらしい。
だけど俺は知っている。君は本当に嫌いな人間なら徹底的に意識しない。君が異性で悪口を言うやつは大抵君が好意を抱いている人間だ。その証拠に生徒会に入ってきた当初に君がかわいがっていた清美というもう一人の後輩のことを君は話さなくなった。彼と同学年で話す機会も君よりは多いから、君は彼女に嫉妬しているのだ。君の愛情はそこそこに屈折している。手首に傷があるくらいに。だけど八年前に俺がきてからその傷が増えていないことが俺は嬉しい。
一頻り斎藤くんの悪口を言い終えた君は「聴いてくれてありがとう。じゃあまた明日ね」と俺に笑みを掛けた。その顔を俺はとても愛しいと思う。君が俺の頭の少し上に掛かっている服を取ってクローゼットの扉に手を掛けた。キィ、と錆びのある金具が高い音を立てて木製の扉が閉じる。それでも俺は小さな隙間から君を見ることができる。君は着替えをしていた。上半身を覆う桃色の下着の下は数年前からあまり成長していなくて君は密かにそれを気にしているが、そんなものがなくても君は充分に魅力的だった。君は緑のシャツを着てジャージを穿いた。部屋着だ。次に昨日読みながら寝てしまった漫画を探す。俺は今朝遅刻しそうになった君が肘で弾いていまは机とベッドの隙間に落ちていることを教えてあげたかった。俺からは丁度その漫画のあたりが見えている。漫画を見つけることを諦めたのか机の上のノートパソコンの起動音が聞こえた。椅子が引かれる。君の五十センチ隣に漫画が落ちていて俺は苦笑する。君はパスワードを打ち込んで少し待つ。
そのあたりで一階から「買い物にいかない?」と君の母親が呼ぶのを聴いて君は一つ舌打ちをした。俺しかいない場所では君は素をさらけだしてくれる。ノートパソコンの電源を切る。
木製の扉が揺れる。君が片手をかけたのだ。君はそのまま少し悩んだ末に「行かない」と言った。ノートパソコンのスイッチを入れ直そうとする。今度は携帯電話が鳴る。「なんだか邪魔ばかり」君が呟く。よほど電話を取りたくなかったのか君はコールを無視した。君の携帯電話は洒落た着ウタではなく古典的なプルルルルという音を定間隔で鳴らし続ける。八回のコールが終わってようやく途切れた。君の溜め息が聞こえる。コールはもう一度始まった。
仕方なさそうに君は携帯電話を取った。「もしもし? ごめんなさい。さっきも電話くれたみたいね。気づかなかった」そんな風に君は切り出す。相手の言葉は聞こえないが君の声は少しずつ明るくなっていく。俺は電話の相手が清美か優子だろうと思っていたがどうやらどちらでもなさそうだった。「うん、うん、わかった。え? 明日? いいよ。ううん、大丈夫。迎えにいくよ。じゃあね」会話の中身が気になった。
君はクローゼットを開けた。君は鼻唄を歌いながら俺の頭の少し上にある服に手をやっている。
「どれ着ていこうかなぁ」
おしゃれに興味のある年頃の君は着もしない服をたくさん持っている。君はそれをほとんど引っ張り出して自分の体に重ねてみる。俺はほとんどどれも似合っていると思うが君はどうも気に入らないらしい。君の表情は明るい。俺は何があったのか君に尋ねたかった。喉が渇いていて音にはならない。
服漁りに飽きたらしい君は膝を折って俺に視線を合わせた。笑顔で言う。
「新しいお人形がね。日曜にうちに来るんだ」
君はプラスチックケースを外した。
「だからね、マオはもういいよ」
俺は逃げようかと思ったが、ジャラリ、両手と両足に繋がられた鎖が俺を逃がさない。君が俺の首に手を掛けた。
「いままでありがとね」
君の手に力がこもる。俺は最後に君に触れられたのでまあいいかと思い、目を閉じた。
あまりにもわかりにくいようなので補足、ネタバレなので本文先に読んでください。
・電話の相手は斎藤くん