最後の切削
この作品は、工業高校の「旋盤実習」を題材にした短編です。
金属を削って、寸法を測って、また削る。 一見すると単純な作業ですが、その一つ一つには「ものを作る」ということの難しさや楽しさが詰まっています。
機械科で学ぶ主人公が、亡き祖父の残した旋盤を通して、ものづくりの意味を少しずつ見つけていく物語です。
工業高校に通っている方にも、ものづくりに興味がある方にも、そして普段あまり機械に触れない方にも読んでもらえたら嬉しいです。
耳に残る高いキーン、という甲高い音が実習場に響いていた。
目の前で旋盤が回っている。
チャックに固定された丸棒が、一定の速度で回転している。
俺はバイトをゆっくりと送り込んだ。
シャーッ……。
金属が削れていく。
切りくずが細長く伸び、ぽろりと落ちた。
「……またか」
俺はため息をついた。
機械科に入学して半年。
旋盤実習にも慣れてきた。
外径切削、段差切削、面取り。
何度もやってきた。
けれど、俺は旋盤が好きになれなかった。
「こんなの、何が面白いんだよ」
隣で作業していた友達が振り返った。
「何が?」
「これだよ。削って、測って、また削って……。ずっと同じことの繰り返しじゃん」
「まあ、そうだけど」
「卒業したら就職する人もいるんだろ? 俺、こんなの一生やるの無理だわ」
そう言うと、友達は笑った。
「じゃあ、なんで機械科に入ったんだよ」
「……なんとなく」
本当になんとなくだった。
車が好きだった。
エンジンにも興味があった。
だから機械科に入った。
でも、実際にやってみると、思っていたより地味だった。
機械は勝手に動いてくれるわけじゃない。
材料を固定して、工具を取り付けて、寸法を測って、削って、また測る。
少しでも削りすぎれば、もう元には戻せない。
「はい、止めてー」
先生の大きい声が響いた。
俺はスイッチを切った。
旋盤の回転がゆっくりと止まる。
「できたか?」
先生が俺の横に来た。
「たぶん……」
「たぶんじゃなくて測れ」
「はい」
ノギスを手に取る。
測定する。
「……20.15mm」
「目標寸法は?」
「20.00mmです」
「じゃあ、どうする?」
「……もう少し削ります」
「そうだな」
先生はそれだけ言って離れていった。
俺はもう一度、旋盤を動かした。
シャーッ。
また金属が削れていく。
正直、面倒だった。
でも、そのときだった。
ふと、祖父のことを思い出した。
祖父は、昔、小さな町工場を経営していた。
俺が小学生の頃、何度か遊びに行ったことがある。
工場には大きな機械がたくさん並んでいた。
旋盤もあった。
当時の俺には、それが何なのか分からなかった。
「じいちゃん、これ何?」
俺が旋盤を指差すと、祖父は笑った。
「旋盤だ」
「何するの?」
「金属を削るんだ」
「なんで削るの?」
「必要な形にするためだ」
「最初からその形にすればいいじゃん」
俺がそう言うと、祖父は大笑いした。
「そうできたら苦労しないな」
そして、俺の頭を撫でながら言った。
「機械っていうのはな、何でもできるわけじゃない」
「じゃあ、何ができるの?」
「人間ができないことを、手伝ってくれるんだ」
当時の俺には、その意味が分からなかった。
今でも、全部分かっているわけじゃない。
「……」
俺は旋盤を見る。
回転している丸棒。
その横で、じっと動かないバイト。
人間が操作しなければ、何も起こらない。
機械だけでは、何も作れない。
でも、人間だけでも、正確な加工は難しい。
人間と機械。
二つが合わさって、初めて一つのものができる。
「……なるほど」
俺は小さく呟いた。
その日の実習が終わった。
俺は完成した部品を持って先生のところへ行った。
「先生」
「ん?」
「これ、もう一回やってもいいですか?」
「何を?」
「旋盤です」
先生は少し驚いた顔をした。
「もう終わっただろ」
「はい。でも……」
俺は完成した部品を見る。
「自分で、作りたいものがあります」
「何を?」
「まだ決めてません」
先生は少し黙った。
そして、
「じゃあ、次の実習までに考えておけ」
と言った。
その日の帰り道。
俺はずっと考えていた。
何を作ろう。
何を作ればいい。
家に帰っても考えた。
夕飯を食べても考えた。
風呂に入っても考えた。
そして、ふと思った。
「……じいちゃんの旋盤」
祖父はもう亡くなっている。
工場も閉めてしまった。
でも、祖父が使っていた旋盤だけは、今も工場の隅に残っているらしい。
俺は翌日、母親に聞いた。
「じいちゃんの工場って、まだ旋盤ある?」
「あると思うけど」
「見に行ってもいい?」
「どうしたの?」
「ちょっと作りたいものがある」
休日。
俺は久しぶりに祖父の工場へ行った。
シャッターを開ける。
少し埃っぽい空気が流れてきた。
中には、昔と変わらない機械が並んでいた。
そして、一番奥。
そこに旋盤があった。
「……これか」
子どもの頃に見たものと同じだった。
俺は近づいた。
機械は動かない。
ただ、そこに置かれているだけだった。
俺は旋盤の前に立った。
すると、昔の記憶が蘇ってきた。
『必要な形にするためだ』
祖父の声。
俺は周囲を見回した。
工具箱の中に、古い金属部品がいくつか残っていた。
その中に、一つだけ見覚えのあるものがあった。
「……これ」
旋盤のハンドルだった。
俺が小さい頃、何度も触ろうとして祖父に止められたもの。
今は少し錆びている。
俺はそれを手に取った。
「これ、作り直そう」
新しいハンドルを作る。
それなら、今の俺にもできるかもしれない。
翌週の実習。
俺は材料を持ってきた。
「先生、これを加工したいです」
「何だ、それ?」
「旋盤のハンドルです」
「……自分の旋盤用か?」
「はい」
先生は材料を見て、
「いいんじゃないか」
と言った。
俺は作業を始めた。
まず材料をチャックに固定する。
しっかり締める。
工具をセットする。
回転数を確認する。
そして、旋盤を動かした。
ウィーン……。
材料が回転する。
バイトを近づける。
シャーッ。
金属が削れる。
切りくずが落ちる。
最初は順調だった。
しかし――。
「……あ」
寸法を測る。
予定より削りすぎていた。
「0.3mm……」
俺は固まった。
削りすぎた。
戻せない。
「最悪だ……」
せっかく準備した材料だった。
俺は諦めかけた。
そのとき、先生が近づいてきた。
「どうした?」
「削りすぎました」
「じゃあ、どうする?」
「……作り直します」
「そうだ」
先生はそれだけ言った。
俺は新しい材料を取り出した。
もう一度、最初からやり直す。
今度は慎重に。
粗く削る。
寸法を測る。
さらに少し削る。
また測る。
最後は、ほんの少しずつ。
0.1mm。
0.05mm。
そして――。
「……20.00mm」
ぴったりだった。
俺は思わず笑った。
「できた……」
でも、まだ終わりじゃない。
面取りをして、ねじ部分を加工する。
一つ一つの工程を丁寧に進めていく。
時間がかかった。
何度も測った。
何度も確認した。
そして、ようやく完成した。
「先生」
「おう」
「できました」
先生が手に取る。
「……綺麗にできたな」
「ありがとうございます」
「何か思い入れでもあるのか?」
俺は少し考えた。
「はい」
「何だ?」
「祖父が使ってた旋盤の部品なんです」
「そうか」
先生はそれ以上、何も聞かなかった。
俺は完成したハンドルを握った。
冷たい金属だった。
でも、不思議と温かく感じた。
放課後。
俺は祖父の工場へ向かった。
そして、新しく作ったハンドルを古い旋盤に取り付けた。
サイズはぴったりだった。
ハンドルを回してみる。
ギギッ……。
少しだけ音がした。
でも、ちゃんと動いた。
「……じいちゃん」
誰もいない工場で、俺は呟いた。
「俺、機械科に入ってよかったかもしれない」
返事はない。
当然だ。
祖父はもういない。
それでも俺は、なぜか少しだけ笑った。
機械は何も喋らない。
悲しいとも、嬉しいとも言わない。
ただ、人間が与えた力を受け取り、決められた動きをする。
けれど――。
その機械を動かすのは、人間だ。
何を作るのかを決めるのも、人間だ。
失敗したら、やり直す。
削りすぎたら、別の材料で作り直す。
そして、自分だけの形を探していく。
それは、きっと人間も同じなのだ。
俺は工場を出る前に、もう一度だけ旋盤を見た。
「また来るから」
もちろん、旋盤は何も答えなかった。
俺は笑って、シャッターを閉めた。
その帰り道。
俺は初めて、機械科に入ったことを後悔していなかった。
明日も実習がある。
また金属を削る。
また寸法を測る。
また失敗するかもしれない。
それでもいい。
何度でもやり直せばいい。
だって――。
人間は、機械と違って、自分自身を作り直すことができるのだから。
俺は、明日の実習が少しだけ楽しみになっていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回は「旋盤」と「祖父」をテーマに、一人の機械科の高校生が、ものづくりの意味を見つけていく物語を書きました。
旋盤実習では、ほんの少しの削りすぎが失敗につながることがあります。
でも、失敗しても新しい材料でやり直すことはできます。
それは、もしかすると人間も同じなのかもしれません。
うまくいかないことがあっても、何度でもやり直せる。
そんな思いを、この作品の最後に込めました。
「最後の切削」というタイトルには、金属を削る最後の一回という意味だけでなく、主人公が過去の自分から一歩進む、最後の「切削」という意味も込めています。
少しでも「ものづくりっていいな」と思ってもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




