37話 攻略が通用しない迷宮で初めてズレた
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入口を一歩くぐった瞬間、空気の重さが変わった。
湿っているのに乾いているような、妙な感覚が肌に残る。
俺は足を止める。
さっき入口の前で感じた違和感が、内側ではさらに強かった。
踏み出したはずの足が、思った位置に届かない。
床は動いていない。
だが距離感だけが、わずかにずれている。
ひなたが小さく声を漏らした。
「え、なにこれ……」
俺は振り返る。
入ってきたはずの入口が、少しだけ右にずれていた。
壁の角度も違う。
さっき見た形と一致しない。
凛が目を細める。
「黒崎、固定じゃない」
俺は頷く。
「構造が動いてます」
コメント欄が流れる。
「もう変わった?」
「早すぎるだろ」
新規の驚きに混ざって、少し慣れた視聴者の反応も見えた。
「いや、この人なら見る」
「まず観察待ち」
「いや偶然だろ」
その直後、古参がすぐに返す。
「偶然で毎回当てられるかよ」
「見てから言え」
俺は床を見る。
魔力の流れが一定じゃない。
壁から床へ。
床から天井へ。
不規則に脈打っている。
通路の形も真っ直ぐに見えて、完全な直線ではない。
数歩先で、僅かにねじれていた。
左壁だけ魔力が薄い。
空洞が移った跡だ。
迷宮そのものが、呼吸しているみたいだった。
「……厄介ですね」
ひなたがすぐに反応する。
「厄介で済ませるんですか!?」
その時、左壁の継ぎ目が微かに鳴った。
嫌な音だ。
俺は呼吸を浅く整える。
俺は即座に言う。
「止まって」
二人の足が止まる。
次の瞬間、何も起きない。
ひなたが目を瞬く。
「……あれ?」
罠の起動音だけが残る。
だが攻撃は来ない。
一拍。
二拍。
三拍。
三拍遅れて、俺たちの背後で壁穴が開いた。
矢がまとめて通路を横切る。
さっきまでいた位置を、正確になぞるように。
ひなたの髪先が一本だけ切れた。
ほんの紙一重だった。
コメント欄が爆発する。
「今の危なっ!」
「後から来た!?」
「たまたま止まっただけだろ」
古参がすぐ重ねる。
「いや今のは読んでる」
「順番ズレてるの見えてないのか」
凛が低く呟く。
「タイミングがずれてる」
俺は床を見たまま答える。
「起動と攻撃が分かれてます」
「即時発動じゃない」
つまり、音がした瞬間に避けても遅い。
起動した罠を読むんじゃない。
その後に来る攻撃まで含めて、まとめて読まないといけない。
ひなたが大鎌を握り直す。
怖がっている。
それでも、目は逸らさなかった。
「……でも」
一度だけ息を呑む。
それから俺を見る。
「悠斗さん、分かってますよね?」
俺は短く頷く。
「はい」
ひなたはその返答を聞いた瞬間、前へ出た。
「じゃあ、私行きます!」
新規のコメントが流れる。
「は!?」
「先行くの!?」
その下で、慣れた視聴者が返す。
「ひなた、もう信じてるな」
「この三人、仕上がってきた」
凛が一歩ずれてひなたの横に並ぶ。
「黒崎、タイミング見て」
俺は壁、床、魔力の流れを同時に追う。
次の罠は右壁から起動する。
だが攻撃は前方に抜ける。
しかも、さっきより発動が早い。
毎回同じではない。
俺は言う。
「二歩だけ前へ。
その後、止まってください」
ひなたが動く。
一歩、二歩。
そこで止まる。
同時に、右壁の継ぎ目が開いた。
何も来ない。
また遅延。
俺は言う。
「今、下がって」
二人が半歩だけ戻る。
次の瞬間、前方の床が沈み、挟み込むように石壁が閉じた。
さらに遅れて、さっき二人がいた位置を矢が通る。
矢。
落下。
挟み込み。
順番まで変わっていた。
凛は冷静に言う。
「固定で考えたら死ぬ」
俺も頷く。
「毎回更新ですね」
コメント欄が流れる。
「攻略情報殺しだな」
「運ゲーじゃなくて更新ゲーか」
一つの区画を抜けただけなのに、汗が滲む。
視界の端が一瞬だけぶれた。
ほんの僅かだが、輪郭が遅れて見える。
頭の奥が熱い。
喉の奥まで乾くような感覚があった。
この迷宮はそこまで見越して削ってくる。
しかも、まだ入口だ。
その時。
通路の先で、石壁が低く唸った。
三人同時に前を見る。
さっきまで一直線だった道の途中に、横道が増えている。
分岐が、今生まれた。
ひなたが声を上げた。
「うそ、今変わりましたよね!?」
凛も短く言う。
「見た」
俺は新しく生まれた通路を見つめる。
魔力の流れまで、さっきとは変わっていた。
迷った瞬間に遅れる。
覚えた瞬間に外される。
そういう場所だ。
だから厄介だ。
今は、まだ入口にすぎない。
俺はスマホを持ち直す。
コメント欄はもう、期待と混乱で埋まっていた。
「アンチ黙ったな」
「いや、まだ分からん」
「なら最後まで見てろ」
指先が少し冷えた。
「……進むしかないですね」
――もう、戻れない。




