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悪役令嬢ですが、私の取り巻きが、なぜか執事に取り巻いています

作者: 天地サユウ
掲載日:2026/03/11

新作です。


「ミレーユ・フォン・グリムローゼ! お前のような感情論者は、次期王妃に相応しくない! よって、この場をもって婚約を破棄させてもらう!」


 王立学園の二年次進級を祝う夜会。

 第一王子ユリウス・フォン・クロイツェル殿下の冷徹な声が響き渡った瞬間、私はため息をついた。

 

(また、このパターンね……)

 

 殿下の宣言と共に、華やかな演奏も、貴族生徒たちの歓談もピタリと止む。

 誰もが息を呑み、私に注目する。

 

 私は最高にポンコツな悪役の仮面を被り、凍りついた空気を、場違いな高笑いで打ち破ることにした。

 

「おーほっほっ! 本当に、殿下はいつも冗談がお好きですわね!」

 

 鮮やかな深紅のドレスを優雅に翻し、金色のツインドリルがシャンデリアの光を受けて煌めくように首を傾げる。

 

 燃えるような瞳に合わせた大粒のルビーのピアスを揺らしながら、私はバサリと愛用の扇子を広げる。

 特注の扇子には、金糸の刺繍で達筆に『純愛とは私』と綴らせている。

 痛々しいほどの自己主張だ。

 

「……冗談などではない! 私はいつも本気で言っているのだ、ミレーユよ!」

「分かっていますわ。また、殿下の高度なブラックジョークだと。ねえ、シリル?」

 

「なぜ、分かってくれないのだ!?」と、声を荒らげる殿下に対し、聞こえないフリをした私は、壁際で控える専属執事のシリル・アストレアに同意を求めた。

 

 殿下が定期的に私を悪者にする茶番劇。

 その真なる目的は、私との婚約破棄ではなく、私の背後にいる、有能すぎる執事を王宮へ引き抜くための布石だ。

 

「はい。皆様が仰天されるほどの、相変わらず見事なジョークかと存じます」

 

 胸に手を当てながら一礼し、涼しい顔で肯定したシリル。

 完璧な『壁の染み』の演技。

 王族相手にも角を立てず、波風を立てない私の優秀で健気な執事だ。

 

 私は我が意を得たりと、わざとらしく得意げに鼻を鳴らす。

 

「ふふん。そういうことですか、殿下」

「よ、ようやく分かってくれたようだな、ミレーユよ!」

「もちろんですわ! つまるところ、私の愛を試すための試練を与えようとしてくださっているのですね!?」

「……ち、違う! なぜ、そうなるのだ!?」

 

 私の馬鹿な超ポジティブ解釈の連発にペースを乱した殿下が、さらに声を荒らげる。

 

「よく聞くがよい! 私が求めるのは論理と知性だ! お前の『可愛い』や『可哀想』といった非合理な感情は、国家運営の妨げでしかないのだ!」

「あら、まあ! ということは、私に『論理的な可愛さ』を身につけなさいと仰っているのですね!」

「それも違う! 諸外国との覇権争いが激化している中、愛だ恋だと、うつつを抜かしている暇などないのだ! 今の私に婚約者など不要である!」

 

 殿下の言葉の端々に焦りが見える。

 諸外国との覇権争い。だからこそ、彼はシリルの異常なまでの事務処理能力を喉から手が出るほど欲している。だが、そんな泥沼の権力闘争が渦巻く王宮へ、真面目で仕事ができるだけの非力な執事を放り込めば、あっという間に使い潰されてしまう。

 絶対に渡すわけにはいかない。

 

「また、殿下はそう仰いながらも、私のことを愛してやまないのは分かっていますわ!」

 

 私は高らかに声を上げ、余裕の笑みを浮かべる。

 話が通じない私に、殿下は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた後、力強く指を突き出した。

 狙いはやはり、シリルだ。

 

「私はこの王国を導くために必要な『最高の右腕』を見つけたのだ! シリル・アストレア! お前の完璧な処理能力と、私の論理すら論破する知性! お前こそが、私の補佐官に相応しい! シリル、私の元へ来い!」

 

 周囲がざわめき立つ中、シリルは涼しい顔で一礼し、静かに口を開く。

 

「殿下、身に余る光栄ですが、お断りいたします。俺はミレーユ様に仕える一介の執事。いわば、この夜会の壁の染みと同義の裏方に過ぎません。それに、このような無作法な口の利き方しかできぬ未熟者に、次期国王の補佐など到底務まりません」

 

 シリルは一国の王子に対しても、私という主君への忠誠を貫いてくれる。でも、『俺』なんていう言葉遣いでは、逆に口実を与えてしまうことになるだろう。

 

「ふっ、またしても即答か! 王族相手にも『俺』という不敬な態度を崩さず、次期国王の誘いすら涼しい顔で蹴る、その権力に媚びない冷徹な態度! やはり、お前しかいない! 真に断る理由は待遇か? ならば、爵位も領地も望むがままに与えてやろうではないか!」

 

 シリルが「お心遣い感謝いたしますが――」と辞退しようとした瞬間、私は強引に割って入る。

 これ以上、殿下に彼を値踏みさせてはいけない。

 話題を根本からすり替えるのみだ。

 

「そういうことでしたのね!?」

 

 私は閉じた扇子でシリルと殿下を交互に指差し、わなわなと震える演技をした。

 

「……どういうことだ?」

「殿下は、私という婚約者がいながら、シリルとの禁断の愛にも目覚めてしまったのですね!?」

「え……?」

「爵位だけでなく、領地まで与える……。そこまでしてシリルを権力と財力で囲い込もうとする。……なんて、重く、激しい求愛なのでしょう!」

「なっ……!?」

 

 あまりの飛躍に言葉を失う殿下をよそに、私はシリルを庇うように殿下の前へ立ちはだかる。

 

「確かに、シリルは顔立ちも頭も良いですから、惹かれる気持ちは分かりますけれど! いくら殿下といえど、シリルは渡せませんし、何より浮気はダメですわ!」

「浮気……? わ、私は有能な人材が欲しいだけだ!」

 

 殿下の必死の弁明は、私が作り出した異様な空気の前に掻き消された。

 周囲で固唾を呑んで見守っていた貴族たちが、私の狙い通りに騒ぎ始める。

 

「まさか、殿下が執事の彼を愛していたなんて……」

「そういえば、二人きりで話していた姿を見たことがあったわ……」

「待って。殿下は『諸外国との覇権争い』と仰っていたわ。愛するミレーユ様を、他国の脅威から身を守るためなのかもしれないわ」

「つまり、わざと悪役となって婚約破棄をしようとしているってことなのね」

「あぁ……なんて尊く、悲しい愛なのでしょう……」

 

 扇子で口元を覆いながら、令嬢たちが次々と涙ぐみ始めた。

 会場全体が、『悲劇の王子と麗しき執事の禁断の恋』、そして『愛する婚約者を守る自己犠牲』という、謎の感動空間に包まれていく。


 よし、これで殿下が強引にシリルを引き抜けば、『公爵令嬢から略奪愛をした王子』という致命的な醜聞が立つ。

 政治的にも簡単には手が出せないはずだ。

 

「お前たちまで、いったい何を……?」

 

 予期せぬ周囲の熱狂に、殿下が呆然と声を漏らす。

 私は決意に満ちた瞳で宣言する。

 

「始めから分かっていましたわ! 殿下は、私を危険な目に遭わせまいと、あえて悪役となって遠ざけようとしていることを! ですが、殿下だけに重責や危険を背負わせることなど、私には到底できませんわ!」

「ま、まるで話が通じないではないか!? シリル、今日のところは引いてやるが、必ずや、お前を私のものにするからな!」

 

 殿下は頭痛に悩まされながらも、逃げるように会場を後にした。

 

 主役である殿下が去った後も、夜会の広間は、私の撒いた『真に愛する者から身を引こうとする王子と、王子を健気に支える婚約者』という話題で持ちきりだ。


 私は皆から向けられる同情と称賛の嵐を一身に浴びながら、意気揚々と声を上げる。

 

「おーほっほっ! 殿下とシリルの悲恋を隠すダミーとして、未来の王妃である私が婚約者の座を守り抜いてみせますわ!」

 

 令嬢たちが涙ぐみながら万雷の拍手を送ってくれる。

 私は金の刺繍で『慈愛とは私』と書かせた扇子をバサリと広げる。

 気高い自己犠牲などでは決してない。

 すべては、非力な執事を王宮の毒から守るための大立ち回りだ。

 

 シリルが楽団へ目配せをして、優雅なワルツが再開された。

 私がホッと息をついたのも束の間、私の取り巻きである侯爵令嬢シャルロッテたちが、なぜか頬を紅潮させてシリルへ歩み寄っていくのが見えた。

 

「シリル、王族相手にも一歩も引かない貴方の圧倒的な有能さ……実に素敵でしたわ!」

「お褒めにあずかり光栄です、シャルロッテ様。ですが、俺の働きはミレーユ様の威光あってのもの。俺自身は取るに足らない壁の染みに過ぎません」

「まあ! いつもいつも、なんて謙虚でいらっしゃるのかしら!」

 

 シリルが胸に手を当てて一礼すると、他の取り巻きたちまでも、次々と彼を取り囲んだ。

 

「きゃあっ! シリル様が、わたくしを見たわよ!」

「その涼しげで冷たい流し目……たまりませんわ!」

「その視線で叱っていただきたいですわ!」

「私なんて、踏み付けてもらってもいいですわよ! いえ、むしろ踏んでくださいまし!」

 

(本当に、この子たちったら、どうしちゃったのかしら?)


 本来なら私を慰めるべき彼女たちが、シリルを取り囲んで熱狂している。

 しかし、すぐに合点がいく。

 彼女たちは、シリルの『何者にも媚びない執事としてのプロ意識』や『冷たくも美しい所作』に心酔しているのだ。


 彼女たちがシリルに夢中になればなるほど、王宮の連中も公爵邸に手を出しづらくなる。私の取り巻きたちが、シリルの防壁になってくれるのだ。

 私は不満を抱くどころか、ご満悦な態度を作った。

 

「ふふん。皆様、私の完璧な執事の魅力にすっかり夢中のようですわね! おーほっほっ!」

 

 私は勝ち誇ったように胸を張り、懐に隠してある別の扇子をバサリと広げる。

 そこには『愛ゆえの余裕』と刺繍させている。

 シリルは私の満足気な様子を確認し、静かに一礼した。

 

「皆様、本日はミレーユ様の護衛という裏方の職務中ゆえ、これにて失礼いたします。ごきげんよう」

 

 シワひとつない燕尾服を翻し、私の背後へと戻って来る姿を見つめて、決心する。


(シリル、私が絶対に守ってあげるからね)

 

 ◇

 

 数日後。

 麗らかな春の陽光が降り注ぐ、グリムローゼ公爵家の庭園。

 色とりどりの薔薇が咲き誇る東屋で、私はお茶会を開いた。

 

「皆様、あの夜の殿下の婚約破棄宣言は、私の器の大きさを測るための愛の試練でしたわね!」

 

 私は高らかに声を上げて、バサリと扇子を広げた。

 今日の扇子には『愛とは試練』と刺繍させてある。

 

「そう、殿下はあえて同性の執事との特大スキャンダルを演じることで、私を試されたのですわ! もちろん、浮気は許しませんが、愛の試練とあらば話は別。このミレーユ、正面から受けて立ちますわ! 恋のライバル(シリル)から、殿下を奪い返すほどの執念があるか、この過酷な試練を乗り越えて、再び御心を私へと引き戻してみせますわ!」

 

 私は背後に控えるシリルへ、ギリッと鋭い視線を向けた。

 表向きは恋敵への対抗心だが、裏の目的は、彼を私の目の届く場所に釘付けにし、定期的な『業務査定』と称して、他者の介入を防ぐことだ。


 周囲では、シャルロッテをはじめとする取り巻きたちが、うんうんと深く頷いている。

 

「全くもって、ミレーユ様の仰る通りですわ! ですから、私も手強い恋敵であるシリル様を監視するため、毎日お茶会に通わせていただきますわ!」

「ええ! 私もシリルの側で、その美しい……いえ、恐ろしい所作を見極めて差し上げますわ!」

「ミレーユ様のためにも、私も全力でシリルの体……いえ、身辺調査をいたしますわ!」

 

 令嬢たちは口々に賛同の言葉を並べるが、熱を帯びた視線の先はシリルだ。


(ふふっ。本当にこの子たちは、シリルの観察に熱心ね。助かるわ)


 私はビシッと扇子をシリルに突きつける。

 

「いいこと、シリル! 殿下を惑わすあなたの洗練された所作を、私が隅から隅まで粗探しするわ! まずは、私に完璧な紅茶を淹れてみなさい!」

「かしこまりました」

 

 シリルは涼しい顔で一礼し、純白の手袋をはめた手でティーポットを傾ける。その際、一切の飛沫を立てずに完璧な放物線を描いて注がれた紅茶。

 

「くっ……! 温度も香りも完璧ね……。なんて隙のない執事なの! 悔しいけれど美味しいわ!」

「身に余るお言葉でございます」

「でも、まだよ! 次はスコーンの切り分けをしなさい!」

 

 彼が銀のナイフを手に取った瞬間、令嬢たちが目を血走らせながら一斉に立ち上がった。

 

「ミレーユ様! 私も憎き恋敵の粗探しを全力でお手伝いいたしますわ!」

「そうですわ! シリル、私にも紅茶を注ぎなさい! もっと至近距離で、私の目を真っ直ぐに見つめながらですわよ!」

「私には涼しげな流し目で、冷たく見下しながらスコーンを差し出しなさい! 徹底的に粗を探してあげますわ!」

 

 彼女たちが特殊なリクエストをつけながら、頬を真っ赤に染めてシリルに群がっていく。

 他家の令嬢なのに、私の業務査定にここまで付き合ってくれるなんて、本当に勤勉だわ。

 

「皆様、ご協力感謝いたします。順次対応いたしますので、どうか一列にお並びくださいませ」

「きゃあっ! シリル様に整列を命じられたわよ!」

「その冷たい事務的な声も、たまりませんわ!」

 

 シリルは淡々と彼女たちを捌き続けていく。

 しばらくして、優雅なティータイムの空気を切り裂くように、庭園の鉄門が乱暴な音を立てて開かれた。

 

「ふははは! 第一王子に捨てられた哀れな公爵令嬢が、涙に暮れていると聞いて慰めに来てやったぞ!」

 

 バルバトス侯爵令息のドミニクだ。

 彼は勝ち誇った顔で踏み入ってくるが、私の『愛とは試練』の扇子と、順番待ちをする令嬢たち。そして優雅に給仕するシリルを見て足を止めた。

 

「なんだ、このふざけた茶会は!? ミレーユ、お前は殿下に捨てられたのだろうが!」

「あら、ドミニク様。無作法な足音を立てて、私の『愛の試練』の邪魔をしないでくださる? 今はシリルの業務査定中で忙しいのですけれど」

「愛の試練だと!? 現実逃避も大概にしろ!」

 

 顔を真っ赤にしたドミニクは、矛先をシリルへと向けた。

 

「おい、そこの下賤な執事! 俺にも最上級の茶を淹れろ! もし、少しでも不出来なら、貴様の主人の顔に泥を塗ることになるからな!」

 

 ただの執事のシリルに、難癖をつけてきた。

 シリルは表情一つ変えず、彼の前へと進み出ると、彼女たちからリクエストされた通りの『涼しげな流し目で冷たく見下す視線』をドミニクに向ける。

 

「お待たせいたしました、ドミニク様。ですが、少々茶の香りが損なわれていますね」

「なんだと!? 貴様、自ら不出来を認めるというのか!」

「はい。侯爵令息ともあろうお方が、無断で他家の庭園に踏み入り、淑女のお茶会で品性下劣な声を荒らげ、あろうことか泥のついた靴で芝生を荒らしている。これでは、いかなる名茶も泥水の味に成り下がりましょう」

「なっ……!? 貴様、ただの執事の分際で、俺に説教する気か!?」

「滅相もございません。ご自身の顔に泥を塗っておられる事実に気付かれないようでしたので、鏡の代わりを務めさせていただいたまでです。壁の染みの戯言とでも、お思いいただければと」

 

 シリルが胸に手を当てて深く一礼すると、背後で見守っていた彼女たちから歓声が上がる。

 

「きゃあっ! 出たわ、シリル様の冷徹な正論パンチよ!」

「ゴミを見るような流し目も、たまりませんわ!」

「あんな風に、私も理詰めで完璧に論破されたいですわ!」

 

 私は(シリル、毅然と対応して偉いわ! けれど、後で目をつけられないかしら?)と、ハラハラしながらも表面上は高笑いをして彼を援護する。

 

「おーほっほっ! どうです? 私の完璧な執事は!」

「……く、狂っている! お前たち、どうかしているぞ!?」

 

 ドミニクは私の予定通り、顔を真っ青にさせ、脱兎のごとく逃げ出していった。

 

「さて、害虫の駆除も終わりましたし、業務査定の続きを再開いたしましょうか」

 

 シリルが淡々と言うと、令嬢たちはさらに熱を帯びた瞳で一列に並び直す。

 その後も、シリルは彼女たちからの高度で特殊な査定項目を完璧にこなし続けた。

 

(なんとかやり過ごせたわ。でも、いつまで彼を公爵邸に匿えるかしら……)

 

 ◇

 

 数日後、恐れていた事態が起きた。

 グリムローゼ公爵邸に、ユリウス殿下からの書状が届いたのだ。シリルを王宮の政務補佐として招き入れるという正式な王命だ。

 

(王命ですって!? あんな、他者を蹴落とすことしか考えていない伏魔殿に、非力なシリルを一人で行かせるわけないじゃない!)

 

 私は血相を変え、身支度を整えているシリルに叫ぶ。

 

「シリル! 私も行くわよ、馬車を出しなさい!」

「ミレーユ様? 今回は俺個人への召喚ですが?」

「馬鹿言わないでちょうだい! 未来の王妃である私の専属執事を一人で王宮に行かせるわけないでしょ! これも殿下からの愛の試練よ! 私がきっちり受けて立ってやるわ!」

 

 私は震える手を隠すように、扇子を強く握りしめた。

 シリルは静かに一礼し、馬車を手配した。


 ◇


 重厚な城門を抜け、案内された王宮の執務室。

 待ち構えていた殿下は、私たちを見るなり、大量の書類の山をドンッと机に積み上げた。

 

「よく来たな、シリル。そして、ミレーユよ。お前が絶対に手放さないと言うことで、条件を出すことにした。これらの書類は、複雑に絡み合った他国との外交機密文書、およそ三年分の未処理分だ。これを三日で完璧に処理できれば、お前たちの帰還を許そう。……だが、できなければ、シリル。お前は一生私の右腕としてここで働くのだ」

 

 物理的に不可能な業務量。

 合法的な引き抜き工作だ。

 シリルが口を開くより早く、私は前に出る。

 

「おーほっほっ! 殿下ったら、私の有能な執事を舐めないでくださる? 三日で終わらせて、公爵邸へ連れ帰りますわ!」

 

 そこからの三日間の攻防は、熾烈を極めた。

 執務室には、事あるごとに殿下の派閥の貴族たちが牽制や妨害に訪れる。

 彼らは、シリルを『利用すべき有益な道具』か、『排除すべき政敵』として値踏みしているようにしか見えない。

 

(あんな汚い視線に、シリルを晒すわけにはいかないわ)

 

 私は三日間、ただひたすらに彼が作業する部屋の前へ立ち塞がることにした。

 

「あら、宰相閣下! 殿下の愛の試練の邪魔をしないでくださるかしら?」

「おーほっほっ! 平民上がりの役人には、この高度な愛の駆け引きは理解できなくてよ!」

 

 貴族たちが「殿下にすがりつく惨めな公爵令嬢だ」「頭が空っぽの道化め」と、あからさまな冷笑と蔑みを向けてくる。


 私は扇子を広げながら、傲慢な悪役令嬢を演じ続けた。私が道化になって憎悪と冷笑を被れば被るほど、彼らの視線は私に向き、シリルから逸れるのだから。


 

 そして約束の三日後。

 シリルが一切の不備なく書類の山を片付けると、殿下は驚愕に目を見開いた。

 

「……馬鹿な。たった三日で、本当にこれほどの機密文書を処理したのか……」

「殿下、約束通り、俺たちはこれにて失礼いたします」

 

 シリルが一礼して踵を返そうとした時、殿下が忌々しげに声を張り上げる。

 

「待て、シリル! 今回は私の負けだが、私は決してあきらめんぞ! いつか必ず、その愚かな女を引き剥がし、お前を王宮へ迎え入れてみせるからな!」

 

 その言葉に、私は真っ向から立ち塞がる。

 

「おーほっほっ! 殿下の愛の執念、しかと受け止めましたわ! ですが、私の愛の城壁は誰にも崩せませんことよ! さあ、シリル、帰るわよ!」

 

 殿下が頭痛を堪えてこめかみを押さえる中、私はシリルの腕を引いて、堂々と王宮の正門を潜り抜けた。

 

 ◇

 

 公爵邸へ帰還した、その日の夜。

 私は限界を迎えて机に突っ伏した。

 泥のように眠りに落ちてしまった後、ふと肩に温かい毛布が掛けられる感触で、薄っすらと意識が浮上する。

 

「まったく無茶をなさる……」

 

 シリルの微かな呟きが聞こえた気がした。

 彼が部屋から出ていく気配を感じた私は、重い瞼を開ける。

 

 寝ていた間に、彼が私の乱雑な机を整理してくれたようだ。

 ふと、机の隅に見慣れない黒革の手帳が落ちていた。彼が机を整理してくれた際に、胸元から落としていった『業務日誌』だろう。

 拾い上げて開いたページには、シリルの整った筆跡で、王宮での三日間の記録が綴られていた。

 

『王宮滞在中の執務記録。

 初日。ミレーユ様に害をなそうとする輩が多すぎる。書類作業の合間を縫い、宰相派閥の密偵三名の不正の証拠を握り、社会的に排除した。

 

 二日目。彼女の紅茶に毒を盛ろうとした愚か者を発見。物理的に制圧し、情報を吐かせた後、公爵家の暗部へ引き渡した。

 

 三日目。殿下が彼女を「愚かな女」と呼んだ。

 不敬罪をでっち上げて側近ごと沈めてやりたかったが、ミレーユ様が悲しむと判断して自重する。

 

 それにしてもあんな伏魔殿で、ただ俺を守るために、震えながら防壁になって立ち塞がるなど、なんて不器用で、無鉄砲で、愛おしい主君か。

 彼女を脅かす者は、たとえ王族であろうと俺が裏で処理してみせる』



 私は静かに手帳を閉じた。

 社会的に排除? 物理的に制圧? 

 私が守っていたのは、非力な小鳥ではなく、王宮の裏側すら単独で蹂躙できる公爵家の裏の顔だったのだ。

 

 ドミニクが青ざめて逃げ出した時の、あの涼しげな流し目。あれは執事の毅然とした態度ではなく、本物の修羅場を潜り抜けてきた『威圧』だったのか。

 令嬢たちが彼に群がって頬を染めていたのも、圧倒的な強者の覇気にあてられていたからかもしれない。

 

 そんな馬鹿なと混乱する。

 綺麗に整理された机の上。そこには私が書き殴った『痛々しい本音の日記』が、わざわざ一番上に、丁寧に置き直されていた。

 

「……まさか、シリルに私の日記を読まれた……?」

 

 彼が落とした日誌の本音。

 この状況を見るに、私のポンコツ演技も、彼を守るための大芝居も、彼にバレてしまっただろう。

 

 ただ、あの完璧なシリルが落とし物をするとは、私の日記を読んで、彼も激しく動揺したのだろう。

 とはいえ、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 そして私も、彼が『ただの優秀な執事』などではないと知ってしまった。


 痛々しい勘違いをしていたのは、お互い様だったのだ。

 けれど、胸の奥に不思議と温かいものが込み上げてくる。私が彼を守ろうとしていたように、彼もまた、恐ろしい力と愛情で、私を裏から守り続けてくれていたのだ。

 

 私は、彼の手帳を元の場所に戻し、見なかったことにした。

 私が為すべきことは一つ。

 不器用で恐ろしく、優しすぎる最強執事の隣に立ち、彼が望む平和な日常を、これからも完璧なポンコツ悪役令嬢として、共に守り抜くだけだ。

 

 ◇

 

 翌日。

 麗らかな春の陽光が降り注ぐ庭園で『殿下の誘惑を打ち破った愛の戦勝記念』という名目のもと、お茶会を開いた。

 

「おーほっほっ! 殿下がシリルを王宮へ連れ去ろうとしましたが、私の愛の盾に恐れをなして、あきらめたようですわ!」

 

 私はいつものようにバサリと扇子を広げる。

 本日の扇子には『愛の完全勝利』と刺繍されていた。

 昨夜の衝撃の事実を知った後でも、私は『ポンコツ悪役令嬢』を完璧に演じている。

 

「シリル、ご無事で何よりですわ!」

「王宮に行かれている間、お姿が見えなくて、私、干からびてしまいそうでしたわ!」

「さあ、今日も私に涼しげな流し目を向けながら、紅茶を淹れてくださいまし!」

 

 シリルがティーポットを傾けようとした時、シャルロッテをはじめとする取り巻きたちが、いつものように彼を取り囲んだ。

 

 本来なら私を称賛すべき彼女たちだが、熱を帯びた視線はシリルに向けられている。

 (あなたたち、彼が本物の殺気を漏らしてる裏社会の狂犬だって知らずに群がってるのね……でも、それでいいわ)

 相変わらず、王国の貴族は勉強熱心だ。

 

「ふふん。皆様、今日も私の完璧な執事の魅力にすっかり夢中のようですわね! おーほっほっ!」

 

 私の高笑いと、令嬢たちの歓声が平和な庭園に響き渡る。

 シリルは涼しい顔で一礼し、完璧な手際で紅茶を注ぐ。

 彼もまた、私の隣で『何も知らない壁の染み』を完璧に演じているのだ。

 私は扇子の裏でクスッと笑いながら、彼が淹れた世界一安全で美味しい紅茶に口をつけた。

 

 今日も、私の取り巻きが、なぜか私の愛しい執事に取り巻いている。

お読みいただき、ありがとうございます!

二人の謎は各々違いますので、こちらも是非。

【執事視点】https://ncode.syosetu.com/n3367lw/

ポンコツを被っていたとはいえ、依然として取り巻きは自分に取り巻いていると信じているポンコツさ。

お互いタイトル回収しております。


それではまた( ´∀`)ノ

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― 新着の感想 ―
あ、やっぱアホは演技だったんだ。そして執事でもお嬢様の視点でも真のアホ扱いの殿下よ。
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