23.対岸の火事
天気は、この季節には珍しい雨。
徐々に激しさを増す雨音の中、ベンチに座る男が一人。
全く濡れていないその男は、ギプスの取れたばかりの脚を見ながら溜め息をつく。
そして、傘を差し出す女の影。
「舵原くん。」
舵原良也が顔を上げると、そこにはびしょ濡れの宮本双葉がいる。息が上がっていることからも、どうやら走って追いかけてきたようだ。
「...傘は大丈夫ですよ。そういう能力なので。」
宮本は自分の方に傘を戻す。もう遅いのでは?という指摘は無粋だ。
「舵原くん、そういうとこあるよね。」
「...もしも。」
舵原は再度顔を落とす。
「...もしも?」
「......もしも、俺があなたのように...ポジティブなら...」
拳を握り締める舵原。
「...何が...あったの。」
数秒の間の後、舵原は震える唇を開く。
「...期間限定の...芋羊羹が...売り切れていました。」
「......嘘。」
「5店舗!...5店舗まわりました...けど...何処にも......」
沈黙。そこで、宮本はポケットから4つ折りの紙を取り出す。
「...これは...?」
「...読んでみて。」
紙を開く舵原。
「......あいつ...先に言えよ...」
『舵原くんのダイスキな芋ヨーカン!棚に入れとくから宮本と2人で食べてちょ♡ 有巣より』
たまに鳴る雷を意に介さずサンドバッグを殴り続ける天道穂香を見て、天道舞香は不安になっていた。
ここ数日、穂香の様子がおかしい。具体的には、陽杯教の事件から。
「穂香。」
反応は無い。穂香は力いっぱいにサンドバッグを殴り続けている。
大きくなる雨音と張り合うかのように、打撃音が強くなる。
「...何かあったの?」
またしても無反応。穂香がここまで無視を貫くのは、舞香が小四の時の殴り合いの喧嘩以来だ。
その時、インターホンが鳴る。
「はーい。」
舞香と穂香の母親が玄関に向かう。
「ねぇ穂香。怖いよ。」
数十秒ほどが経過し、舞香は違和感に気付く。
「...ん?」
おかしい。玄関から物音が聞こえない。気になった舞香は、玄関の方へ足を進める。
「お母さーん?」
玄関で立ち止まり、息を呑む舞香。
倒れている。母が、仰向けで。
しかし、顔が上を向いていない。首から血を流し、下を向いている。
声が出ない。舞香は視線を上げ、犯人を認識した。
「やぁ、まいちゃん。会いに来たよ。」
足がすくむ。腰が抜ける。
佐藤タカシ、舞香の中学時代の同級生。しかし、顔が違う。頭では確かに目の前の男が佐藤タカシであると理解しているのだが、目に入る光景がそれを否定している。
「ごめんね。あの時は泣かせちゃって。」
あの時。席替えの際、舞香の隣が佐藤タカシになり泣いてしまったことだ。確かに経験したことだが、舞香自身の心当たりではない。何故か、脳裏によぎったのだ。
「さぁ、おいで。」
「来ないで!!」
佐藤の手を弾く舞香。
「酷いな。」
佐藤が手を振り上げたその時、視界が白飛びする。直後、舞香の耳に爆裂音が届く。
舞香の目の前の空間を境目とし、家が大破している。向かいの家や、その先のスーパーまで巻き込んで。
「穂香!」
真っ先に外の穂香に気付いた舞香が声を上げる。
雨を受け白い煙を上げる穂香は、拳を握り締めている。
その時、
「天道ー?」
近くの建物の上から声を掛けたのは有巣仁理。
「いや両方天道か。妹の方。」
穂香は何も言わず、ただ立ち尽くしている。
「そいつは佐藤タカシ。過去にストーカーで立件されたことがあり少年院行き、今回は性加害と交際相手...白井への暴力で立件された。ただ、白井の件を境に失踪していた。」
有巣が地面に降りてくる。彼も濡れていない。
「俺は、柊黒彦の関与があったのではないかと思う。そして、彼が佐藤ヒロシの血縁者である可能性を念頭に置かなければならない。」
穂香は有巣に視線を向ける。
「だから、何ですか。」
怒りに満ちた声。しかし、有巣は極めて冷静に、首を横に振る。
「現実改変能力を持っている可能性が非常に高い。」
現実改変能力。自分の思う通りに世界を改変する能力。干渉する相手が世界そのものであるため、単純な武力による対抗は現実的ではない。
「...でも...」
「でも、何だ。」
穂香は口をつぐむ。
「柊の干渉は“能力の贈与”か“能力の覚醒”のどちらか。そしてこの干渉は後者であるのではないかと俺は睨んでいる。」
有巣は「マーゴ。」と呼び、まじかる☆マーゴをそばに呼びつける。
「能力の覚醒とは...非能力者の中で、能力は持っているがそれ用の回路が脳に無い者を対象として行われる処置だ。故に、佐藤タカシの能力は遺伝の影響を受けていると考えるのが妥当だろう。」
どけ、と有巣は穂香の肩を掴む。しかし、穂香は首を横に振る。
「......私は」
「“これ以上貴方の手を煩わせたくない”か?」
頷く穂香。
「浅ましい。お前がやろうとしてるのは消火活動に炎を使うようなもんだ。相性不利。」
その言葉を聞き、穂香はしぶしぶ下がる。
「今回は俺がやる。ただ、」
有巣は、ポケットから白い棒を取り出し、穂香と目を合わせる。
「次は頼む。」
ちょうど、佐藤タカシが立ち上がった。
有巣の魔力が高まる。
「ひとり!」
「...変身。」
有巣が光を帯びる。魔力が炸裂する。一瞬、周囲が沈黙し、再度雨が降り始める。
光がおさまると、白髪に巫女服の有巣が現れる。
「......魔法少女...有巣...仁理...なぁこれ一々やんなきゃ駄目?」
「...ごめん...そういう縛りだから...」
「そうか...」
白い棒は身長ほどの長さの杖になっている。
佐藤は、有巣を見て目を丸くする。
「和装の魔法少女なんか居ない!!」
「居ンだろ。目の前に。...男だけど。」
「うるさい!チャマ♡キャノン!!」
佐藤の手からビームが飛び出す。
しかし、有巣は杖でいとも簡単に弾いてしまう。
「なッ...!?チャマ♡キャノンが弾かれた...!?」
「そういう能力でね。」
有巣の能力『 』は、「あらゆるものを0にする」という効果を持つ。この場合の“0”とは、完全に消滅した状態と、プラスでもマイナスでもないニュートラルな状態の両方を指す。そして、現在の有巣は、「世界」を手の加わっていないニュートラルな状態にしているのだ。
ムキになった佐藤は地団駄を踏み、ビームを乱発し始める。
「死ね!死ね!死ね!死ね!」
ビームが建物を砕き雲を裂く。
いくつかは穂香に弾かれ空を撃つ。
(俺の能力で消えないってことは、アレは自前なのか、それとも柊の仕業か...いや、理由はどうでもいい。)
有巣は杖を左手に持ち替え、右手を振りかぶる。
「氷式『雪花』」
左上に振り上げられた右手。その軌道をなぞるように、氷の花が咲く。
現在は雨天。絶対零度まで温度を下げられ凝結した雨水は、佐藤の腹を貫通した。
「クッソ...何だこの技!!」
「残念ながら、俺から開示する旨味は無い。」
「クッソ!!殺してやる!!」
佐藤が両手を前に出すと、掌に白い光が集まる。
「ハハ!良いねぇ火力勝負だ!」
有巣が杖を構えると、先端が緑の光を帯び始める。
放出は、佐藤の方が早かった。
「奥義!チャマ☆バスター!!!」
佐藤のビームが雨を弾き氷を砕き有巣の眼前まで迫ったその時。
「光式『螺鈿』」
競り合うまでもなく、ビームは光に押し返される。
圧縮されてなお極太の光は民家の残骸を抉り佐藤を捉え、周囲の氷を巻き込んで蒸発させる。
衝撃で雲が割れ雨が止む。静かになった空に虹がかかる。
「...やったか。」
数十秒後、やっとの思いで佐藤を探し出した有巣は、空中から佐藤を見下ろしていた。
「佐藤タカシ、といったか。」
瓦礫に埋もれた佐藤は、無言で有巣を見上げる。
「俺の目算が正しければ、お前は俺が今まで戦った相手の中で一番タフだ。」
「...そりゃどーも。」
大きく凹んだ山を見上げる有巣。
「...お前のせいにしていい?」
ハハ、と笑う佐藤。
「いいよ。」
大きく息をつき、佐藤は微笑む。
「スッキリした。...悪いことしておいて何だってことだが...俺は...認められたかっただけだったんだ。」
「...そうか。」
静かに目を閉じる佐藤。
有巣は、佐藤に杖を向ける。
「言い残すことはあるか。」
「...ありがとう。」
佐藤の肉体が崩壊する。
虹が消えようとしていた。
「まさか、誰も死んでねぇとは。」
有巣はホチキスで留められた資料を置き、安堵の息をつく。
「奇跡だね。」
芋羊羹を両手に持っている舵原。
「あぁ。虹が出たからかな。」
「日頃の行いだね。」
資料を取り捲る綾取廻。
「そんな良いことしてねぇけどな。」
その時、扉が開かれる。
「戻りました〜。」
「ましたぁ。」
入室したのは無堂瑞希と白井響香。
「有巣さん、何かいい事でもありました?」
開口一番発せられた無堂の言葉に、有巣は笑う。
「まぁね。」
「うわーウザ。」
「なんでだよぉ!」
一同を笑いが包む。
一方、綾取は資料のあるページを見つめて沈黙していた。
半壊した家の前で立ち尽くす舞香と穂香。
「...お姉ちゃん。」
「...何?」
玄関だった場所には、血の跡が広がっている。
「...ごめん。」
「......なんで謝るの。」
舞香の目から涙が溢れる。
その時、舞香のスマホから着信音が鳴る。
「...はい。」
『...大丈夫じゃなさそうだな。』
有巣の声。
「私のせいで...お母さんが...」
『違う。』
「有巣くんに何がわかるの!!」
押し黙る有巣。
「どうせ...誰もわからないくせに......」
目を伏せる穂香。
『...わかるかどうかは...問題じゃないだろ。』
有巣は、絞り出すような声で呟いていた。
有巣の声が震えている。そのことに気付いた舞香。
「...ごめん。」
『謝るな。今はお前が一番辛い時だろ。』
一言二言ほど言葉を交わした後、電話を切る。
空は、残酷なまでに心地よい快晴だった。




