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014 相談

2036年5月8日放課後。


「ということが先週あってだな」


 俺は疾風と一緒に授業用の資料を運びながら先週の出来事を愚痴っていた。

 授業準備の手を借りるのに俺だと頼みやすいということだったみたいなので、俺もその代わりに愚痴を聞いてもらっていると言う訳だ。


「あ、先生、お疲れ様です」


 疾風と会話しながら廊下を歩いていると、ふと目の前から、綺麗な青色の長髪の女子生徒が歩いてきたかと思うと、すれ違いざまに疾風に向かって恭しく一礼した。


「こんにちは。えーっと」


 疾風は名前を思い出そうと、目を宙に向ける。

 するとその女子生徒はクスッと笑って自分の名札を疾風に見せた。


「氷室アリスです。先生、いつになったら名前を憶えてくださるんですか」


 女子生徒は可愛らしく笑いながら「しょうがないんですから」と言っている辺り、疾風は苦手をまだ克服できないらしい。


「あはは、ごめんねぇ。自分のクラスの子は名前を覚えられたんだけど、それ以外の子はどうも覚えられなくて」


 そう、疾風の苦手なこととは人の名前を覚えること。

 基本的に人間というものにあまり興味がない人種の為、身近な人以外は基本的に彼の頭から忘れ去れる傾向にある。

 なるほど、氷室という名前を聞いたことが無かったけど、どうやら上の組の子らしい。


「顔は覚えているんだけどねぇ。それで、何か用事なのかな?」


「いえ、ちょうど先生とすれ違うところだったので、こうして挨拶をしていないとまた名前を忘れられると思いまして」


 そんな失礼な疾風に怒る素振りも見せず、氷室さんと言う名の少女は微笑みを浮かべながら、その青水晶のような瞳を俺に向けてきた。


「すみません、二人ともお仕事中に」


「いや、気にしなくていーよ」


 俺にも気を遣ってくれる辺り律儀な子だなと思うが、そんな彼女に一拍遅れて「ごめんねぇ」とのびのびした様子で疾風は答えている。

ここまでしてくれているんだから、もっと名前を覚える努力しろよこのおたんこナスと思ったけれど、彼女もそこまで気にしている訳でもなさそうなので、二人の会話が終わるまで、俺は黙って疾風の後ろで待つことにした。


 ◇


「それでさ――」


 氷室さんとの会話もそこそこに、とりあえず資料準備室に荷物を運び終えた俺と疾風は、その部屋に備え付けられた小汚い椅子に座って愚痴の続きとしゃれこんだ。


「まぁ、深海君は良くも悪くも上昇志向の塊みたいな子ですからねぇ。でも伊砂さんなら大丈夫でしょ」


「まぁ、な」


 結局話の重点は愚痴りたかっただけというところだし、何かを解決してもらうために疾風に相談を持ち掛けた訳じゃない。


「ただ行き過ぎて暴走をすることは危惧しているので、注視はしておくつもりですよ。ターゲットが伊砂さんだから今は大丈夫だと思えていますが、他の子に矢印が向けられたらと思うと放っては置けないですからねぇ」


「ま、でもそのくらいで潰れるような奴ならそもそも自在創術士には向いてないだろ。自在創術士は死と隣り合わせの危険な仕事だ。精神もタフじゃなきゃな」


「厳しいですけど、それはそれで正論ですよねぇ」


 コンコンコン。

 俺と疾風の会話がひと段落したところで、資料準備室の扉を誰かがノックする。

 疾風が返事をすると、一拍置いて扉が横にスライドした。


「七種さん?」


 彼女が何かを言う前に、俺の口から目の前に立っている女子生徒の名前が零れる。


「今、ちょっと時間あるかな? 伊砂君」


 いつも明るい七種さんの表情に深い陰りが見えたので、俺は「分かった」と短く返事をして、疾風への愚痴を速攻で切り上げた。


 ◇


 俺と七種さんは、場所を俺の部屋に移す。

 誰にも聞かれたくない相談があると言うことで、まぁ俺の部屋が妥当と言うことになった。


「んで、何の相談だ?」


 5月に入ったものの、夕方にもなるとまだ肌寒い。

 俺は前と同じように温かいココアを七種さんに渡した。


「私、相談したいって言ってないのに、よく相談だって分かったね」


 ココアに口を付けながら、小さい声で彼女はそう呟く。

 確かにここに来るまでずっと彼女は無言だった。正確に言えば、こちらから話題を振っても「うん」と返事をするばかりで、心ここにあらずの状態だったので、実際には彼女から相談したいと言われた訳ではない。


「そんな顔されて時間作ってくれって言われればさすがにな」


 俺も俺で自分用のココアに口をつけ、彼女の次の言葉を待った。


「最近、みんなでの魔洞の活動がより過酷になったの」


「というと?」


 以前水南さんから聞いたのは、無理をしないことを条件に全員での活動に参加するというものだったはずだ。

 んで、活動開始後すぐに七種さんにどんなことをしているのか聞いてみたところ、上の階層でスライムやゴブリンなどを狩っている程度だから全然平気と言っていたはずなのだけど――。


「組内ランキングが張り出された翌日くらいからかな。深海君がこのままじゃダメだから今後は中層まで足を伸ばすって独断で決めちゃって」


「あー」


 恐らく月末時点での組内ランキングのせいだろうなと思う。

 度重なるうざ絡みは深海の舎弟から受けているものの、俺が意に介していないことで深海が焦っているのだろうか。

 別に5位以内であれば5組へのチャレンジ切符は手に入る訳で、そこまで1位に固執する必要はないと俺は思うんだけどな。


「中層ねぇ。深海や水南さんくらいなら大丈夫なんだろうけど、それ以外のメンツだと結構きついんじゃないか?」


 俺がそう問いかけると、七種さんはコクリと頷く。


「ご存じのとおり私も下の方だから結構きつくて。唯ちゃんが助けてくれているからまだ何とかなっているけど。他の子たちも結構音を上げ始めているんだよ」


 唯ちゃんは水南さんのことだろう。

 水南さんは6組内ではだけどトップランカーだから、中層でも通用する実力を持っていても不思議じゃない。

 ただ、柊さんや七種さんを庇いながらと考えると相当きつい戦いを強いられているだろうなとは思うが。


「ねぇ、伊砂君」


「ん?」


 七種さんはとても複雑そうな顔をしながらココアのカップを両手で包み込み、両手の親指で飲み口をいじる。


「すごくおこがましいし自分勝手な頼みだなって思うんだけど、一緒に魔洞の探索に付き合ってくれないかな」


 懇願するような眼差し。

 助けてあげたいのはやまやまなんだけどな、と俺は両腕を組む。


「深海が許さないだろ。鳳凰天星火だけじゃなくて、あいつは俺も目の敵にしているし」


「そこは――、それとなく姿を消すとかできたりして?」


「んなことできるか。俺を何だと思ってんだよ」


「あはは、そりゃそうだよね……」


 照れ笑いをしながら「やっぱり難しいよね」と、少し落ち込んだ様子でココアに口を付ける。


「ほら、伊砂君って、0点の状態からいきなり2位に浮上したでしょ。無資格とはいってもそれは自在創術士としての力量と比例するわけじゃないし、私、伊砂君ってすごい自在創術士なんじゃないかなって思ったんだ」


「買い被り過ぎだよ」


「そうかなぁ?」


 俺の言葉に疑いの目を向けながら、クスクスと彼女は笑う。


「でもこのままじゃ、危険な魔物が現れた時ヤバいと思うし、打つ手なしなのかなー」


 七種さんは俺のベッドに座りなおし、そのまま後ろに倒れこんだ。

 その衝撃で、彼女の制服のスカートがふわりと舞い上がる。


 ん、ピンク。


「どしたの、伊砂君?」


「別に」


 俺が彼女の事を凝視していたのが分かったのだろうか、彼女は上半身を起こして小首を傾げる。


「なんか怪しいなぁ」


 何かを疑うようにこちらをジト目で伺ってくるので、俺はさも何事もなかったかのように「そんなことねーよ」と答えた。

 うん、上擦ったりしてない。大丈夫。


「伊砂君って何色が好きなの?」


「ピンク」


 俺がそう答えたところで、二人の間に一瞬静寂が生まれた。


「えっち」


 それだけ言うと、七種さんはそう言ってスカートの裾を掴み、ほんのり頬を赤らめてこちらを睨んでくる。

 伊砂天人一生の不覚ですわ、これは。

 何か一瞬寒気のようなものもしたけれど、七種さんのものではないので多分気のせいだろう。


 その後、微妙に機嫌の悪くなった七種さんを何とか宥め、ひとまず俺としても何か策が無いか考えてみると言うことで、七種さんからの相談会は幕を閉じたのだった。

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