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聖女は今日も世界を救わない

作者: 猫虎

 荘厳(そうごん)な教会の中、ステンドグラスごしに差し込む陽光が祭壇を色とりどりに照らしている。

 長椅子に座る信徒たちが静かに祈りを捧げるその先には聖女ーーマリーア・ポン・コッツーがいた。

 彼女の動きに合わせて、純白のローブが揺れる。

 長い金髪は絹のように艷やかで、静かに開いた瞳の青さは澄んだ湖を思わせるーー清楚で神秘的な雰囲気の彼女は、まさに聖女そのものだった。

 

 「みなさまに、神のご加護がありますように。」


 その柔らかく力強い声は鐘の音のごとく響いた。

 信徒たちが頭を垂れ、彼女が慈愛の微笑みとともにその頭に手をかざす。

 聖なる光が、信徒たちの心を温かさで満たした。

 

 「神はいつもあなたがたを見守っておられます。」

 「ありがとうございます、聖女様!」


 礼拝が終わり、信徒たちがひとり、またひとりと教会を出ていく。

 最後の1人を見送ると、聖女は桜色の可憐な唇から……


 「はぁーーーー 疲れたーーっ! 表情筋が死んじゃうーーーー」


 と、深いため息をつき、疲れきった表情でだらしなく祭壇に伏せた。

 教会内を満たしていた神聖な雰囲気が一瞬で消えていく。

 「もー無理。 なんで礼拝ってこんなに長いのよぉぉー」とまるで子どものように駄々をこね続ける聖女。

 

 「今日もお疲れ様でした、マリーア様」


 ガチャリ、と奥の扉から現れた人物が聖女に声をかける。

 少し長い黒髪と下がり気味の目尻が特徴的な、中性的な美貌の青年だ。

 16、7歳くらいだろうか、真面目な顔つきからは責任感の強さが見てとれる。


 「大丈夫ですか?」

 「大丈夫じゃないよリク、もうなんにもしたくない。 やる気ゼロ」

 

 心配そうに尋ねるリクに、するどく目を細めて応える。

 そして唐突に、「あのさ、今日の礼拝に来たイケメン……どっちが受けでどっちが攻めだと思う?」と尋ねた。

 リクは一瞬驚き、しかしすぐに真っ赤な顔で、


「えっ、ちょっ、何を言ってるんですか! ここは神聖な教会ですよ!?」


 と声を荒げた。


「だってヒビーっときたんだもん。 私の聖女レーダーにこう、ビビーっとね」

  

 悪びれる様子もなく、祭壇に頬杖をついてニヤリと笑う。

 リクはため息をつきながら、首を横にふった。


 「まったくあなたは本当にもう……信徒たちが聞いたらどう思うんでしょうかね」

 「んもー、わかってますよって。 それにしても朝からずーっと讃美歌うたったりお説教したりで疲れたわぁ……仕事の後のお酒は最高に美味しいだろうなー」

 

 マリーアは肩をすくめ、上目遣いでリクの様子をうかがう。

 

「ダメです! まだお昼ですよ!? もう少し生活習慣を整えましょうよ……」


 真剣な表情で呆れたように返すのは、マリーアの想定内だ。

 いつも通りの言葉にくすりと笑った。


 「はぁーい。 じゃあ、お腹空いたからお昼ごはん作ってくれる? あと、教会の掃除も手伝って欲しいなー」


 リクは苦笑しながら、「結局、全部僕任せなんですから」とまんざらでもなさそうに答えた。

 教会の窓から差し込む光が2人の姿を包み込む。

 その風景は平和そのもの。

 

 だから、聖女は今日も世界を救わない。



 ☆  



 教会と隣接する一軒家、そのキッチンで、リクは昼食の準備をしていた。

 鍋の中では野菜と肉がグツグツと煮え、ハーブのいい香りが漂っている。

 

 「リク、お腹すいたぁー」


 マリーアはキッチンカウンターに顎を乗せ、信徒から「サファイアのようだ」と称えられる瞳を潤ませた。


「今日はマリーア様の大好きなお肉たっぷりのシチューですよ」

 

 リクは慣れた手つきで鍋を混ぜながら答える。


 「やった! リクの料理、どれも好きだけど、シチューは格別なんだよねぇ」

 「ありがとうございます。 でも、マリーア様。 少しはお手伝いしてくれてもいいんですよ?」

 「えー、私が料理苦手なの知ってるでしょ? 私が料理なんて、そんなの素材への冒涜だって。 神がお許しになりません。 ほら、応援はしてるよ!」


 そう言って親指を立てて見せるマリーアに、リクは苦笑する。


 「それは至極光栄です、聖女様」

 

 マリーアのポンコツぶりにいつも振り回されている彼は、しかし、そうして彼女に必要とされることに喜びを感じていた。

 その笑顔を見ると、押し付けられた面倒事なんてどうでも良くなってしまうのだ。

 (これがなんとかの弱みなのだろうか……)


 「もうそろそろいいんじゃない? 早く食べようよー」

 「あ、はい、そうですね」


 焦れたマリーアをなだめながら、リクは手早くテーブルを整える。


 「美味しそ〜っ! リク、いつもありがとね」

 「はいはい。 マリーア様が手伝ってくれたらもっと早く食べられたんですけど」

 「えへへ、ごめーん。 ん〜〜美味しいが過ぎるよこのシチュー!」

 「ちょっ、食前のお祈りがまだじゃないですか! はぁ、本当に仕方のない聖女様ですね……」


 そう言いつつ、幸せそうに頬張りはじめたマリーアの姿に、(ほら、やっぱりだ) とリクは心のなかでひとりごちた。


 ドオオオオォォォォンン!!!!


 その時、突然轟音が響き、地面が揺れた。


 「も、もしかして……」

 「んもぉーーーーっ!! 今日はもう疲れてるっていうのに……チッ!」


 慌てるリクとは対照的に、マリーアは落ち着いた様子……どころか、ひどく面倒くさそうに舌打ちをした。

 そして平素にない真剣な表情でリクに、


 「絶対に外に出ないでね。 いつも通り、私がなんとかするから。 絶対、絶対絶対ぜーーーーったい出てはいけません。 わかった?」

 

 と、何度も念を押した。

 「ですが……」とリクは心配そうに言いかけるが、決意を宿した瞳に言葉を飲み込み、素直にうなづく。

 その反応に満足したマリーアは、「じゃあ、ちょっと行ってくるね!」 と、聖女らしからぬ足技で扉を蹴り開けた。

 

 (ーーやっぱりコイツかぁ)


 教会の前に、長身の男が立っていた。

 全身を覆う漆黒の鎧、燃え盛るような紅い瞳。

 曲がりくねった角の先端は紅く、背中からは巨大な黒い翼が広がっている。

 その口元には冷たい笑みが浮かんでおり、青白い肌はまるで人形のように無機質だった。

 魔王、グレゴール。

 この世界にとっても、マリーアにとっても厄介極まりない存在だ。


 「聖女マリーア、小癪な神の犬よ。 今日こそ貴様を始末してやる……!」


 地を響くような声。

 魔王が一歩踏み出すごとに地面はひび割れ、周囲の植物が枯れていく。

 絶望を抱かせるほどの威圧感に村人たちは逃げ惑い、ある者は祈り、ある者は泣き叫んだ。


 「あら、ごきげんよう魔王様。 今日はまたずいぶんと荒々しいですね。 こんなお昼時に……魔族にはマナーというものがないのでしょうか?」


 そんな状況で、マリーアはいたって冷静だった。

 恐怖どころか余裕さえ感じさせる態度。

 魔王は忌々しそうに巨大な剣を振り下ろした。

 風が唸り、地面を切り裂きながら黒い閃光がマリーアを襲う。

 

 「マリーア様っ!!」

 「リク!?」

 

 飛び出した影は、リクだった。

 攻撃が目前に迫り、風に煽られた(つぶて)がリクの肌に赤い筋をつけていく。

 マリーアの脳裏に、虚ろな目で血溜まりに倒れる男の姿が浮かぶ。


 「……ダメっ!!」


 激しい光と轟音、灰色の煙が霧のように辺りを覆った。

 

 「そんなバカな……!」 


 魔王が、信じられないといった表情で後退る。

 マリーアたちには傷一つなかった。

 2人を守るように透明なドーム状のバリアが淡い光を放ち、攻撃を完璧に受け止めている。

 いや、光は次第に強くなり、逆に闇のエネルギーを吸収していた。

 

 「いつもいつもご飯時にやってきて、ほんっとうに迷惑な方ですね」

 「クソっ……この攻撃が人間風情に防がれるなど!」

 「そんなことより、よくもリクに傷をつけてくれやがりましたね」

 「い、いえ、マリーア様、僕は無事で……」

 「喰らいなさいっ」


 すぅーっと息を吸い込んだマリーアは、一瞬で魔王の前に移動し、その手を振り上げた。


 「聖女ぱーーーーんち!!!」


 聖なる光を纏ったマリーアのパンチが魔王に向かって放たれる。

 その一撃は雷のように速く、そして重かった。

 魔王の体は空中で一瞬止まり、次の瞬間には遥か彼方へと吹き飛ばされていた。

 リクはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、


 「す、すごい……。 やっぱり聖女様は最強ですね……」


 と、感嘆の声を漏らした。

 感嘆された本人は喜ぶでもなく、むしろ鋭い目つきでリクを睨みつける。

 

 「言ったよね? 出てはいけませんって! リクは弱々弱々の弱なんだから、あんな危ないこと二度としないで。 二度と、しないで、くださいねっ!! 」


 ものすごい形相でまくしたてられ、リクは冷や汗をかきながら何度も首を縦に振った。

 マリーアは彼が戦うのを良しとしない。

 それも当然だ、とリクは思う。

 教会に身を置いてはいるが、神の祝福は使えないし、剣の腕も頼りない。

 この通り、魔王をワンパンチで撃退してしまえるマリーアにとって自分はお荷物以外の何物でもないだろう、と。

 

 「あーーもうっ! ごはんの途中だってのに……ごほん、食事の途中でしたのに。 懲りない方ですね、魔王も」 


 聖女の仮面を被り直したマリーアが、わざとらしい仕草で頬に手を当て、子供のいたずらを嘆く母親のように眉毛を下げて言った。

 「さすがは聖女様だ……!」「美しいだけじゃない、あの強さ……あの方は女神か!?」と称賛する村人に、「すべては神のお導きです」などと、先ほどが嘘のようにしおらしく対応している。

 隣のリクは、少し落ち込んでいた。

 (僕は余計なことをしてしまったのかもしれない……)

 けれど、大切な人が傷付けられるかもしれない状況で、黙って見ていられる人間なんているだろうか。

 (ただの風除け程度にしかならないとしても、何度だって自分は……)

 そこまで考えて、リクはずっと思っていた疑問を口にした。


 「マリーア様、いつもこんな感じで魔王を撃退してますが……完全に消滅させて、世界を救わなくていいんですか?」


 一瞬だけマリーアの表情がこわばる。

 しかし、すぐに微笑みに張り替えると、リクの耳元でこっそり、


 「だって、面倒くさいんだもん」


 至極お茶目にささやいた。

 


 そして、今日も聖女は世界を救わない。



 ☆



 夕暮れが近付き、村はすっかりいつもの静けさを取り戻していた。

 教会の前庭ではリクが散らばった瓦礫や土埃をほうきで片付けている。

 

 「ふぅ、こんなものかな」


 リクはほうきを壁に立てかけ、息をついた。

 まったく同じタイミングで、教会の扉が開く。

 

 「リクーなにか手伝おうかーってあれ、もう片付いちゃったかー」

 「わざとらしいですよ、マリーア様」

 「てへ」


 マリーアは「ごめんね」と口だけで謝ると、リクの横に並び、こてん、とその肩に頭を預けた。

 

 「なっ……! ダメですよ、こんな所で……!!」


 なにがどうダメなのか分からないが、リクは真っ赤になって慌てふためきーーマリーアの様子がいつもと少し違うことに気が付いた。


 「なにか心配事でもあるんですか?」

 「うーん、ちょっと今日は……神様がうるさいんだよねぇ」

 「神とお話されていたのですか?」

 「まぁね、ほら、なんたって聖女さまだからさー」


 この国において聖女とは、神の意志を聞く者、と謂われていた。

 聞くと言っても生者と会話するようなはっきりしたものでなく、夢にあらわれて神託をくだす、程度のものがほとんどだ。

 だがマリーアは違った。

 まるでそこに神がいるかのように声を聞くことが出来る。

 おかげで食事中だろうが夢の中だろうが構わず話しかけられているのだが、今日はいつにも増してしつこいようだった。

 (それもこれもあの粘着ストーカー野郎(まおう)のせいだわ……次来たら湖畔に沈めてしばらく浮いてこれないようにしてやる……!)

 なんて、とても聖女らしくないことをマリーアが思っていると、


 「マリーア様は神といつもどんなことをお話しているんですか?」

 

 傍らのリクが不思議そうに聞いた。

 マリーアは少し考えて、答える。

 

 「えーっとね、新しい司祭様の愚痴とか、最近献金しぶくない?とか」

 「そんな井戸端会議みたいな話をしてるんですか!?」 

 「いやぁ、そんなもんだよ。 仲間とともに世界を救えーみたいな壮大な話してると思ってた? んもぉ、まだまだ夢見がちだなぁーリクくんは」

 「そ、そんなこと思っていませんよ! 僕は花壇の手入れに行きますのでっ」

 

 頬を突付かれたリクは、可愛らしく怒りながら裏庭に逃げてしまった。

 マリーアはニヤニヤしながらその後ろ姿を見送り……眉をひそめた。

 (ほんとに今日はうるさいなぁ)

 リクにはああ言ったが、近ごろ神がマリーアに言う言葉は、決まってこうだ。

 

 ーー勇者を連れ、魔王を討ち滅ぼせ。


 神の神託とは、勇者パーティの選定だった。

 マリーアは無敵の強さを持つが、魔王を消滅させることは出来ない。

 それが出来るのは、勇者にのみ与えられた権能だった。

 彼女の役目は、神に告げられた名の者ーー賢者、戦士、そして勇者となるべき者を探し出すこと。

 どこどこの何々さん、と親切に地名とフルネームをセットで教えてくれるので、探し出すのはそう難しいことではない。

 実際、彼、彼女らがどこにいるのかをマリーアは把握済だ。

 しかし、彼女にそれを果たす気はなかった。


 「そんなにしつこく言われてもお断りです。 勇者なんかいなくてもなんとかなってるじゃないですか」


 今のところ、この村どころか国……いや、世界にだって大きな被害は出ていなかった。

 なぜなら、この村以外の世界中に聖女の結界が張られているからだ。

 マリーアがどれだけ強くとも一度に世界中を守り切ることは難しい。

 なら、一箇所だけ結界を張らない場所を作り、そこに魔王をおびき出してはどうか、と立案したのはリクだった。

 作戦は今のところ上々だ。

 結界をどうにかしたい魔王や魔族が度々マリーアを襲撃しに来るものの、大抵はワンパンチで追い返されている。

 (今のところ、だけど)

 これが単なる一時しのぎでしかないことをマリーアも神もわかっていた。

 だから、魔王の襲撃後は一段と声がうるさくなるのだ。 

 神託に従い、勇者たちを連れて魔王を討伐しなければ世界の危機は終わらない。

 


 だがしかし、聖女は今日も世界を救わない。


 ☆


 はじめて神の声を聞いた時、マリーアは8歳だった。

 あれよあれよという間に聖女と祀り上げられ、少女は信奉と不自由を手に入れた。

 友達と遊ぶことを禁止され、聖典の暗唱、讃美歌の練習、あとは祈って、祈って、とにかく祈る毎日。


 「やってられっかーー!!」


 ストレスに耐えかねたマリーアは教会を囲む石壁を破壊して脱走しようと考えていたのだが、計画実行のその日、黒髪の少年が司祭に連れられて礼拝にやってきた。

 4つ下だというその少年は女の子のように可憐で、か弱くて、天涯孤独という身の上と相まって、マリーアの庇護欲を刺激した。

 

 「あの子を私の従者にしてください! ……え? あー……いえ、はい、そうですそうです、神のお告げです。 あの子はちょー優秀になるので絶対従者にするように、と神は言っておられます」


 マリーアは半ば強引にその少年を自身のそばにおいた。


 「リクともうします、せーじょ様」

 「私のことはマリーアと呼んでください」

 「はい、マリーアさま!」


 子犬のようにキラキラした目で自分の後をついて回るリクは、すぐにマリーアの宝物になった。

 なんの後ろ盾もなく従者に抜擢(ばってき)されたリクへの嫉妬や批判から守るため、面倒だった讃美歌に退屈だったお祈り、行儀作法だって身につけた。

 マリーアが聖女らしくなればなるほど、リクに対する周囲の態度も良くなっていく。

 そして同時に、マリーアの生活能力は下がっていった。


 「おはようございます、マリーア様! 今日は大司教様とお食事の予定ですよ。 お召し物をこちらに用意しておきました。 髪は……あ、はい、おまかせですね。 え? あぁ、洗濯と掃除ならやっておきました!」


 「おかえりなさい、マリーア様! 今日もお疲れ様でした。 お風呂の用意、出来てますよ。 タオルはこっち、寝巻きはこっちです。 ……お部屋ですか? 差し出がましいかと思ったのですが片付けを……そうですか、良かったです! ついでに図書館の本も返しておきました」


 「あ、マリーア様、それは僕がやっておきますよ。 礼拝でお疲れでしょう? マリーア様は休んでいてください」


「マリーア様。 最近信徒の間で、聖女様は全身に酒を浴びることで御見を清めている、という噂が流れているのですが……まさか二日酔いで礼拝に出たりしてないですよね?」


 気がつけばマリーアは、自分の靴下がどこにしまってあるのかさえ気にしなくなっていた。

 (もうリクがいないと生きていけない気がする……!)

 リクにはダメ人間製造機の才能があったようだ。

 

 そしてあっという間に10年が過ぎたある日、唐突に神は言った。


 「勇者を連れ、魔王を討ち滅ぼせ」


 数百年前の勇者によって倒されたという魔王が新たに誕生し、世界各地で魔物の動きが活発化し始めた頃だった。

 それ自体は何も驚くことはない。

 ずっと、やれ教会がボロいだの、やれ彫刻の表情が気に食わないだの、どうでもいいことばかり話しかけていた神が、やっとそれらしいことを言ったな、とマリーアは思った。

 それに、魔王が一定周期で復活することはあらかじめ分かっていたことだ。

 そんなことより驚いたのは、神によって選定された勇者の名前だった。


 「勇者となるべき者はお前のすぐそばにいる。 孤児ゆえ苗字は持たないが、名を【リク】という」


 (リク)

 (リク?)

 マリーアのそばにいるリクは、1人しかいない。

 可愛くて、世話焼きで、たまに口うるさい、マリーアの宝物だけだ。

 (リクが勇者? ……ありえない)

 あのリクに魔王が倒せるなんて到底思えなかった。

 「絶対人違いですよ」「リックとかノックとかの間違いでは?」などと何度も食い下がるマリーアに、神は短い映像を見せた。

 黒いモヤの中に不鮮明な映像が浮かび上がる。


 漆黒の甲冑を纏った長身の男ーー頭部に生えた角から、彼が魔族だと分かるーーと剣を打ち合っている黒髪の青年に、マリーアは見覚えがあった。

 今よりずっと大人っぽく、体格もまるで違うが、それは間違いなくリクだった。

 剣が交わる度に、激しい閃光が走る。

 魔王の背後から戦士らしき男が飛び出し、

その大きな剣を振り下ろす。

 体勢を崩した魔王の顔面にすかさずパンチを叩き込んだのはリクーーではなく、白いローブの女だ。

 青い火花を散らしながら魔王が吹き飛ぶ。

 彼女のパンチは確実にダメージを与えているが、それでも魔王は起き上がった。

 その時、賢者らしき女が何かを叫び、手にした杖を振りかざした。

 魔王の足元に強い光を放つ文様が浮かびる。

 駆け出したリクは、一瞬だけ白いローブの女を振り向いて困ったように笑った。

 そして。


 戦士の剣が、リクの体ごと魔王を貫いた。


 (リク……! どうしてこんな……)


 魔王が絶叫し、リクごと地面に倒れ込む。

 血溜まりの中に崩れ落ちたリクは、ピクリとも動かない。

 ゆっくりと、深い黄金色の瞳から光が失われていくーー

 

 映像はそこで終わった。

 マリーアの心に、恐怖と不安が満ちていった。

 自分でもはっきり聞こえるほど心臓が大きく鼓動し、息が詰まったように苦しくなる。

 なんとか冷静を保とうと、こわばった体を震える手で抱きしめた。

 青ざめた表情のマリーアに、神が言う。


 「これは数ある選択肢の中で最も犠牲のすくない未来だ。 魔王と勇者は表裏一体の存在。 ゆえに、魔王は勇者の死でのみ消滅させうる。 勇者リクは己の命を持って見事その役目を全うするだろう」


 (これが最も犠牲の少ない未来?)

 その一言で、マリーアの中の何かが壊れた。

 怒りに震える拳を握りしめ、できる限り冷静に……

 冷静に……

 


 「えーっと、神よ。 申し訳ありませんが、これはちょっと解釈違いかなーと。 こんな未来、認められるはずがないじゃないですか? 最も少ない犠牲? 少ないからなんですか。 そんなの……リクが犠牲になるくらいなら世界なんて救いません。 私、お役目放棄するんでっ!!」

 「……え? え、えぇ!?」


 神がはげしく動揺している。


 「いや、お前は聖女じゃ……」

 「あーあーあーあー聞こえませーん」 

 「なっ。 ……聖女よ、その選択がどれほど重いものか、理解しているのか? って……ねぇ、ちょっと。 無視はやめて!」

 

 あーでもないこーでもないと脳内で騒ぐ全く威厳のない声を無視して、マリーアは考える。

 勇者がいなければ、世界は救われない。

 世界が救われれば、勇者は死んでしまう。

 ということは、

 (世界を救わなければ、勇者は死なない!)

 マリーアが黒いモヤに手を伸ばすと、映し出されていた未来のリクは霧散するように消えていった。

 (私は勇者に世界を救わせない。 私は世界をーーーー)




 コンコン、というノックの音でマリーアは目を覚ました。

 窓から差し込む夕陽が、部屋を橙色に染めている。

 マリーアは何度か瞬きを繰り返し、大きく伸びをした。

 コンコン、と再びノック音が響く。


 「マリーア様、大丈夫ですか?」

 

 いつもと変わらないリクの声に、マリーアは安堵した。

 

 「どうぞー ちょっと寝ちゃってたみたい」

 「そうでしたか、起こしてしまってすみま……え、いや、なんでこんなに散らかってるんですか? 昨日片付けましたよね、僕……!」

 「てへ」

 「またそうやって……出したらしまう、何度も言ってるじゃないですか……」


 リクは、はーい、と適当に返事を返すマリーアに小言を言いながら部屋をテキパキ片付けていく。

 その顔は、やはり、まんざらでもなさそうだった。

 

 「やっぱりリクはそうしてるのが1番似合うよねー」

 「はい……って急にどうしたんですか?」


 リクは少し驚いた様子でマリーアの顔を見る。

 

 「いやぁ、出来ればずっと、こうしていたいなぁーと思ってさ」

 「それはつまり、僕は一生マリーア様のお世話をし続けるってことですか?」

 「嫌なの? 一生私のためにシチュー作り続けてくれないの?」

 「え……えぇっ!? い、いえ、僕は……」

 (待て、今のはそうゆう……いやいや、マリーア様だし、ないない。 ただ(らく)したいだけに違いない……ですよね?)


 赤くなって動揺したり、目を見開いたり、笑顔になったり、表情がクルクル変わるリクを眺めながら、マリーアは自然と笑顔になっていた。

 (たとえ世界がどうなろうと、私は絶対リクを死なせない)

 彼女はそのために、あらゆる手を尽くすだろう。

 

 「なんか寝たらお腹空いちゃったなー。 リクー、今日の夕飯なぁに?」


 

 そして聖女は、今日も世界を救わない。

 

 


 

 

  






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