二話 敗北
この世界には、いろいろな生き物がいる。森の植物たち、野に生きる獣、村や街を造る人間、人間とは似て非なる堕天族。時に対立しながらも、多くの生き物は持ちつ持たれつで、共に生きている。
だが、その枠に収まらないモノたちもいる。魔物と呼ばれる生物だ。彼らは、生きとし生けるもの、全ての敵だ。
「リェムはどうしてやり返さないの?」
僕は幼馴染のユアの手当てを受けていた。今日もバカども、もとい若者の集団に絡まれ、数発殴られてしまった。
「僕はこの村じゃよそ者だ。下手に反撃すれば揉め事が増えるだけ。それに、お前やアメロのおっさんにまで飛び火しちゃ、困るからな」
ユアは僕を拾ったおっさんの娘だ。おっさんは暴力的で人使いが荒いろくでなしだが、この子はどういうわけか真っ直ぐに育っている。早死したとかで会ったことは無いが、きっと母親似なのだろう。
「それに、僕だってただやられてるわけじゃねえ。余計な心配すんな」
「無理しないでね。リェムが本当は強いの知ってるけど、でも痛いのは痛いでしょ?」
「おーい、リェム!飯持ってこーい!」
2階からおっさんの声が降ってくる。
「病人を待たせんな!5分で持ってこい!」
「父さん、無茶言わないの!」
半年前から、おっさんはあまり体調が良くない。町の医者にも診てもらったが、原因はわからない。
(多分もう、長くないな)
僕は人間の死をなんとなく感じ取ることができる。きっと、多くの人間の死を見てきたからだ。
おっさんが死んだらどうしようか、と僕は考える。ユアは厄介者の僕やおっさんとは違って、みんなからある程度好かれている。この村で生きていくには問題ないはずだ。
僕はといえば、後ろ盾を失って、今度こそ村にいられなくなるだろう。この村には思い入れなどカケラもないから、別に構わない。腕っ節はそれなりにある方だ。兵隊にでも入れば、飯に困ることはないだろう。
おっさんの世話をしたり、村の雑用をやって日銭を稼いだり。そんなふうに、ただ繰り返されるだけだったはずの日々。
終わりは突然に訪れた。
秋のある日。
昼過ぎ、屋敷に来客があった。
「うわ、お前が出迎えかよ、奴隷」
「アンタ自分の奴隷にもその態度なのか?嫌われるぞ」
「口答えするな、賎民風情が」
この村の領主の次男坊だ。コイツはユアにゾッコンで、時々こうして屋敷にやってくる。
正直言って、僕はコイツが嫌いだ。領主の息子で偉いんだろうが、態度に実力が伴ってない。具体的にいうと、簡単な罠にすぐ引っかかるアホだし、腕力も絶望的に弱い。
(とはいえ、いつも差し入れを持ってくるのは感心するけど)
ユアは鈍感だから、コイツの好意にはさっぱり気づいていない。それは同情に値する。
「ユア!お客様だ!」
俺はおっさんの世話で2階にいるユアに声をかける。だが、その時。
(なんだ、これは)
身が凍りつくような寒気が襲ってくる。
僕は階段を一気に飛び越えて2階に躍り出る。
2階にいたのは、森に住む野犬だった。おっさんがユアを庇うようにして、ソレと向き合っている。
(不味い、今のおっさんは戦える状態じゃねえ)
ただの野犬なら、素手でも殺せる。だが、なぜか冷や汗が止まらない。あの犬は、なんというか、目が濁っている。普通じゃない。
「一体何が…!」
後ろから次男坊がやってくる。足手まといが一人増えた。もう、悩んでる時間はない。
「逃げろ!」
僕は床を蹴って野犬に向けて踏み込む。そしてそのまま、その頭に向けて踵を落とす。
骨が砕ける感触がする。やったか、と思った瞬間。狂犬の頭に突き刺さった僕の足が持ち上げられる。
(バカな、生きている訳が…!?)
僕は足を引き抜いて後ろへ飛ぶ。だが、敵は素早く距離を詰めてくる。
恐ろしく速い体当たりだった。胸に激痛
が走る。肋骨が折れたらしい。
痛い。少し、動きが鈍った。鋭い爪がざっくりと僕の胸から腹にかけてを引き裂く。目の前の敵を見る。潰した頭の傷から、紫がかった肉の塊がわずかに顔を覗かせている。
傷の痛みと目の前にいる敵の異様さに圧され、思わず膝をついてしまう。
「化け物め、ユアさんに手を出させるものか!」
ハッとして敵の方を見ると、予想外の光景がそこにあった。次男坊が短剣を怪物へと向けていたのだ。
(無理だ、お前に何ができる!)
僕は立ちあがろうとする。だが、怪物の方が速かった。その牙は、真っ直ぐに勇敢な愚か者の首へと飛んでいった。
だが、その牙は届かなかった。
嘘だろ、と僕は思わず呟いていた。血飛沫が壁を赤く染める。半分首を食いちぎられたおっさんが、その場に倒れ込む。
「お父さん、そんな…!」
「クソったれがああああ!」
僕は怒りに任せて飛び上がり、拳を怪物に向けて振りかぶる。しかし、それは難なくかわされ、再び爪の一撃を食らってしまった。
(しまった、今度はかなり…深…)
痛みと出血で視界が暗くなる。それでも、僕はもう一度攻撃を浴びせようと意地で踏ん張る。
ふと、足元がぐらついたような、そんな気がした。幻覚かと思ったが、そうではなかった。二階の床が抜け、一階に落ちてしまったのだ。
何かに頭をぶつけたらしい。目の前が真っ暗だ。何もできずに、僕の意識はそのまま闇に沈んでいった。
柔らかい感触に包まれている。曖昧な意識の中で、そんな気がした。
「ああ、ついに僕、死んだのか」
これが教団の言う死後の世界というやつか、と思いながら、僕は目を開ける。
「目が覚めたか、奴隷!」
大嫌いな次男坊の顔。思わず唾を吐きかけそうになるが、短剣を手に化け物に啖呵を切ったあの姿が脳裏に浮かび、なんとか思いとどまった。
そうだ、それどころではない。
「ユアは?アメロのおっさんは?どうなったんだ、次男坊!」
「次男坊じゃなくてロネだ!」
「分かったからさっさと教えろ!」
よく見ると、次男坊は歯を食いしばって震えている。僕はその姿を見て、少し平静を取り戻す。
「ユアのお父さんは、お前も知っての通りだ…俺が無力だったから…」
「…そうか」
おっさんのことは正直そんなに好きじゃなかった。自分勝手で、暴力的だった。でも、5年も一緒にいたからだろうか。少し、苦しい、と感じる。
「あの化け犬、あの後村で好き勝手に暴れやがった。なんとか殺せたが、若い奴らが20人ぐらい死んだよ。
体調が悪そうなユアさんを屋敷で寝かせてから、俺は死んだ奴らの埋葬を手伝ったりしてたんだ。そしたら、そしたら…」
嫌な予感がする。
「ユアさんがいなくなってたんだ、それで、村の中をあちこち探したのに、どこにもいないんだよ!」
次男坊の、憔悴しきったセリフ。確かに、あまりいい知らせとはいえない。それより、なぜそんなことになっているのか、僕にはさっぱり分からなかった。
何故だ。ユアは優しい、芯の強い子だ。たとえ父親が目の前で惨い死に方をしても、勝手にいなくなるなどあり得ない。
「ユアがいた部屋を見せてくれ」
「何故だ、奴隷?」
「僕の名前はリェムだ、ロネ。
ユアが勝手に消えるとは思えない。僕はアイツと5年の付き合いだ。何かわかるかも」
「…わかった、どれ、じゃなくてリェム」
次男坊ことロネの案内で、僕は領主の屋敷の中を歩く。寝台の質といい、建物の丈夫さといい、金持ちっていうのは違うな、と感じる。
「僕が倒れてから、何日経った?」
「3日だ」
「すごいな、もう傷が塞がるなんて」
「街で仕入れた最高級の傷薬を使ったからな」
「…代金は払わないからな」
「別に構わない。金には困ってないんでね」
そんな話をしていると、ユアを寝かせていたという寝室に着く。中は荒らされた様子もない。
「誘拐じゃない、か…」
「そう言い切れるのか?」
「アメロのおっさんはユアにも用心棒の技を教えてたんだ。攫われそうになったら、死に物狂いで抵抗する。
部屋が荒れてないってことは、ユアは自分からいなくなったってことだ」
ますます分からない。あり得ないことが起きている。
僕がユアを買い被りすぎているのか。いや、ずっと一緒にいた僕が、彼女のことを見誤るはずがない。だから、だから、何か理由があるはずだ。
(…ああ、なるほど。それなら、あり得るかもしれない)
何度もおっさんと旅した記憶。焚き火を囲んだ夜の数々。その中で聴かせてもらったお話。
(おっさん、アンタの娘は、何が何でも助けてみせる)
僕は亡き育ての親に、心の中でそう告げ、覚悟をする。もし、僕の考えたことが当たっているなら、きっと苛烈な戦いになる…




