表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凝血  作者: 槙島今日子
9/10

芥川 チハキ

 芥川 チハキ(あくたがわ ちはき)の人生には、おおよそ刺激と呼べるものが少なかったように思える。

 これは彼女の周りがつまらなかったとも言えるし、彼女自身が鈍感で刺激を刺激とも思っていなかったとも言える。

 はたまた平和の一言でも片付けられるような、ごく平凡なものだったのかもしれない。

 だけれど、そのことと彼女の人格形成に至る経緯(いきさつ)はまた別の問題で、それも然したる問題ではない。

 それよりも目を付けるべきなのは、マーカーを引くべき部分は、今とこれから、彼女が何を感じるのか。

 何を見て、何を思って、何を考えて、どんな行動をとるのか。

 今を生きている人間の人生を3分割にしたとき、おそらく最も綺麗であろう形は、過去、現在、未来。

 そのどれも繋がっている。

 過去を知って現在があるし、現在を知って未来を作る。

 彼女に言わせてしまえば、そのどれもが今を生きる現在ということらしいけれど、僕は共感し兼ねる。

 一応理解はしたつもりだが、彼女の反応を見るに、まだどこかにすれ違いが生じている気もする。

 参考までに僕の考えとしては、人と人との繋がりをもっと重要視するべきなのだ。

 現在の自分を作っているものが、誰かの過去かもしれないし、現在の自分が誰かの未来を作るかもしれない。

 これを彼女に言ったら、あなたって意外とロマンチストなのね、と笑われてしまったが。

 彼女にとっての人生が、自分自身だけの現在の連続なのだとしたら、それはあまりにも寂しすぎる。

 しかし、それが彼女の手を取った理由では無い。

 彼女のことを憐れんで、手を伸ばしたわけではない。

 そういった慈悲の念は、彼女をますます孤独にする。

 だから僕は、彼女に伝えなくちゃいけないんだ。

 これが、文庫 三歩(ふみくら さんぽ)のやりたいことだよ、と。



 

 辻谷(つじや)書店。

 矍鑠(かくしゃく)たる老夫婦が営み、創業50年を誇る古本屋だ。

 古本屋とは言いながらも、古い図書から新刊まで幅広いジャンルにわたる品揃えは、町の住民からも重宝されるほどの隠れた名店である。

 その穴場とも呼べる書店で運命の再開を果たした。

 普段の冷静な僕ならば、運命という言葉を使うことはないはずだ。

 それでもこの時ばかりは、その言葉しか浮かばなかったのだ。

 無数に存在する可能性のうち、彼女と再会できる可能性がいったいどれほど用意されていたか。

 そんなことは神でもない限り一生知りえないことではあるが、僕は選択の余地が十分すぎるほどには、高い可能性を残していたように思っていた。

 僕の中で運命という言葉のハードルが下がったのは、紛れもなくこの日がきっかけという、ただそれだけの話なのだ。


 僕が彼女の腕を握った数秒後。


「あの、ごめんなさい。多分人違いだと……腕、放してもらえますか」


 そう言われて、自分の熱に気が付く。

 僕の手には相当の握力が込められていた。


「あ、ごめん」


 自分の熱とは裏腹に、彼女からの冷たい反応を全身で感じる。

 僕はとっさに握っていた腕を放した。


 彼女は軽く深呼吸をして。


「私はあなたのことを知りません。出雲山という山のことも知りませんし、一週間前の夜は友人と食卓を囲んでいました」


 あまりにも流暢に、毅然(きぜん)とした態度で否定する彼女。


「いや、そんなはず」


 そんなはずはない。

 その通りだ。

 僕は間違いなくこの目で彼女を見たのだから。

 あれが錯覚や幻覚の類いのものだとしたら僕は、芸術に携わる人が羨ましがるほどの、想像力を持っていることになる。

 残念ではあるが、僕はそこまで自惚れていない。

 そんなものがあったらこんな苦労をしてまで、あんな痛い目にあってまで山なんか登っていない。

 あの夜出会った彼女は、今ここにいる彼女だ。

 会話したのは今日が初めてで、その点は確かめようのないことだけど。

 間違いない。

 身体的特徴が一致している。

 身長は言わずもがな、僕と頭一つ分かそこら。

 肩甲骨まで伸びた黒の長髪は後ろで1本に束ねられている。

 混じり気のない黒の瞳。

 ……別に珍しくもない特徴だけど。

 真正面からあれだけ近づいて見た顔だ。

 間違いない……とは思いたい。

 痛みと疲労で混乱していた可能性は捨てきれない。

 そこは今僕が最も受け入れなくてはならない事実だ。


 確かめよう。

 今ここにいる彼女を含めて、彼女のことを知る必要がある。


「分かった。いきなり掴みかかって申し訳ない。けど、確認に協力してくれないか」


 落ち着きを取り戻し、その上で協力を申し込む。


「この場で、それ以上私に近寄らないなら構わないわよ」


 む、信用されていない。

 でも確かに、いきなり掴むのはまずかったな。

 やっていることはまるっきり不審者じゃないか。

 叫ばれなかっただけありがたい。


「ありがとう。じゃあ早速。君は出雲山(いずもさん)のことを知らないと言ったけれど、山の名称を知らないというだけで、その山に行ったことがあるという可能性はない?食事の日程も実は間違っていたなんてことは?」

「どちらもないわね。私は夜中に外出をしないし、そもそも私がこの町を訪れたのは6日前のことよ。登山の経験だってないわ」


 6日前だって?

 ではやはり別人なのか?


「双子だったり?」

「ひとりっ子よ」


 だめだな……。

 これ以上迷惑はかけられない。

 この子については諦めよう。


 ご迷惑おかけしました、と言ってその場を離れようとした時、店の奥から現れたのは辻谷さんではなく、思いもよらない人物だった。


「ちはー!待たせちゃってごめんね!何かいい本でも……ってあれ、三歩!?なんでこんなとこにいるわけ!?」


 芦村 吉奈(あしむら よしな)、降臨である。


「芦村!また現れたやがったなこの野郎!どこにでもいやがって!」

「野郎じゃないし、人を量産型みたいに言うな!」


 芦村が、ちはと呼ぶ例の彼女を挟み、僕と芦村は挨拶を交わす。


「え、吉奈この人と知り合いなの?」


 彼女は友人を心配したのか、不審者を見るような目でこちらを見てくる。

 いやその目は合ってるけどさぁ。


「うん。同じ学校の友達、文庫 三歩。三歩、この子は私の高校時代の親友で、ちは!」


 自己紹介くらい自分で出来るけど、助かった芦村。

 正直、雰囲気最悪だったからな。

 ここで仲介してくれるのはありがたい。


「どうも」


 芦村の紹介に次いで、ちはが会釈をした。


「うん、よろしくねー……えっと、なんて呼べばいいのかな」


 僕も勢いだけで、ちはなんて呼んだら怒るだろうか。

 こういうところがいい加減なんだ芦村は。


「あまり、自分の名前は好きじゃないけれど、芥川 チハキよ。呼び方は何でもいいわ」

「へー、芥川なんてかっこいい名前じゃないか。どこかの文豪みたいでさ」


 芥川は照れたのか、困ったような表情を見せた。

 

「あちゃー。三歩はデリカシーがないね」


 やっちゃったね、と言わんばかりに芦村が腕を組みながら頷く。

 なんか腹立つな。


「いや、いいのよ吉奈。誰だって同じような反応をするし、もう慣れたわ」


 芥川が芦村の背中に手を合わせてなだめる。


 なんだこの2対1の構図、居心地悪すぎだろ。

 ただでさえ芥川とは気まずいんだから、お前だけは中立でいてくれよ芦村。

 こんな(すが)るようなことして情けないよ僕は!


 ん?待てよ。


「なぁ芦村。この前コンビニで話してた友達が来るっての、もしかして芥川のことか?」

「うん、そうだよ」


 待てよ。

 そういえばこいつ6日前は用事があるって言ってたじゃないか。

 じゃあ僕わざわざ夜に山登る必要なかった…………。

 はぁ。なんかもう一気に疲れたな。

 今更こんなこと言っても仕方ないよな。

 切り替えよう。


 芥川 チハキについて。

 結局のところ、僕は芥川について何も知らないんだよなぁ。

 当たり前かもしれないけど、初対面なわけだし。

 僕の認識では2度目なんだが、まともな会話はこれが初めてなんだ。

 初対面と何ら変わりはない。


「ちょっと芦村、こっちこっち」

 

 人差し指を細かく動かし、芦村をそばに呼びつける。


「一体なにさ」

「お前、明日空いてるか?」

「まぁ夏休みの序盤なんて、暇を持て余していると思うけど」

「それは一般人の場合な。いやでも暇なんだな」

「そう言ってる」

「よし。では学校前のファミレスに来い。聞きたい事がある。時間は13時な。遅れんなよ」

「まぁそれは構わないけど、というか君!5日前はとうとう現れなかったな!山の入口で15分待ったんだが!」


 いや放置しといてなんだけど、もう少し待つべきだったのでは?


「明日は君の奢りね」

「大学生の財布事情舐めてるだろ」

「私はバイトしてるもの」

「あ、そうですか」


 そのタイミングで現れたのは、本命も本命。

 辻谷書店店主。

 辻谷 (つとむ)さんである。


「お待たせ三歩ちゃん。おや、吉奈ちゃんも。さっきはありがとうね」

「いえいえ!私も楽しかったので全然大丈夫ですよ!また手伝いに来ますので」

「それは嬉しいね」


 芦村は持ち前のコミユニケーション能力で辻谷さんと談笑している。

 おいおーい、僕と芥川が可哀想だろー。


 その芥川を横目で見ると、近くにあった本を読み漁っていた。


 僕の心配を返せ。

 というか芦村のやつ、辻谷さんと知り合いだったのか。

 ここはひとつ僕も混ぜてもらうとしよう。


「そうだよ芦村。この店で何をしてたんだ?」

「書庫の整理を手伝っていたんだよ」

「これだけ種類もあってこの広さだと、老人2人じゃ厳しくてね。たまにこうして手伝ってもらってるんだ」


 よしコミユニケーション成功。


「それで三歩ちゃん、聞きたいことって?」

「あぁ辻谷さん、出雲山について何か知ってることはありませんか?山の本とかでもいいんですけど」

「出雲山ってあの火事後の山かい?ふむ、私が子供の時からあの状態だからねぇ。詳しくはないね」

「そうですか」

「どうしてあの山なんかについて調べたいんだい?」


 あの夜のことをなんて説明したら良いか答えあぐねていると、芦村が勝手に話し出した。


「こいつ、学校の課題やってんすよ。その事前調査的な感じで」

「なるほどねぇ」

 

 僕の代わりに説明をありがとう。

 余計な情報がない分、実にスマートな説明です。

 それよりお前は大丈夫なのかよ。

 他人事みたいに言ってるが。


 突っ込もうか迷っている僕に辻谷さんが続けた。

 

「本も最近じゃ見かけないね。探しておくからまた今度来なさい」


 そりゃそうだろう。

 これだけ多くある本の中から僕が欲している情報をピンポイントで引き抜くなんて、神業もいいとこだ。

 本に関しては、今後の進捗に期待しよう。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 その後、店のお婆ちゃんにも挨拶し、芦村と芥川とも別れた。

 芦村はまた大袈裟に、次に会う時は芸術の高みだ、なんて言っていた。

 ファミレスが芸術の高みか?

 何に影響されたんだか。

 芥川は軽く会釈だけして帰って行った。

 会釈してくれただけいいか。


 翌日。

 芦村 吉奈、芥川 チハキ。

 両名ともに、ファミレスにて再会。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ