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凝血  作者: 槙島今日子
5/10

プロローグ-文庫 三歩-④

 眠りにつく数分前。

 文庫 三歩は本を読む。

 ページをめくる音。

 部屋のライトは消す。

 窓とカーテンを開けて、夜風と月明りを感じながら文章を追う。

 本人にとってその行為は、単なる雰囲気作りでしかないものだ。

 だが、習慣化された読書は彼の生活の一部となり、精神や体調は大きな影響下にあった。


 昨日はどこまで読んだっけ。

 確か徴兵された父親の過去が明らかになった所か。


 文庫 三歩が読書中の小説は、歴史に名が残らないほどの小規模な戦争を描いた物語だ。

 戦前、戦時、戦後の三篇に(わた)る内容はフィクションとされているが、登場人物の生々しい心理描写から中々の文豪であることがうかがえた。


 こういった陰鬱な話は、今まで好んで読んだことがなかったけれど、中々面白い。

 戦争が終わるというのは、勝敗が決まること。

 どちらかは得をして、もう一方は損をして。

 痛み分けって場合もあるが、両方が得をすることなんて、戦争においてあり得るのだろうか。

 言っておくが、どちらかの国の一部だけが得をするというのは、そんなものは得とは言わない。

 僕が、認めない。

 例えば、国の上層部は戦場に向かわず、戦争の甘い汁だけを吸う。

 この表現は好きじゃないが、上層に対して下層が存在して、その下層の人たちの命が失われる。

 最悪だ。


 目的と手段の逆転という場合はどうだろうか。

 通常、領土や……人間、賠償金が目的で戦争という手段を用いるが。

 僕自身歴史に強くないからな。

 適当なことしか言えないが。

 つまり目的と手段の逆転とは、人が、戦争を行うこと自体に価値を見い出してしまった場合だ。

 よく戦争があったおかげで、今の技術があるのだという声を耳にする。

 そんなのは欺瞞(ぎまん)だ。

 失われた命に価値はあったのだと。

 決して無意味な死なんかじゃないのだと。

 そう言って、死ななくても良かったはずの人の死を、受け入れられない人が故人に押し付けた価値の後付けだ。

 戦争が起こらないことで得られたものだって、あったはずなんだ。


 だけど、故人を尊ぶ道徳心は持ち合わせているし、故人を蔑ろにしていいはずがない。

 こういう所が嫌なんだ。

 戦争自体も嫌ではあるが、戦争によってもたらされる負の遺産。

 それが人々の心の重しとなっていく。

 そのことが、僕はとてつもなく寂しいのだ。


 だからといって僕がどうこう出来るような問題でもない。

 時間をかければとか、そういう規模でもない。

 実際、この国の()()は平和であるし、しかも僕は戦争未経験者である。

 そんな野郎の言葉が、果たして届くのだろうか。

 育った環境も、触れてきた文化も、培った価値観も、全く異なる外側の言葉が届くのだろうか。

 それとも問題へと取り組む姿勢自体に意味があるのか。

 いや、どうかな。

 それこそ欺瞞だろう。

 自己満足。

 それで終わっては良くない気がする。

 

 この不快感は誰にでも共有できるものではない。

 これを誰かに吐き出してしまえば、大人になれよと言われるだけ。

 あるいは、そういう見方もあるよねと、愛想のこもった笑顔が飛んでくる。

 相手にされないのが怖いのか。

 話を流されるのが嫌なのか。

 理解した気になられるのが(しゃく)なのか。

 虚仮(こけ)にされるのが()まわしいのか。

 見下されるのが苛立つのか。


 僕の中にはどうしようもなく他人を攻撃したくないという、怨念にも似たどろどろとしたものがある。

 その一方で、自分の振りかざすもので敵を(なぶ)りたいという、大志に(まみ)れた一面があることも自覚している。

 振りかざしたものが正義であれ不義であれ、善でなく悪でもない。

 その行為に中身は無い。

 結果の意味するところは、逃避である。


 何からの?


 自分だろ。


 自分が悪いの?


 自分も悪い。


 あとは?何が悪いの?


 世の中。

 相手、環境、皆、時間、先生、規律、空気、文化、方法、運、感覚、思い出、義務感、未来、譲歩、親、問題、血筋、体調、タイミング、時期、気持ち、賭博、倫理、先輩、序列、世代、流行、ノリ、責任、姿勢、資料、デザイン、コンディション、人格、災害、理論、気候、内容、心象、時代、土壌、公式、場所、理想、局面、品質、量、バランス、健常、理念、基本、金、神経、過去、暴力、弱さ、誇示、建付け、約束、砂利、保護、仕様、配分、司会、調査、酒、教育、制度、統制、全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部全全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。全部。

 

 これからよろしくね。三歩君。


 どうも。


 水……水を……。


 ないね。


 何ですか?


 こっちが聞いてるんだ。


 嫌だ。帰りたくない。


 帰れよ。


 あれ、文庫(ふみくら)?すっごい偶然。


 冗談だろ。


 君ね、そういう所からだよ。見直すべきはね。


 …………何様だ。

 頼んでない。余計なお世話だ。鬱陶しい。

 もうやめてくれ。もうたくさんだ。


 


 助けて。




 真夏の昼。

 蝉の声がしない炎天下。

 日差しが肌を突き刺す。

 誰もいない道路に一人、僕は立ち尽くす。

 誰もいない歩道橋。

 誰もいない交差点。

 点滅する信号機。

 横断歩道に人影は無い。

 ただ一人、僕だけが道路の向こう側を見つめていた。

 人の気配も、声もしないのに、向こう側へ行けない疎外感が絡みつく。

 焦燥感すらある。

 信号が赤へと変わる。

 早く渡らなければならない。

 車は飛び出してこないだろうか。

 来るはずがないよ。

 僕以外誰もいないし、例えいたとしても僕を()く覚悟なんてないよね。

 黒い画面に映る赤い人を(にら)みつける。


 赤だよ。トマレだよ。渡っちゃダメなことくらい、今どきの子供でも知ってるよ。


 違うよ赤い人。今どきの子供は渡っちゃダメなことを、知っていながら渡るんだ。


 それじゃあ、君は子供かい?


 …………大人ではないよ。


 子供かい?


 大人では……。


 [信号が青に変わりました]

 

 渡ってどうぞ。


 ……。


 渡って!渡って!


 青い人は明るい音調で横断を促す。


 今じゃない。


 渡ってよ。


 渡らないよ、今はまだね。


 渡らないのなら、そこのソファに腰でも掛けて待っていればいいよ。


 うん。そうだね。


 ソファに腰を下ろした。


 ご一緒にお飲み物はいかがですか?


 何があるの?


 これしかないよ。


 そういって青い人は、ワイングラスに注がれた一杯の赤いものを差し出した。

 ガワだけ見れば紛れもなく赤ワインである。


 これは飲めないよ。コーラはないの?


 これしかないよ。


 …………まだ未成年だ。


 安心しなよ。お酒じゃあないから。


 余計に飲めないよ。


 怖いの?


 せめて、これが何なのか教えてよ。


 嫌なの?


 嫌だね。得体の知れないものなんか飲みたくない。


 癪なんだ。忌まわしいんだ。


 青い人が見透かした目で、笑った気がした。

 目なんかあるはずもないのに。

 黒い画面を、ただ睨む。


 ところで君は。


 青い人が問いかける。


 どうしてそんなに苛立っているの?


「え?」


 カーテンを貫通する日差しと、窓の隙間から入り込む風が僕の神経を刺激する。


「朝か。いやもう昼じゃん」


 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 時計を確認して布団から起き上がる。

 面談には間に合わないな。

 ごめんね先生。

 今度何か奢ります。


「うーん。何故だか、無性にコーラが飲みたい」


 服を着替えてコンビニへと向かった。

時系列ではプロローグ‐文庫 三歩‐①の前に当たります。

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