プロローグ-文庫 三歩-③
それじゃあ明後日、大学の噴水前にて貴様を待つ。
芦村 吉名はそう言い残して、誰もいないはずのコンビニへと消えていった。
コンビニバイトにも全力なのだ。あいつは。
待つと言った以上、彼女は待ち続ける。多分。
それは雨が降ろうと雪が降ろうと揺るがない。
方法があるとすれば、僕以上に彼女の興味を掻き立てるような何かを、彼女自身で見つけること。しかない。
自分の提案を自分で否定するが、それは無理だろう。
一度その好奇心に火が付けば、消すのは不可能。
諦める他ない。
だから、奴をつれていくのか?
ご生憎、僕も中々頑固でね。
一人で出雲山へ行くことは確定している。
絶対に。
そうしたら自ずと僕の脳は、1つの解をたたき出した。
「出発は今夜だな」
リュックサック?レイヤリング?
そんなものは知らん。
根性だ。
そしてパワーだ。
考えてみれば僕は決して登山をするために出雲山を目指す訳じゃない。
芸術とは世界。
文庫 三歩とは世界を切り開く一人の思想家の名だ。
僕はある種の世界を目指すのだ。
「だから悪いな芦村。申し訳ない。お前にはお前の思想があろうが。
僕ではお前を止められない。だからと言って、僕を止められると思うなよ」
「あのお兄ちゃんなんでジャングルジムに登って一人で喋ってんだろ」
「しらなーい」
「きょーみなーい」
遠くの砂場で少年少女がこちらを見ている気がするけれど気にしない。
あの子らにも同じ時が訪れよう。
そんな時、信じられるのは自分だけだぞお。
にこりと。文庫 三歩は砂場の少年少女に微笑みかける。
「かえろっか」
「うん」
「うん」
文庫 散歩は考える。
とはいえ、最低限の安全策は必要だ。
夏とはいえ山の夜。
相当冷えるかもしれないし、装いには細心の注意を払うとしよう。
人が入れるように整備されていない場合は、最悪遭難なんてことも有り得る。
二三日分の携帯食も必要だな。
他には、懐中電灯…いや、スマホでいいか。
とりあえずこんなもので大丈夫だよな。
大丈夫だよな?
大丈夫か。
なんとかなるだろ。
パワーパワー。
「よし帰ろ」
考えをまとめながら公園を後にする。
大学の講義開始日が九月十日だから、期間で言うと一か月と半月くらいか。
そうなると重要なのは作品の規模。
先生は任せると言っていたが……。
こういうのは規模が大きければいいという話でもない気がする。
それで完成出来ませんでしたじゃ意味が無いし、あー、コンセプトによっては意味もあるか。
でも結局今回の主題じゃあ変わらないな。
そうこうしているうちに下宿先のアパートへと到着した。
文庫 三歩の故郷は田舎とは言わないまでも、国際芸術日比谷大学に通うには距離があるため、こうしてアパートの一室に下宿している。
なんでも、大家と両親が旧知の仲だそうで、文庫 三歩も小さい頃からの馴染みである。
そのため一人暮らしの体をなしてはいるが、彼の気持ち的には、親戚の家へ泊まりに来ている感覚にとても近しいようだ。
大家の人柄についても近隣では評判が良く、頻繁に庭で雑談をしているのを見かける。
その影響か、近隣の人達の僕に対する姿勢が、まるで孫を相手にしているかのようで、何だか気が引ける。
さほど歳が開いている訳でもあるまいに。
その近隣の中でも最も歳が近い、隣の部屋に住む22歳。
折井 仕草。
花屋でアルバイトをしながら近くの浜里大学へと通う彼女は既に就活を終え、残りの大学生活を満喫しているらしい。
ゴンと、鈍い音が鳴る。
「いてて」
地面に手をつきもう片方の手で頭をさすっている。
どうやらまた転んだみたいだ。
「大丈夫?仕草ちゃん」
「あ、三歩君おかえりなさい」
心配して手を差し伸べる僕に微笑みながら手を取った。
「本当によく転んでるけど、部屋にどこか不備があるなら大家に報告した方がいいよ。普通に危ない」
「あはは。違うの、私がドジっただけだから」
そう言いながら、もう慣れましたと言わんばかりに眼鏡をかけ直す。
彼女、折井 仕草とは事実上の協力関係にあると言っていい。
折井 仕草は知識を。
文庫 三歩は感性を。
お互いに提供し合っている。
折井 仕草は趣味で物書きをしていて内容に行き詰まる度、僕と対話をする。
「そうだ三歩君。今夜空いてる?良かったらまた話を聞かせて貰いたいんだけど」
「残念だな。丁度今夜は外せない用事があるんだよ」
現在昼下がり。
出発にはもう暫く時間を置きたい。
「今、少しだけと言うなら大丈夫だけど。
僕も今課題に取り組もうとしている最中だから都合がいい」
「残念。丁度外せない用があるの。また今度ね」
「うん。また今度」
そう言うと彼女は階段を下る。
ふと、先日拝借した小説を思い出す。
「あぁそうだ仕草ちゃん」
僕は柵から身を乗り出して、下にいる折井 仕草へと呼びかける。
「こないだ借りた小説。
まだ読み始めたばかりだけど、すごく興味深い書き出しだったよ。
筆者って何て人?調べても分からなくて」
彼女は急いでいる風だったけれど、早口になりすぎないように意識して話す。
それに合わせてか、彼女も落ち着きを持って返してくれた。
「さぁ?私にも分からないの!」
なんだそりゃ。
そんなことがあるのか?
どうやら混乱する僕の表情を読まれたらしく、彼女は僕に
対しまたもや微笑みかけた。
夏だと言うのに風が冷たいな。
今夜は少し冷えそうだ。