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凝血  作者: 槙島今日子
10/10

実存は本質に先立つ①

 運命とも言える、芥川(あくたがわ) チハキとの再会を果たした日の翌日。

 僕は芥川のことを知るため、国際芸術日比谷大学前に佇むファミレスへと芦村 吉奈を呼びつけた。

 現在は自室でコーヒーを片手にニュースを視聴している。

 テレビに表示されている時刻は12時50分。


「ふむ。今から急げば間に合うだろうか」

 

 無理だね。

 だからって急ぐ必要があるのだろうか。

 あるね。


 左手に持つマグカップを洗い場に放り、部屋を出る。


 僕は歩くのが好きだ。

 いわゆる、散歩と呼ばれるものが僕は好きだ。

 少し嫌なことがあれば、気晴らしにもなるし、気分がいいときには、物思いにふけることができる。

 何か考え事をするのにもいい。

 心のチューニング。

 整理をつけたり、思考や視界をクリアにすることも出来る。

 母親が言うには、僕の名前であるところの三歩(さんぽ)という字も、散歩が由来しているという話だ。

 なぜ散ではなく、漢数字の三になったのかと聞いたら、名前に散るが入るのはいかがなものか、ということらしい。

 男子、三日会わざれば刮目して見よ、とも掛けたと言っていたが、僕が女として生まれてきていたらどうするつもりだったのだろうか。

 あぁ、僕が男だと確定してから名付けたのか。

 よく考えたらそうだよな。

 当たり前だ。

 いやまぁ、話を元に戻すと。

 いくら散歩が好きな僕でも、この時ばかりは自転車を使用することにした。

 それくらいには焦っていたのだ。この時の僕は。

 

 この町に来て一番初めに購入したのがこの自転車である。

 散歩が好きとは言いつつ、自転車にも愛着はある。

 僕はこの愛すべき自転車のペダルを踏みながら、先日の帰路、辻谷書店から自室へと向かう途中に鉢合わせた、折井 仕草(おりい しぐさ)との会話を思い出していた。

 


 

「おかえり。三歩君」

「まだ帰宅中だけど、ただいま仕草ちゃん」

 

 仕草ちゃんは、何やら荷物の入ったトートバッグを肩にかけている。

 お気に入りのバッグなのだろうか。

 仕草ちゃんがそのバッグを抱えて出かけているのをよく目にする。


「今日はバイトだったの?」

「そうだよ。ずっと家にいても暇になっちゃうからね。ここ最近シフトを増やしたんだ」

「そうか、大学はもう落ち着いてきたんだっけ」

「まあ、落ち着くにしても、やることは残っているし、一般的には私の今の時期って慌ただしくなることが多いと思うけどね」


 なるほど、仕草ちゃんは大学四年生で、とどのつまり、それは就活生とも呼べるわけだ。


「一般的なんて言い方から察するに、仕草ちゃんは例外なのかな。就活を終えるって、やっぱりそれだけで気が楽になるものなの?」

「うーん、厳密にいうと、終えてはいないかな」


 ん?どういうことだろうか。

 僕の持つ、折井 仕草は就活を終えた、という情報は大家から聞いたものであって確証性は確かに無い。

 それとも単に気持ちの問題だろうか。


「内定は内定であって、働き始めるまでは就活生の気持ちを忘れてはいけないとか、そういう話?」

「それも大切だね」

「それもってことは違うのね」

「うん。今の時点で内定してるのは二社だけど、三歩君は知ってるでしょ?私が小説を書いているの」

「あーそういうこと。本命は小説家か」


 仕草ちゃんは少しの間を開けて頷いた。

 その間、仕草ちゃんがどんな表情をしていたのか、僕は知らない。


「いくつかの賞には送ってるんだけどね、中々思うようにはいかないよ」


 仕草ちゃんの小説を読ませてもらったことがある。

 僕は専門家じゃないから、小説を執筆する上でのルールとか細かい部分は分からないけれど、仕草ちゃんの書く小説は、多分面白いのだと思う。

 書店に並んでいるものと比べても遜色ないレベルで。

 ただ、これを何の知識も持たない素人である僕が、どんなに高尚な言葉で表現しようとも、意味を成すはずがない。

 実のある話なんて出来ないし、そんなことをしても努力が実を結ぶとは限らない。


 だから、彼女の未来の話とか、彼女の気持ちとか、そういったものは一度置いて。

 本心を伝えよう。

 これも、彼女にとって、彼女を想って、ではなく。


「僕は待ってるよ。仕草ちゃんの書く小説」


 仕草ちゃんは一言だけ、ありがとうと言った。


 それからは、いつも通りの帰宅だった。

 もう夏だね、とか、熱中症には気を付けるんだよ、とか、夏の定番会話十選みたいなやり取りをして、アパートに到着する頃、質問の機会を窺っていた僕は、とうとう切り出すことにした。

 タイミングが重要という話題でもないのだけれど。


「仕草ちゃんさ、一つ聞いてもいい?」

「何?」

「この町の外れに出雲山(いずもさん)って山があるじゃない?その山について何か知ってることがあれば教えて欲しいんだけど。分かる範囲で構わないからさ」

「詳しくは知らないなー。部屋の窓から眺めるだけで実際に行ったことはないし、誰かから話を聞いたってこともないね」

「そっか。ごめんね変なこと聞いて」


 ですよね。

 僕も全く同じ意見です。

 

「変なのはお互い様だね。それにしても山か……。次の課題かい?」

「あ、うん。まぁ本題は別というか、主題は町なんだけどね」

「あの山だって町の一部であることには変わりないわけだし、問題でもあるの?」

「……ない。ないな」

「でしょ」


 仕草ちゃんの、なんてことはない一言で、胸がすいた。


「それじゃあさ、出雲山でなくても、山関連の書籍ってあるかな?」


 小説家を志す仕草ちゃんは、本についてもそれなりに詳しい。

 それこそ僕とは違い、専門家とはいかないまでも、物知りの水準は満たしているはずだ。


 仕草ちゃんは、顎に手を当てて考え込む。


「うーん、山となると、どんなジャンルなのかな?登山関連で趣味?スポーツとか?文化とか、歴史にも当てはまりそうな気はするし」


 そこまで聞いて、僕も考え込む。


 ふと、山で遭遇した、芥川 チハキが脳裏によぎる。

 

「…………オカルト?」

「……!」

「いや、ごめん、違うね。分からん」


 仕草ちゃんは少し驚いた表情でこちらを覗く。


「あながち、間違いとも言い切れないかもよ」

「え?」

「どうしてオカルトだと思ったの?」


 …………。

 うーん。

 あの夜のことをどうやって説明しろと?

 光るお化けがいて……いやあ、違う。

 かぐや姫みたいな……いやいや。


 そこで僕は芥川 チハキとの出会いを思い返す。

 出雲山で遭遇した神々しい光を放つ彼女と、もう一人、辻谷(つじや)書店の薄暗い店内で奇妙な存在感を放っていた彼女。

 僕は今の今まで、てっきりこの二者が同一人物だと思い込んでいたけれど、辻谷書店で会った二人目の芥川は、僕とまるきり初対面みたいな反応だったし、そもそも僕は出雲山で会った一人目の芥川とは言葉を交わしてすらいないのだ。


 この二者が別人で、他人の空似だった場合、その可能性だけならば有り得る話だけど、だとしたら一人目の芥川が発光していた理由が分からない。

 この世の理から逸脱しすぎている。

 全身に蛍光塗料を塗りたくっていたとか、あれはそういうものじゃなかった。

 そうだったとしても、それはそれで意味分からなすぎる。


 だから、自分の口からオカルトという言葉が出たことに対して、さほど驚きはしなかった。

 

「仕草ちゃんはドッペルゲンガーって信じる?」

「出会っちゃったわけだ」

「出会っちゃったというか、あれは今になって思えばって感じだけどね」

「私は霊感ないからなぁ」

「僕は今でも、自分の正気を疑ってるよ」


 仕草ちゃんから若干、尊敬の眼差しを向けられている気がする。

「あーでも」と、仕草ちゃんは興味深そうにして続けた。


「ドッペルゲンガーが本当にいるかどうかは分からないけど、山には昔からいるって言われてるよね」

「何が?」

「神様が」


 仕草ちゃんの最後の言葉が、どうにも頭から離れない。


 僕が持つ神様のイメージと、出雲山で出会った芥川の姿が、上手く重なった気がした。

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