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意気投合

(あの男性は……)


 上品な出で立ちのその白髪混じりの男性は、昨日王宮の中庭で、贈賄の場面を目撃してしまったがために命を落としかけていた男性、その人だった。

 よく出くわすものだと思いつつ、その後は無事に王宮を離れていたことがわかってほっとした。


 ユリウス様たちも加勢して、馬車の片側が持ち上がり始めたのを見ると、それほど時間は掛からずに馬車の車輪は道へと戻りそうだった。


 馬車の窓からその様子を見ていると、その光景よりも私の目を引いたものがあった。

 たくさんの小さな淡い桃色の花を付けた、枝を地面に付けるほどにしならせたアルテアの大木が、馬車のすぐ近くに一本立っていたのだ。


 さっき、馬車の窓から眺めただけでもうっとりしたアルテアの花。……是非とも間近で香りを楽しみ、その花弁に触れてみたい。

 その誘惑に抗えず、そっと馬車から降りた。ユリウス様が戻られるまでには馬車に戻れば、きっと問題はないだろう。


 アルテアの木の下に歩みを進めると、さわさわと涼やかな風が吹いて来た。ほんのりと甘い花の香りが漂う中を、風にアルテアの花弁が舞い散り、辺り一面が薄桃色に染まる。


「何て、美しいんでしょう……」


 そう、自分の口が呟いていることにも気付かないほどに、私は信じられないほど美しい目の前の光景にただ見入っていた。


(今までほとんど王宮内にしかいなかったけれど、こんなに心が動かされるような美しい光景が、外の世界にはあるのね)


 息を呑むようにして佇んでいた私の側から、澄んだ声が聞こえてきた。


「……本当に、綺麗ですね」

「……!?」


 誰かに声を掛けられることなど想定していなかったので、驚き硬直してしまったけれど、そんな私の様子には気付かないように、目の前の少女はうっとりとアルテアの木を見上げていた。馬車の一行の1人なのであろう少女は、手に一冊の分厚い本を抱えていた。


 少女に木漏れ日が当たり、アルテアの花弁がふわりと少女の周りを踊るように舞った。その光景はまるで一枚の絵画のようで、私は思わずその様子に見惚れてしまった。優しく目を細める少女の横顔は、まるで天使のように美しかった。


 少女はこちらを向くと、にこりと笑って口を開いた。


「こんにちは。私はエミリアと申します」


 親しみの感じられるその口調に、私も慌てて口を開いた。


「初めまして、私は……サフィと申します」


 私は咄嗟に、本名の代わりに自分の愛称を口にした。随分と気さくそうな彼女は私に手を差し出そうとして、自分の手に抱えた重量感のある本の存在に気付いたようにはっとした。小脇に本を抱えようとしつつ、本の重さに格闘する彼女の可愛らしさに、思わず私の口からはくすくすと笑いが漏れた。


「大丈夫です、無理なさらないで。随分と厚い本を読んでいらっしゃるのですね。……もしかしてその本は、古代語の建国記ですか?」

「はい、馬車での移動中に読むのにちょうどよいかと思いまして。ところでサフィ様、古代語の建国記をご存知なのですね!? サフィ様も、まさか原文で建国記をお読みになっていらっしゃるの……?」


 本を右脇に抱えるのに成功したエミリア様は、急に目を輝かせて私の両手を力強く握った。


「ええ。現代語訳されている建国記はごく一部なので、もっと読みたくなって、古代語の原文まで手を伸ばしてしまったんです」


 私も頬が紅潮するのがわかる。まさか、建国記を、古代語で読んで語れる人に会えるなんて……!

 ほとんど外出することのない私の趣味、そう、それは読書です。王宮内のみで過ごそうとすると、諸々やるべきことをやっても、時間が随分と有り余ります。

 ……暇を持て余すのも何なので、王宮の図書館に通ったら、見事に建国記にはまってしまったのでした。


 建国記とは、この王国の誰もが子供時代に目にしたであろう絵本にもなっている、神話と歴史が融合したようなこの王国の建国時のことを記した物語なのだけれど、意外と奥が深い。先を知りたいと、必死に古代語を勉強してまで読破してしまったのでした。


「エミリア様は、どの辺りまで建国記をお読みに?」

「私は、キナド火山への竜の降誕の章が終わったところまでですが……」

「ああ、その下り、息をつかせない展開ですよね! 私もつい徹夜で読んでしまいました」

「その通りですね! 私も夢中で読んでいるのですが、まさか、こんなことをお話できる方がいるなんて…!」


 お互いについ熱がこもって、会話に夢中になっていると、横からこほんと咳払いが聞こえてきた。

 ふと我に返り、咳払いの聞こえた方向に目をやると、苦笑するユリウス様と、白髪混じりの昨日の男性の姿があった。


「ユリウス様……」

「お父様……」


 少し気まずい空気が流れる。

 ユリウス様の隣に立っていた白髪混じりの男性が、ユリウス様に向かって頭を下げた。


「私共の馬車のために、わざわざユリウス様御自らお手をお貸しくださって、心より感謝申し上げます。お連れ様もいらっしゃる所、お時間いただき誠に恐縮です。……さ、エミリア、これ以上のお邪魔は申し訳ない。そろそろ行くぞ」


 エミリア様は、ユリウス様と私にそれぞれ深く頭を下げると、父に連れ立って馬車へと戻って行った。私に視線が向けられた時、口元が微笑みを浮かべながら、またお会いしましょうと形作っていた。私も笑顔で頷く。


 ……あの紳士をお父様と呼んでいたということは、昨日あの場にいた彼女だったのだろうか。脅されている間はずっと俯いていたのと、私の名前を聞かれた時には正体がばれないか気が気ではなく、目を逸らし気味にしていたのでわからなかったのだけれど。……そうだとしても、彼女も私に気づいた感はない。セーフと言えるだろう。


 ユリウス様と馬車に戻ると、ユリウス様は額の汗を拭ってから少し口の両端を下げた。


「姫をお待たせしまい、申し訳ない。……ですが、安易に馬車の外に出ないようお気を付けください。そのような服装でいらしたとしても、どこで誰が狙っているかはわかりませんので」

「仰る通りですね、失礼いたしました。つい、アルテアの花が綺麗だったもので……」


 素直に反省していると、ふっとユリウス様が笑った。


「アルテアの花、お気に召したようですね。先ほどの道も、アルテアの木々の脇は、花がよく見えるように、馬車の速度を落として通ったのですよ。……ご満足されましたか」

「はい。ありがとうございました」


 私は、今度は彼に心から笑い掛けた。そんな気遣いまでしてくれるなんて、意外と良い人のようだ。馬車を持ち上げる手伝いまでするために、自ら手を動かしていたし。


 私の心に気付いたのかどうか、私の微笑みに、彼も今度は自然な笑みを深めていた。

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