馬車の道
明日、私を馬車で迎えに来るというユリウス様との約束の後、少し不審気な顔をした彼も無事に帰ってくださった。
……まあ、会話の途中でいきなり固まったら、何かと思うわよね。
ユリウス様と話している時、突然頭の中に蘇った前世の妹の声を思い出す。
「ユリウスがヒロインに心惹かれていくきっかけは、ヒロインが怪我をしたユリウスを回復魔法で助けるからなの。ユリウスが姫を誘って馬車で領地に向かう途中、山道で賊に襲われて、ユリウスは姫を庇って怪我をしてしまうのよ。大怪我をしたユリウスの命を、ヒロインが救うってわけ。危機を救われて惚れるとか、まあ鉄板よね……」
ああ、前世の妹よ。あれほど聞く耳持たなかった私に、飽きもせず乙女ゲームのことを熱く語り続けてくれて、本当にありがとう……!
あれほど煩いと聞き流していた妹の声が、まるで神の声のように尊く聞こえるなんて、人生はわからない。まあ、前の人生は終えて、今は新しい人生だけどね。
前世の妹に聞いた通りに話が進むなら、明日、私はヒロインに会えるに違いない。
ゲームでは姫である私とヒロインは対立する設定だったはずだけれど、ヒロインが国のため、民のために立ち上がるという話なら、彼女と対立しなくても済むような気もしなくもない。
ゲームの設定が絶対なら対立するのでしょうけど、私だって、国はよくしていきたいもの。レオンからも、国の様子、政治の情報は常に最新のものを入手している。政治不正にも、父王はレオンの父経由で対応させているはずだ。
まあ、小賢しく裏で不正をする彼らがなかなか尻尾を出さないと、証拠を掴めず罰せられないから、民から見たら物足りなくも見えるのかしらね……。
それに、自分で言うのも何だけれど、両親から受け継いだ冷たいほどに整ったこの顔立ちは、ゲームの悪役姫にぴったりのような気もする。
(まあいいわ。明日になればヒロインにも会えて、また新しいこともわかるでしょうし)
私はレオンを呼ぶと、明日の準備をお願いして早々に休むことにした。
***
イグニス家の馬車が、人目を忍んで王宮の裏手に横付けされた。
私は若草色のワンピースを身に纏い、一見姫とはわからない服装をしている。外出用の格好ではあるけれど、どこかの貴族令嬢然というところ。いわゆるお忍び用だ。さすがに、姫が出歩いてますよ、と命を危険に晒すような真似は避けたいし、ユリウス様もそれは承知してくださっている。
馬車がゴトゴトと走り出し、王城を取り囲む高い城壁を抜けると、山道へと差し掛かるところで、馬車の中で向かい側の席に座るユリウス様が口を開いた。
「今日は、イグニス家の領地をサフィリア姫にお目に掛けたいと思っています。姫は、イグニス領は初めてですね?」
外向きの綺麗な笑顔を張り付けている彼に、私も笑みを作ってみせる。
「……ええ、初めてです。なかなか王宮からの外出もままなりませんでしたので、広大なイグニス領を拝見する今日の機会、とても楽しみですわ。ところで、ユリウス様。お願いがあるのですけれど……」
少し上目遣いで彼を見上げると、彼は少し片眉を上げた。
「……ええ。それはどのような?」
「この時期、アルテアの花が満開と聞いております。桃色と白の可憐な花が、それは美しく咲き誇っているとか。……イグニス領に向かうこの山にも、アルテアの木々が連なる道があると聞いているのですが、そちらの道を通っていただくことはできますでしょうか?」
ユリウス様が一瞬目を見開き、驚いた表情を見せた。きっとこれが取り繕っていない、彼の素の表情なのだろうと思われた。一年中、花壇に綺麗な花々を絶やさない王宮に住んでいる姫が、何であんな素朴な花を、とでもいったところだろうか。
「わかりました。それがお望みならば、御者にそちらを通るように伝えます」
「まあ、ありがとうございます」
にっこりと大きな笑みを作る。取り敢えず、今のところ作戦は成功のようだ。
……今朝目を覚まして、私ははっと気がついた。
今日のイベントがゲーム通りに起こるとして。ヒロインが助けてくれるようだけれど、ユリウス様は私を庇って大怪我をするという。ということは……目の前で流血の事態ですよ!!
いくらヒロインに会ってみたくても、そんな状況、想像するだけで耐えられない。もちろんユリウス様も痛いし、私の精神的ダメージも、……ね?
ヒロインとユリウス様との出会いを、別に邪魔したいとは思わないのだけれど。ユリウス様が私が選ぶべき、生き残れる唯一の結婚相手なら、まあ確かに困る。
……でも、ユリウス様は明らかに取り繕った顔しか私に見せていない。感じ悪っ。私も嫌味なほどに同じ態度で返しているけれど、いくら美しくたって、こんな人と仮面夫婦になるのは御免被りたいところだ。
レオンに確認したところ、イグニス領に向かう山越えルートはニつ。一つはなだらかで、馬車にも優しいルート。もう一つは、急傾斜の道で、距離は短いけれど馬車で通るにはあまり向かないルート。こちらには、アルテアの木が道の両側に生えている箇所がある。デフォルトで選ばれる道なら、十中八、九、なだらかな道だろう。
山道で賊が潜んでいるなら、ゲーム通りならなだらかルートだろうから、一応回避できるはず。急坂まで追ってきたなら、またその時に考えようと、私はそう思った。
坂の勾配がきつくなったことが馬車の傾きでも感じられるようになると、咲き誇るアルテアの花が馬車の窓の間近に見えた。
私自身、アルテアの花を見るのは初めてだ。桃色と白が混ざり合った、想像以上の花の海が眼前に広がり、私はこの道を選んだ目的も忘れて目の前の美しい花に見入っていた。
「うわあっ、綺麗……」
ほうと溜息をつく私を、ユリウス様は意外そうな目で見つめていた。
咲き誇るアルテアの花々を名残惜しく見送ると、山を降り、山を越えるもう一つのルートと合流する地点が見えてきた。
と、そこには、馬車が一台立ち往生していた。
「あんなところに馬車が……」
私の呟きにユリウス様が答えた。
「車輪が道の端の溝に取られてしまったようだな。……サフィリア姫、少し待っていていただけますか」
私が頷くと、ユリウス様は家臣と馬車を押すのを手伝うために、乗っている馬車を降りて行った。
(……あら?)
馬車の窓から眺めると、馬車の持ち主と思しき男性が困ったように馬車の脇に立っている様子が見えた。その白髪混じりの姿には見覚えがあった。