誘い
部屋に戻ると、私は、もう回復したので見舞い不要な旨の伝言をレオンに頼むと、先ほどの出来事を思い返していた。
(……あれはいったい、何だったのかしら?)
たまたま私たちがあの親子に出くわしたことで、その命が助かったのなら、それはとても喜ばしいことだと思う。
乙女ゲームのシナリオに関係なく、偶然という可能性も、もちろんあるだろう。例えば、私が今までの人生で何度も命を落としかけたことは、実際に起こったことだけれど、あの乙女ゲームには出ては来ない筈だ。
……でも、それはゲーム開始前の話。もしかすると、あれは何かのイベントだったのではないかという気もする。
デフォルトの2つのイベントに対する選択肢を飛ばして、出くわしてしまったあの場面。
……ゲームが始まって間もない今、私たちの存在抜きに進んでいた筈のイベントだったのかも……という気もしないでもない。
私はベッドにぼふりと身を横たえると、思い出せる限りの前世の情報を頭に浮かべた。
王位を巡る争いが激しく、その影で不正が蔓延る王政から脱却するため、ヒロインは立ち上がる。
ヒロインに手を差し伸べるのは、王国の7大貴族家を継ぐ、美しく魔法や剣技の才能に長けた7人の青年たち。
彼らは国王の一人娘の花婿候補として、王位を継げる地位を獲得できる可能性を持ちながらも、国のため、民のために立ち上がるひたむきなヒロインに心動かされ、次第に彼女に協力するようになり、ヒロインに心を奪われていく。
……というようなことを前世の妹がペラペラと喋っていたから、大体のあらすじはこんな感じなのだろう。
肝心のヒロインの絵柄は、残念ながら思い出せない。……多分、見てもいない。
前世の妹情報だと、ヒロインは美しいけれど、髪と目の色は平凡な茶色。ごく稀にしか使えるもののいない、回復魔法の希有な使い手らしいけれど、それは見た目ではわからない。ほかの特徴は不明。これ以上の手掛かりはなさそうだ。
……まだほとんどがぼんやりとした記憶だから、また新しいことを思い出せることも、あるのだろうか。
思考をそこまで巡らせたとき、トントン、とドアを軽くノックする音が聞こえた。
薄くドアを開けると、レオンの顔が見える。
「サフィリア様。……お見舞いについてお断りなさる旨、お伝えはしたのですが、どうしてもということで、ユリウス様がいらしています。……お通ししても?」
「わかったわ。お誘いいただいた件もあるし、お通しして」
少ししてから、扉の間からよく通る低い声が聞こえてきた。
「サフィリア姫、失礼します」
私の前に、すらりとした赤髪の美しい男性が姿を現した。
ここは私にとっての現実で、彼も目の前で生きている人間だ。ゲームというよりは絵画から抜け出てきたかのように、彼は隙なく整った容姿で、神々しいオーラを放つような眩さだった。眼福とはこのことだろう。
「お加減はもうよろしいのですか?」
一見気遣わしげな視線に、私は微笑んでみせた。
「ええ、もうすっかり。……先日は助けていただいて、こちらの部屋まで私を運んでいただいたと聞いております。お礼を申し上げるのが遅くなりましたが、ありがとうございました」
私が頭を下げると、ユリウス様はお手本のような笑顔を見せた。
「気忙しくて恐縮ですが、明日、馬車で迎えに上がってもよろしいでしょうか? お連れしたい場所があるのですが……」
「ええ。楽しみにお待ちしており……」
そこで、またある記憶が私の頭の中にフラッシュバックした。
そう。それはユリウス様との初イベントで……。
(もしかしたら、ヒロインにも会えるかもしれないわ)
突然固まった私に、ユリウス様は怪訝な表情を浮かべていた。