呪い
夢を見た。
俺は中学生に戻っていて、教室にいた。手には一枚の写真。家族四人が仲良く写っている。
「返してよ!」
俺を睨みながら叫んでいるのは、眼鏡をかけた地味な雰囲気の女子だった。古屋日奈子。確かそんな名前だったはずだ。
古屋はこの写真が大事なんだろう。だって、古屋がこんなに声を荒げたことなどこのときまでなかった。
まわりから注目を浴びながら、俺は写真を古屋に返そうとした。が、体は言うことを聞かない。俺の手は勝手に動き、その写真をビリビリに破いた。
「ほら、返してやるよ」
写真の欠片を古屋の頭に落とし、教室から出ようとする。
「呪ってやる!」
古屋の声がわーんと響き、俺は動きを止めて古屋を見た。古屋の目には涙が溜まっていたが、憎しみの色は全く薄れていなかった。
「高山明。あんたには、永遠に家族はできない。私の家族をないがしろにしたあんたは一人で一生寂しく過ごすんだよ!」
しばらく、沈黙が流れた。
「……なんだそれ、馬鹿じゃねえの」
俺はそれだけ吐き捨てるように言って、出ていった。
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目が覚めると俺は、二十九歳の冴えない男に戻っていた。気分の悪い夢を見てしまった。
あの後、古屋は転校してしまった。俺は友達から、古屋が小学生のときに家が火事になって家族を失い一人生き残ってしまったこと、俺が破った写真は一枚だけ燃えずに残っていた家族の写真だったことを聞いた。最後の家族の思い出を、俺は目の前で文字通り粉々にしてしまった。
それだけではない。古谷は転校してから一ヶ月ほど経ったときに死んだ。通り魔に刺されたらしい。本当に運が悪いと思う。これで俺は、古谷に謝ることができなくなってしまった。
その罪悪感からか、今でもたまにこの夢を見る。シナリオを変えることはできず、俺は何度も何度も罪を重ねる。辛いだけの夢だ。
長く息を吐き出し、俺はベッドから出た。今日も仕事だ。
仕事が終わり、俺は近所のコンビニでビールと小さなチョコケーキを買って帰ってきた。
ビールを冷蔵庫に入れてから、ケーキにフォークを添えて棚の上の写真の前に置いた。そこには柔らかく微笑む母さんがいる。
「ごめん、ケーキ小さくて。誕生日おめでとう」
俺の言葉にもちろん母さんは応えることはなかった。
母さんは、あの古屋との出来事があってからすぐに事故で死んでしまった。俺は元から父親はいなくて母さんと二人暮らしだったから、母さんがいなくなってからは色々な親戚の家を転々としていた。そのどこにも馴染むことなく大学入学をきっかけに一人暮らしを始め、それからはずっと一人だ。
古屋の呪いなのかもしれないと思うときもある。でもだからといって、古屋を恨む気にはなれない。全部自業自得なのだから。
すると、静かな空気を切り裂くように玄関のチャイムが鳴った。ふっと現実に引き戻される。
玄関まで行ってドアを開けると、そこには彼女の水森雫がいた。仕事帰りにそのまま来たのかグレーのスーツ姿だが、雫の場合むしろ私服のときより美人さが際立つ。
「あ、よかったいた。焼き鳥買ってきたんだけど一緒に食べない?」
雫は手に持っているビニール袋を掲げて見せた。もちろん、断る理由なんてない。
数分後、俺と雫はちゃぶ台を挟んで向かい合っていた。ちゃぶ台の上には焼き鳥と俺が買ってきたビール、それと冷蔵庫の奥の方にあったチーズが置いてある。これだけ見ると男子の集まりみたいだ。
「じゃ、乾杯!」
雫の合図で乾杯した俺たちは、しばらくの間他愛もない話をしていた。酒の力もあって結構盛り上がった。
「あー、俺、雫と一緒にいられて幸せだわ」
そう言うと、雫は嬉しそうに笑って俺の膝に頭を乗せた。さらさらの黒髪が少しくすぐったい。
「どうしたの、そんなこと言うなんて。なにかあった?」
「うーん、強いて言うなら、夢を見た」
「何それー」
雫はくすくすと笑った。雫は普段はクールビューティーというかしっかりした感じなのに、酔ったときは子猫みたいになる。
「じゃあさ、私たち、結婚しない?」
「へ?」
聞き間違いか。俺は雫の頭をなでていた手を止めた。
「いや、女から言うのもあれかなって思ったけど、今はそういうことに縛られる時代じゃないしいいかなって。ほら、もう付き合って四年だし、そろそろ頃合いじゃない?」
「……酔ってる?」
「酔ってるけど、酔いに任せて適当に言ってるわけじゃないよ。前々から考えてた」
雫は起き上がり、正座した。
「高山明さん。私の旦那さんになってくれませんか?」
いきなりのことで、なんと答えていいかわからない。まさか逆プロポーズとは、雫は頼もしすぎる。
「……はい。えっと、こちらこそよろしくお願いします?」
「え、それはイエス? ノー?」
「イエス。絶対イエスです!」
キリスト教信者みたいだな、と思うのとほぼ同時に、雫は俺に抱きついてきた。ぎゅ、と抱きしめ返す。
「嬉しい。私、高山雫になるんだね」
「いや、別に俺の名字じゃなくてもいいよ?」
「……そういうとこ、好きだよ」
雫はそう言って、目を閉じてコテンと倒れた。俺も引きずられて倒れる。
「え、雫!?」
具合でも悪いのかと焦ったが、すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきて安心した。きっとすごい覚悟で言ったんだろうな。本来なら俺がその重みを背負うべきだったんだろうけど、本当に、雫には頭が上がらない。
そして数分かけて雫をベッドに運び、毛布をかけた。俺は床の柔らかいところに座布団を何枚か引いて横になった。興奮して眠れないかと思ったが、一分も経たないうちに意識はなくなった。
目覚し時計が鳴ったような気がして、俺は目を開けた。でも実際はまだ夜中で、カーテンの隙間から真っ暗な空が見える。
「何だよ……」
つぶやいて何気なく雫のほうを見ると、何かが雫に覆いかぶさっていた。いや、『誰かが』か?
「誰だ! 雫から離れろ!」
俺の声に反応して、そいつは長い髪を振って顔をこっちに向けた。それは、夢に出てきたあの顔だった。
「古谷……! お前、死んだはずじゃ」
古谷の幽霊は、中学の制服であるセーラー服を着ていた。古屋の時間はそこで止まっているのだろう。心臓のあたりが赤くなっていること以外はそこまで人間と変わらなかった。
古谷は、何も言わずに雫に視線を戻した。そして、雫の首をゆっくりと締め始めた。その目は泥沼のように濁っていて、俺はここ数年感じたことのない恐怖を感じた。
「やめろ!!」
俺は起き上がろうとした。が、体は動かない。あの夢のときと同じで、体が自分のものではないようだった。
「やめてくれ、頼む。なんで雫を殺す必要があるんだ?」
尋ねながらも、俺はなんとなくわかっていた。古谷は俺に家族ができることを許してくれない。だから結婚して妻になる雫を、未来の家族を消そうとしているんだろう。
「俺を、殺してくれ! お前は俺が憎いんだろ? なら殺せよ。雫は関係ない。頼む、雫は助けてくれ」
「……だな」
古谷は、ぼそりと何かを言った。
「え?」
「……お前は、愚かなままなんだな」
古屋は低い声で言い、その場から消えた。あまりにもあっけなかったので、俺は自分が幻覚を見ていたのかと思った。
だが、そんな気持ちはすぐに打ち砕かれた。自分が殺されかけたことに気付かずすやすやと眠る雫の首には、紫色の指の跡がくっきりとついていた。
一睡もできないまま、朝を迎えた。
雫は自分の首の痣に驚いていたが、俺は何も言わなかった。言っても怖がらせるだけだからだ。
「明、顔色悪いよ。大丈夫?」
雫は、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「あ、うん。でも今日は会社午後から行くよ」
「そうだね、休んだほうがいいよ。私は一旦家に帰って着替えてくるから、もう行くね」
玄関のドアに手をかけた雫に、俺は「雫」と声をかけた。
「なに?」
「……いや、なんでもない。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
雫は笑顔で言い、外に出てドアを閉める直前にささやいた。
「明、大好きだよ」
パタン、とドアが閉まり、俺は思わず顔を覆ってしゃがみ込んだ。破壊力がすごすぎる。
少し休んで気分を落ち着けたあと、部屋に戻ってベランダに出た。
ちょうど雫は真下あたりにいて、俺に気づいて手を振ってくれた。二階で距離がそこそこ近いからこそのことだ。
「あ、危ない!!」
頭上から、ただ事ではない大声が聞こえてきた。そして、何かが下に落ちていくのを見た。
不快な鈍い音がして、俺は下を覗き込んだ。
雫が、頭から血を流して倒れていた。側には砕けた植木鉢。
「雫!」
慌てて下に降り、雫を抱き起こそうとしてもう雫が息をしていないことに気づいた。まわりは血の池になっていて、俺もあちこち真っ赤になっていた。
「……どうしてだよ、古谷! 助けてくれるんじゃなかったのかよ!」
叫ぶと、耳元で声がした。
「あんたの願いなんて、聞くと思う?」
涙が溢れてきた。そういえば、俺もあいつの願いを聞かなかったんだったな。
絶望の中で、俺は泣きながら笑っていた。
ありがとうございました。