「□□□□□□」感想文
ぼくは、これほど透明で、これほど清潔な硝子の心に触れたことがありません。それは六花の対称性を有していて壊れやすい。その心は少しの風にも、夕凪にも、そよぐように思われます。裸足になるため投げ出された靴が、枯草の上に小さく咲いています。
「□□□□□□」は、自発的対称性の破れでうまれた詩です。
自発的対称性の破れとは、対称性をもった系が、より安定な対称性が少ない系に移る現象です。このとき波がうまれます。例えば、結晶の連続対称性が自発的に破れるとき、振動波がうまれます。
物理ではありませんね。文学です。よって、神さまの面影を残す人にあって、その波は情緒の波、詩となります。
ぼくは想いだします。わけても想いだすのは、ウィリアム・ブレイクの「無垢のうた」です。完全な童心で詠まれた、あの最高の詩篇のかずかずです。幼時、ブレイクは、大ぜいのエンゼルたちが木陰に集まって唄をうたいながら、翼を動かしているのを見ました。また、彼はわが家の近くの野原で預言者エゼキエルが休んでいるのを見たといって母に打たれました。
ブレイクが母に打たれたように、悪意のある批評が○氏の作品を押し殺しました。こうした理不尽な懲罰が、彼女に詩人としての烙印を捺し、成長させるのは自然です。
あまかぜは水辺でうまれます。水辺には必ず森があり、その奥で風がうまれています。
ある日、多分それは、初めて葉枯れるはずのないパソコンの中の菊が葉枯れた日です。
森がそこに影を落としにくるヤミクロたちで覆われ、その汚濁に侵されていきました。
千年やむことがなかった、風がやみました。
動くはずのない風車がクルクルとまわって、何かをまっています。森もまっています。それは救済のことばです。
音楽の休符のように、沈黙の音で満たされている、黒い棺の森を目の前に、小さな女の子が訊きます。
△ねえ様、風がやんだ。風がやむなんて初めて。女の子は竦然としています。
すると目と耳が痛いような気がしたのでしょう。痛いと思ったのは錯覚でははずです。厳粛な重みが心に伝わったのですから。それがきつく、引き裂くようにしめつけています。
ここに於いて、あの句がキーボードを叩いたのかもしれません。
ほしのまたたきに
あめだまをおとそう
ぼくは黒く固まっている森の変容を見守りました。小さく白い雪のような結晶が、一つ、また一つ、三つ、四つ、そらから次々にあらわれ来て、森全体がほの白くあかるんでいきました。ばくは人間の指が左右で十本であるために、十進法がうまれたという由来を音なうように、それを数えました。位取りに、零が増えていきました。さんこのれいを過ぎて、出師の表を読み上げるまで桁上げしたと思ったときです。劇的な変化が起こりました。
風が立ったのです。
葉はあごを上げ、揺れはじめました。それが枝に伝わり、梢と根にも届き、木全体が揺れはじめ、森の全てがザ行音を奏ではじめました。そのざわめきが合図となり、空から滝のような雨が、湧きあがるしぶきとなって降り注ぎました。
現世の汚濁も、前生から連鎖した汚濁も洗い流す雨です。
最初は、木の葉、枝、幹、木全体が、やがては木々が、最後には、森全体が流動性を取り戻していきました。
一切がきらめき、光っています。
ポイ捨てされ、踏みつけられたあとの煙草のように、くずれていた地衣類が全身で水をすって、息をふきかえしています。
かたつむりがゆめこごちにはい出て、うれしげに空を見上げています。
アライグマが自身を洗っています。
あの女の子はどうしたでしょう。風が立った、風が立った、ハイジのように叫んでいます。
森の音はいつしかサ行音に変わっていました。
躑躅がね、わたしはこんな難しい顔をしていないよっ、ていったの。
と少女がいった。
お花はお話ししないよ、なんて言わないで。その子には聞こえたのです。
ほしのまたたきに
あめだまをおとそう
たんぽぽにつかまって、雲の上にいったんだ。
と少年がいった。
たんぽぽには乗れないよ、なんて言わないで。その子は綿毛で空をとんだのだから。
ほしのまたたきに
あめだまをおとそう
痛みに耐えて流れた涙が新しすぎて、痛いの痛いの飛んでゆけ、この使い古しのフレーズで慰めることがはばかれるとき、どんなフレーズがあるでしょうか?ぼくのハンカチも君のも、古いことばで汚れているのです。
そのことばを君に告げましょう。
ほしのまたたきに
あめだまをおとそう
涙は人間の作る最も小さな海です。
菊の端正な花弁から零れ落ちたことばは、その海の深さが横向きに遠く感じられるほど新鮮でした。
ハンカチから菊の甘い香りがしました。菊はその約束の名によって美しいだけでなく、その約束が果たされた形態によってもまた、美しいものでした。