4.“ゲームを始めよう”
玄関を出ると、外は晴れていた。太陽の光があまりにまぶしすぎて、ハルトは目を細めた。時刻は8時半。小・中学生の登校も済んだようで、通りは比較的閑散としている。
昨日とは違う景色に胸が空く思いのするものの、数年ぶりに家の外に出たハルトは、何をしていいのか分からなかった。近所のスーパーでも行ってみるか?いや、昔のクラスメイトなんかに出くわしたら最悪だ。第1にハルトは金を持っていなかった。
「そもそも俺は何をしに外へ出て来たんだ?」
久々の外の世界のインパクトに気を取られて、当初の目的を失念しかけていた。あの狭苦しい部屋から逃れて、今までとは違う時間を過ごしたい。それだけの話だ。たったそれだけのことで、7年も引きこもっていたあの部屋を出て来てしまった。
「別に、部屋を出ることを恐れていたわけじゃない。俺はゲームで遊んでただけだ。ビビることはない。こんなもの、ただのオープンワールドだろ」
物事をポジティブに考えていないと、潰れてしまいそうだった。ここは広過ぎる。生きていくのに不必要な程に。
だがハルトは歩き出した。のろのろと、行くあてもなく。理不尽な無限ループを耐え抜く方法を考えながら。
どうせ、この部屋の外の世界にもいずれ飽きる時が来る。部屋の外にいようが、中にいようが、時間の流れから逃れられるわけではないのだから。
「気長に行こう。もしかするとこの現象の謎だって解けるかもしれない」
ぶらぶらと近所を歩き続けて、夕方。ハルトは街が一望できる公園にやってきていた。背後には大きな電波塔が立っていて、梁の至る所に、大量のカラスが所狭しと並んでいる。
1番眺めのいいベンチに座って、ポケットの中に偶然入っていた120円で小さなブドウジュースのボトルを買って飲んだ。半日歩き回って疲れていたせいか、感動的に美味しい。これで文無しだが、どうせ明日になればまた120円がポケットの中に入っていることだろう。明日もここに来てジュースを飲もう、とハルトは心に誓う。
「お兄さん、無職?」
後ろから突然心無い言葉をかけられて、ハルトはジュースを噴き出しそうになった。慌てて振り向くと、小学生くらいの男の子が立っていた。どこのチームかわからない野球帽を被っている。
「……いや、まあ、そうだけど」
「そう。隣座っていい?」
「いいけど」
少年は隣に座り、暮れなずむ町の遠景をじっと眺めていた。
「あー、君は、いつもここに?」
「そうだよ。僕はいつもここにいる。そういうお兄さんは、ここ来るの初めて?」
「いや、俺も……アレだ、君くらいの頃ここで遊んでたんだ」
「へえ」
会話はそこで終わった。ハルトは何となく気まずくなり、ブドウジュースを口に含む。美味しい。
「そうだ、君は……」
「僕はユキオ」
「あ、うん。そう……俺は、ハルト。今日は7年ぶりに部屋を出てきたんだ」
「へえ、すごいや。ぼくの人生の7割くらい部屋にいたの」
「そうだよ」
「引きこもりって楽しい?」
「楽しいよ。やってみればわかる」
半分皮肉だったけれど、小学生の子供に通じたかは分からない。ブドウジュースをぐいと飲み干すと、空になってしまった。
「さてと、暗くなってきたし帰るかな。じゃ」
「うん、またね」
公園を出て、深い紺色に変わった空の下を、家路を辿り歩いていく。
1日を過ごすうち、ハルトはこのループが始まった理由を突き止めてやろう、というつもりになっていた。
「これは要するに新しいゲームだ。そう考えれば、少なくともあと36回は正気でやれるだろう」