妖精-1
氷処の依頼から数日、雨季が過ぎ去り暑く寝苦しい日々が続いていた。
午前七時五十一分。目が覚める。モーニングルーティンのようにトイレに行ってからリビングへと向かう。
「おはよう」
リビングにいたみんながずれずれにおはようと挨拶を返してくれる。
「おはよー。あなたがシキさんね」と眠気眼の前に小女が飛び込んできた。
そう。文字通りフィギュアのように小さな女の子だ。
「私はポエ。今日からここの家に厄介になるからよろしくね」と小さな手が僕の右手人差し指を握ってブンブンと縦に振ってくる。「私は見ての通り妖精よ」と再び目の前まで浮かび、露草色な髪を揺らしながら背中を見せてくれる。
彼女の背中からは青が滲む透明な羽が生えている。
「どういう状況なーーー」
「私の趣味? 趣味は特に無いんだけど。そうね。食べることは好きよ」
「いや、なぜ、その、ポエさーーー」
「この服のこと? 可愛いでしょ。メーネが買ってくれたの」と緑色のミニワンピースと青のショートパンツを強調してくる。
ショートパンツの下から出ている白い脚が眩しい。
「って。そうではなくって。あれ、メーネさんとーーー」
「そう、メーネとはねーーー」と再度口を開けラジオのように一人喋りを始めるポエさん。
僕は質問することを諦め、テーブルの椅子に座る。僕の動作に合わせてポエさんもわざわざ僕の視線に合わせて飛んでくれる。もちろんラジオモードは止まらない。電源スイッチも無いので止められない。話終わるか、電池切れを待つしかない。
僕が無の状態になっていると、ぼっさんが水を入れたグラスを目の前に置いてくれる。ぼっさんの顔を見るとウィンクを返された。どうやらポエさんからの洗礼をすでに受けたみたいだ。ソファに座っているうにやんもなんだか疲れた様子だ。おんちゃんはスクワットをしている。うん、元気そう。
「でね。メーネの新しい家に遊びに来たのだけど、今日から家族と旅行へ行っちゃうらしいの。それで困ったなー。帰ってくるまでどうしようかなーってメーネと二人途方に暮れていたら、こちらのおんちゃんが通りかかってね」とポエさんはおんちゃんへ手を向ける。
僕は再度おんちゃんの方を見やる。だが、おんちゃんは背中を見せたまま体を上下させており振り向かない。会話の内容は聞こえているはずだが。
「それでね。事情を話したら、うちに来なよって私を誘ってくれたの」
おんちゃんは顔をこちらに向けない。
「聞けば、メーネとお友達で一緒に肉を食べた仲ということじゃない。それじゃお言葉に甘えてお邪魔させて貰いますっということでね。メーネが帰ってくるまでの一週間お願いします」
「あ、はい。こちらこそお願いします」あれ、何か質問しようとしたけど、忘れてしまった。
「ぼっさんとうにうににはもう挨拶と私の自己紹介は済ませたから、これで全員ね。それで、今日は何をするの? 何して遊ぶの? 私シャヌラの町には初めて来たからテンションが上がって上がって」とトンボのように飛び回るポエさん。
「今日は何も予定はないよね?」僕はぼっさんに尋ねる。
「まぁね」
「それじゃなんでもできるね」とうにやん。
ポエさんは僕らの会話を聞きながら、頭上でクルクルと旋回している。
妖精。急な登場だけど、そこまでの驚きが無かった。羽が生えてる人やドラゴンを既に見ているせいだろうか。僕もこの世界に馴染みすぎている気がする。悪いことではない。
「しかしこの町で遊ぶところって何かある? どこかある?」
僕の質問に考え込むぼっさんとうにやん。
「ケイラさんに聞きに行こう!」思いついたという表情で振り向くおんちゃん。
「なんでケイラさんが出てくるの。そこはカラルルさんでしょ」
「ケイラさんはなんでも知ってるでしょ。カラルル氏の親でもあり、長年この町に住んでいるのだからっ」
おんちゃんの理屈は通ってはいるが、少し強引な気もする。なんでもは知らないでしょ。
「良いんじゃない。取り敢えずシュモイン家に行って何か教えてもらえば」ぼっさんが意見をまとめた。
よしっとゲンコツを作るおんちゃん。
流石にまだ朝早いのでご飯を食べてから出向くことにしようということに。ポエさんは既に朝食済みということで、僕らは買い置きのパンを食べながらアイスコーヒーを啜った。
玄関に飾られている鈴知こもかさんに、行ってきますの挨拶をして外に出る我々。
午前中だというのに日差しが強く、蒸発してしまいそうだ。ポエさんの肌が日焼けしてしまわないか気がかりだ。
「あのような絵は初めて見たよ」そんなポエさんはおんちゃんの肩に座りながらお話をしている。
妖精を肩に乗せるなんて、なんだかファンシーでメルヘンでファンタジーではありませんか。どれも同じような意味だろうか。そんなことより僕の肩にも乗って欲しいな。
やはり、ポエさんがこの中で初めて会ったのがおんちゃんだから、おんちゃんと一番仲が良いのかもしれない。
そうだ。肩に何か興味を惹くものを置けば来てくれるかも。
僕は着ている青藍色のTシャツからチンアナゴのようにニョロりと出ている糸くずを一本抜いた。このような行為は衣服に悪いと分かっているが、そんなことを気にしている時ではない。
そして、取り出した糸くずを前を歩くうにやんの右肩にセットする。本当にポエさんが座ってくれるのかまず実験が必要だ。
しばらく会話しながら歩いているとポエさんがうにやんの肩に注視した。
「うにうに、肩に何か付いてるよ」とうにやんの肩に近づく妖精さん。
「え、虫?」と少し恐れるうにやん。
違うよ。糸くずだよ。僕は心の中で反応する。
「糸が付いてたよ」手のひらで一本の糸を掴み、うにやんに渡すポエさん。そのまま、またおんちゃんの肩へと戻っていった。
どうやら失敗のようだ。あれぐらいでは肩には着地してくれないか。
その後、うにうにが振り向いて、糸くずを返してくれた。




