舞踊に魅入る
学校では全日授業が始まったが、佑暉にとっては苦痛だった。入学式の日に失敗して以来、誰にも声をかけられなくなっていたのだ。
ただ席に座り、側の窓から外の風景を眺めているだけであった。そんな佑暉に、話しかける者などいない。彼は早く今日の授業が終わることを望んだ。
ようやく学校が終わり、また花見小路の一角にある茶屋に向かった。放課後、そこへ足を運ぶことがいつしか日課になっていた。茶屋を覗くと、今日もあの舞妓が踊りを披露していた。佑暉は外からそれを鑑賞した。
茶屋の中にいる客は、年配の男性が大半であった。それゆえになかなか入りづらく、佑暉はいつも外から覗いているだけだった。優美な三味線の音に合わせ、舞妓はくるりと何度も体を回転させる。佑暉は、その舞いに心を鷲掴みにされていった。
三味線が鳴り止むと、舞妓はまた正座して客に頭を下げた。
「今日はようお越しくださいました、ゆっくりしていってくださいませ」
可憐な声音でそう告げると、再び顔を上げる。その瞬間、不意に佑暉は彼女と目が合った。佑暉は咄嗟に目をそらしたが、彼女からじっと見られている気がした。舞妓はしばらく固まっていたが、もう一度礼をすると立ち上がり、舞台の奥に消えていった。佑暉は視線を落としたまま一歩ずつ後ろへ下がると、茶屋から離れた。そして茶屋に背を向け、旅館までの帰路を早足で歩き出す。
数日間、密かに見に来てはいたが、目が合ったのは初めてであった。明日も来て良いだろうか。迷惑になっていないだろうか。帰り道、そんなことを佑暉は考えたのだった。
*
その日の晩、客の夕餉が終わると、家族揃って居間で遅い夕食をとった。その席で、彩香が心配そうに佑暉に尋ねた。
「佑暉君、学校はどうなん?」
「はい、大丈夫です」
佑暉はすぐさま、心配ご無用とばかりに笑ってみせた。本当は周りの皆との間には高い壁があり、それをなかなか越えられずにいるのだが、父の時と同様、心配はあまりかけたくなかったのだ。
しかし正美は、そんな彼の心を見透かしたように言った。
「困ったことがあったら、ちゃんと言うんよ」
「い、いえ。本当に大丈夫ですから」
「でも結構、無理してるように見えるんよ。隠さんでええからね」
そんな正美の気遣いが、佑暉は嬉しかった。父からも幾度も同じことを言われたことがあるが、その時とはまた少し違った。
「どうもありがとうございます。こんな居候のために、心配してくれて……」
「当たり前よ、あなたのお父さんから任されてるし」
正美は微笑する。佑暉はそれを見て、
「ありがとうございます」
と、また軽く頭を下げた。自分が今ここにいるのは、皆のおかげなのだ。少しでも恩返しをしなければならない、と改めて思った。
佑暉が再び意識を食事に戻そうとすると、彩香が彼の方を見て言った。
「あとさ、なんか自分……固ない?」
話し方を指摘され、箸を取ろうとしていた手を止める。特に意識はしていなかったが、彼女によれば堅苦しく見えるらしい。佑暉も言われて初めて、少しぎこちないかもしれないと自覚し始めた。
正美も、彩香の意見に同調したように口を挟む。
「そうやな、もっとざっくばらんでもええんよ?」
一方、夏葉は部活で余ほど腹が減っていたのかそんな会話には耳も貸さず、無言で我武者羅に箸を進めている。
その隣で、佑暉は考えた。食べさせてもらっている上、学費まで負担してもらっているのにという思いが彼の中にあったのだ。それでも、やはり固いのは否めないので、正美の言う通りもう少し柔らかい話し方を心がけようと佑暉は思った。
部屋に戻ってスマートフォンを開くと、また一通のメールが受信されていた。
『ご無沙汰になってしまいました。最近は忙しくて、お返事できていませんでした。学校はどうですか。まだ慣れないことも多いと思いますが、あまり無理はしないでくださいね!』
彼を気遣ったような、「抹茶ぷりん♪」からの優しいメールだった。
佑暉はすぐ返信を書いた。
『ありがとう。でも、楽しいことを見つけられたから大丈夫だよ』
それを読んで相手も安心したのか、笑っている顔文字を送ってきた。それから佑暉は、彼女に近況を報告した。だが、茶屋に毎日通っていることについては伏せておくことにした。佑暉は相手のことを異性だと思い込んでいるため、後ろめたさがあったのだ。相手も、佑暉の書いた「楽しいこと」については特に尋ねてこなかった。