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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 古都の花町
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紹介とメール

 夕方六時を回ると、広間は客でいっぱいになった。「ふたまつ」に泊まりにくる客の殆どが、出張で京都に来ているサラリーマンだ。かつては佑暉の父の慎二も、出張のついでによく世話になっていたという。また、休日になると定年退職した老夫婦や新婚、子連れの家族なども訪れるようだ。


 数人の仲居が、脚付きの盆に夕餉ゆうげに出す料理を載せ、客の待つ広間に運んだ。正美の娘たちも帰ってくると、それを手伝っていた。


 毎日、家族は広間から離れた小さな和室に集まって食事をとるらしい。客用の夕飯は六時半頃から運び始めるが、その後も客に対して料理の説明や、厨房の片付けなどをしなくてはならないため、全ての事業が終わるのは八時を過ぎてからであるという。


 正美には二人の娘がいて、どちらも市内の学校に通っている。部活動にも所属していて帰宅が遅くなる日もあるが、早く帰ってきた日には母の業務を手伝うようだった。


 八時半、小部屋の卓袱台には質素な料理が並べられた。客に出した残りというわけでもなく、普通の和食だった。味噌汁は佑暉が見たことのない白色をしていた。後で聞くと、京都では一般的に白味噌を使うのだという。


 佑暉は、夕食の場で正美から二人の娘を紹介された。


 長女は彩香あやかといって、今年の春で高校二年生になるらしい。昼間、佑暉を部屋まで案内してくれたのが彩香だった。想像通り、自分より年上だったことに佑暉は納得した。そして何より、佑暉が明日受験しに行く高校に通っているというので、彼はあからさまに驚いてしまった。


 次女は夏葉なつはといい、今年で中学三年生となる。こちらは、佑暉よりも一学年下であった。


 紹介が終わると佑暉も、手をつきながら改めて挨拶した。


「河口佑暉です。これから、よろしくお願いします!」


 正美は彼の仰々しい態度を見て、


「そんなに畏まらんでええよ」


 と笑った。


 夏葉は、佑暉の顔を覗き込むようにして見た。そして、興味が湧いたように尋ねる。


「なぁ、自分どこに住んでたん?」


 京都人の言う「自分」とは、殆どの場合、相手のことを指すのだと佑暉は出発前に慎二から聞いていた。


 中学生はやはり好奇心が強いな、と佑暉は夏葉を可愛らしく思いながら答えた。


「東京です」


「わぁ、すごーい」


 夏葉は子供っぽく、目をキラキラと輝かせた。


「うちも行ってみたいねん」


 夏葉の言葉に疑問を抱き、佑暉は差し出がましいとは思いつつも好奇心を抑えられずに質問を返した。


「あの、旅行とかはしないんですか?」


 そうすると夏葉の代わりに彩香が口を挟んだ。箸を器用に使い、中央の皿に載っている惣菜を漁りながら言う。


「だって、ウチ旅館やもん」


 次いで、正美も付け加える。


「休みの日は、観光客とかがぎょうさん来るんよ。せやから、休みにもできひんし」


 夏葉は天井を見上げ、憂鬱そうに呟いた。


「でも、いつか行きたいなあ」


 それに対し、彩香が反応する。


「うちも行きたい。小石川後楽園やっけ。あそこの桜、めっちゃきれいやねんて」


「あ、知ってる。確か……『ふみぎょうく』やろ?」


「『ふみぎょうく』って何? 文京区やし」


 二人の会話に、佑暉はつい可笑しくなって笑ってしまった。


 京都市にある上京区や下京区は皆、「ぎょう」と発音するため、東京のことをあまり知らない京都人が文京区のことを「ふみぎょうく」と発音しても、仕方なくはある。


 食事が済み、佑暉は部屋に戻った。皆、事情を知っているのか優しく接してくれた。それが佑暉にとって救いとなった。まずは旅館の人に感謝しなければならない、と佑暉が思うと同時に、最も感謝すべき相手は慎二であった。正美に頼んでくれたのも、受験の手配をしてくれたのも慎二だったからだ。


 佑暉はしばらく明日の入試に備えて勉強していたが、正美が部屋を訪ねてきて風呂に入るように言ったので、佑暉は勉強道具を片付けて浴場に向かった。風呂場の暖簾を捲って脱衣所を覗いたが、客は皆寝てしまったのか誰もいなかった。


 佑暉が中に入ろうとすると、後ろから誰かが彼の肩を叩いた。佑暉が咄嗟に振り返ると、肩を叩いたのは夏葉であった。彼女は風呂上がりなのか寝間着姿で、白いタオルを首からぶら下げている。


「何してんの?」


 首を傾げながら夏葉が尋ねる。


「女将さんに、早くお風呂に入るようにって……」


「え? お風呂ってあっちやで?」


 夏葉は不思議そうに、廊下の奥を指さした。だが、眼前には「ゆ」の文字が大きく書かれた暖簾が下がっているので、佑暉は彼女の言うことがよく理解できなかった。


「だって、ここ……」


「大浴場はお客さんだけ。うちらは基本、奥にあるちっちゃいお風呂使ってんの」


 その言葉で、ようやく佑暉は納得した。客以外の人間が大浴場を使うのはあってはならないことだと母親から口うるさく言われてきた、と夏葉は続けた。しかし、


「でも、佑暉君は今日が初めてやから、今日だけ使ってもいいよ。お母さんには後でうちから言っとくし」


 と夏葉は言って、「じゃあね、ごゆっくり」と佑暉に手を振ると、パタパタと慌ただしく向こうに行ってしまった。佑暉は少し戸惑ったが、やがて夏葉の意図を察し、暖簾をくぐって脱衣所に入っていった。


 風呂に浸かりながら、佑暉は眼前の五重塔を眺めていた。まるで、京都の街を観光しているような錯覚を起こしてしまいそうになる。見つめれば見つめるほど、「行ってみたい」という気持ちが強くなっていった。


 部屋に戻ってくると、すでに布団が敷かれてあった。自分が入浴している間、誰かが来て寝支度を整えてくれたのだろうと佑暉は直感し、再び正美たちに感謝した。


 そして布団に潜ると、雲に包まれたような柔らかさに驚いた。あまりにも居心地抜群だったので、東京で使っていたものとは素材そのものが違うのだろうかと彼は考えた。このままだと寝てしまう予感がしたので、一旦彼は上半身を起こした。その状態のまま、何気なくスマートフォンの画面を開く。そうすると、彼はあることに気づいた。


 ホーム画面のメールアプリのところを見ると、アイコンの右上に数字の書かれた赤いマークが表示されている。恐る恐る、そこをタッチしてみた。受信メールの一覧には「こんばんは」という件名で、未登録のメールアドレスが表示されている。まさかと思い、佑暉は急いで中身を確認した。


『先ほどはメール、ありがとうございました。返信遅くなって申し訳ないです。来たばかりで大変だと思いますが、頑張ってくださいね』


 それは彼のブログの読者、「抹茶ぷりん♪」からの返信メールだった。


 佑暉の心は、燦然たる歓喜の光によって満たされていく。返事は半ば諦めていたために少し驚きもあったが、すぐさま返信を打ち始めた。旅館の名前や今日の出来事など、彼は今の気持ちをすべてメールの中に書き込んだ。


 送信すると、今度は数分程で返ってきた。


『その旅館なら私も知っています。今度、遊びに行っていいですか?』


 それを読むと、さらに嬉しさがこみ上げてくる。明日は朝から試験だというのに寝ることも忘れ、気がつけばまた返信を送っていた。その数分後には彼女もちゃんと返してくれるので、終わりの見えない会話のようにそれが続いた。


 三十分ほどが過ぎると、部屋の時計は軽く十二時を回っていた。次は何を書こうかと佑暉は悩んでいたが、さすがに眠気が襲ってくる。そして段々と意識が朦朧としていき、布団の上で寝落ちしてしまった。

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